Twin's Story 5 "Liquor Chocolate Time"

《2 揺れる心》

 

 季節が代わり、街の木々がその葉を落とし始めた。

 

「どないしたんマーユ」ケネスが生クリームのボウルを持ったまま訊ねた。「元気ないな」

「寂しいんだ、あたし」

「ケンジに会えへんからか?」

「うん。それもある」

「それも、って、他に何かあるん?」

 その質問に答えることなくマユミは言った。「でも、あたし、ケニーがそばにいてくれてすっごく助かってる。精神的に」

「わいが?」

「そう。あなたとケン兄が親友で、ほんとに良かった。ケニーは今のあたしの心の支えなんだ」

「心の支え……光栄やな」ケネスは生クリームをかき回し始めた。「マーユ、あんさんこの先どないするん?」

「この先って?」

「短大出てからの話や」

「まだ、はっきりとは……」

「経営やらマーケティングやらの勉強しとんのやろ?」

「うん」

「自分に合ってると思てる?」

「うん。勉強は楽しい」

「ほたら、」ケネスはクリームのできあがったボールを氷水に浸して、手をタオルで拭きながらマユミに向き直った。「この店に就職せえへんか?」

「えっ?!」

「わい、ここの跡継ぎになんのやけど、親父もおかんも経営に関してはちょっと弱くてな。マーユが力を貸してくれると助かるんやけど」

「そ、そんな、いきなりそんなこと言われても……」

「わかっとる。わいもまだ修行中やし、すぐにっちゅうわけやあれへん。けど、もし、マーユが短大卒業する時、その気になってたら、ここに来てくれへんか」

「あ、あたし……」マユミはうつむいた。

「ごめん、マーユ。かえって元気なくさせてしもたな」ケネスはマユミの手をとった。「ケンジとも相談し」

 

 

「海棠君、いるー?」どんどん、ケンジの部屋のドアがノックされた。

「はい」ケンジはドアを開けた。「あ、ミカ先輩」

「ごはん食べた?」

「いえ、まだ……」

「いっしょに食べよ。肉まんだけど」

「え? そんな、悪いですよ」

「だってあたし、こんなに食べきれないもの。食べて手伝ってよ」ミカはドアを閉めてケンジの部屋に勝手に上がり込んだ。

 

「おお! なかなか片付いた部屋じゃん。男子学生の部屋とは思えない」

「そ、そうですか?」

「新聞か何かない?」

「チラシならいくらでもありますけど」ケンジが郵便受けに入れられていたチラシの束を手に取った。

「二、三枚持ってきて」

「はい」

 

 ミカはごわごわしたカーペットの上にケンジが広げたチラシの上にどさどさと肉まんを積み上げた。

「こ、こんなにたくさん、どうしたんです?」 

「いやあ、友だちがバイトしてるコンビニでね、賞味期限が迫ってたんで、無理矢理持って帰らされたらしいのよ。いろいろあるよ、カレーまん、中華まん……」ミカは着ていたスウェットの腕をまくった。

「そうですか。じゃ、いただきます」

「飲み物はないの? 何か」

「え? あ、そうですね。忘れてた」ケンジは狭いキッチン横の冷蔵庫を開けた。「麦茶とか、ミネラルウォーターとか、あ、缶コーヒーもありますけど」

「ビール、入ってたりしないよねぇ」

「え? ビ、ビールですか?」

「そ」

「あいにく……。買ってきましょうか?」

「いいよ。麦茶で。ごめん。海棠君が未成年だってこと、ころっと忘れてたわ。あっはっは」

 

 ミカはケンジが麦茶のボトルと二つのコップを運んできた時にはすでに一つの肉まんにかぶりついていた。

「うまい! あつあつだよ。君も早く食べなよ」

「は、はい」ケンジも肉まんをひとつ取り上げてかぶりついた。

「最近元気ないね。どうしたの?」

「え? そ、そんなことないです」

「あたしの目はごまかせないからね。絶対元気ない。何かあったんでしょ?」

「もうすぐ冬ですから」

「はあ?!」ミカはひどくむせて、麦茶を一気に飲み干した。「お代わり」そしてコップをケンジに差し出した。

 ケンジはミカのコップに麦茶を注ぎながら言った。「意味、わかりませんよね」

「わからないね。でも、君がなかなかのロマンチストだってことだけはわかった」そしてミカは二個目の肉まんにかぶりついた。「ごめんね、あたし、こんなで」

「い、いえ……」

 

「よしっ! あたしが話を聞いてやろう」ミカは身を乗り出した。「吐け! 何もかも。吐けばすっとする。飲み過ぎといっしょ」

「何ですか、それ」ケンジは笑った。

「君は飲み過ぎだ」

「は?」

「言い換えれば、自分だけの思い込みと妄想と不安の飲み過ぎ」

 ケンジはミカの言葉にうろたえた。「思い込みと妄想と、不安……。まさに」

「だろ? あたしの眼力をなめちゃだめよ。ずばり、マユミさんがらみでしょ」ミカが人差し指を立てて言った。

「そ、それは……」

「図星だよね? わかってるって。君と妹のマユミさんとは、実は恋人同士なんでしょ?」

 

 ケンジはアリバイが突き崩された罪人のようにうなだれた。「ま、参りました、ミカ先輩。もう何でも白状します」ケンジは床に手をついて頭を下げた。

「それがいい。そうしなよ」

「でも、なんでわかったんです?」

「いくつか証拠がある。一つ目、君たちが駅のプラットフォームで抱き合っているのをサークルの人間が目撃していた」

「えっ!」

「二つ目、大学のキャンパスを肩を組んで歩いている君たちを見ていたヤツがいた」

「あ、あの……」

「三つ目、」ミカが声を潜めた。「ある夏の日の夜、あたしの部屋の上の住人の部屋から、床の軋む音と何やらお互いの名前を呼び合う声が聞こえた」

 

 ミカの部屋はケンジの部屋の丁度真下だった。

 

「ええっ!」ケンジは真っ赤になった。

「このアパート、意外に安普請だからね。どうだ? もう言い逃れはできまい。参ったか。あっはっはっは!」

「お、俺……」

 ミカはケンジの肩をぽんぽんとたたきながら言った。「心配しないで、誰にも言わないからさ」

「す、すみません……」

「しっかし、臆面もなく、人前で大胆なことだわ。ま、若い頃は突っ走るもんだけどね。あたしもそうだったからわかるわかる」ミカは大きくうなづいた。

「ごめんごめん、海棠君。まじめにいこうか。話して聞かせて、君の今のもやもやの中身」

「俺、マユが大好きなんです。妹としてではなく、一人の女のコとして。それに、先輩が言うように、もう一線を越えてます。高二の時から続いてるんです」

「へえ! すごいね、相当想い合ってるんだね。君たち」

「恥ずかしい話ですけど……」

「別に恥ずかしがることないんじゃない?」

「でも、冷静になって考えてみると、俺たちの関係って、異常です」

「まあ、世間一般の考え方でいけばね」

「このまま、こんな関係を続けられるはずがない、そう思うんです」

「理性が成長してきたってわけだ。それでも、マユミさんを目の前にすると愛しくてたまらないから抱いてしまう。一人になると、このままではいけない、って思っちゃうんだね?」

「そうです」

 

「結論は一つ。君たちは結婚できないから、ある位置まで引き返す必要がある」

「ある位置?」

「そう。いわゆる兄妹の関係まで」

「そうですよね、やっぱり」

「でもま、兄妹でセックスしちゃいけないっていう決まりはないから、あんまり深く考えなくてもいいかもしれないけどね」ミカは麦茶を一口飲んだ。「問題はそのプロセスだね」

「プロセスですか?」

「いくつか考えられるね。一つ目、マユミさんに彼氏を作ってやる。君があきらめがつくような彼氏をね。でもそれは辛いだろうね。二つ目、君が彼女を作る。君が惚れ込んで、マユミさんへの想いを忘れてしまうような彼女を。これもなかなか実現できないかー。三つ目、マユミさんの情報を絶つ。会わないのはもちろん、メールも電話も、彼女を想起させる全てのアイテムを処分する」ミカはため息をついた。「それもやっぱり無理か……」

「でも、先輩の仰るとおり、その方法しかないと思います」

「でもさ、海棠君、あんまり無理しない方がいいと思う」ミカが優しく言った。「人の気持ちって、そう簡単に割り切れるもんじゃないよ。君たちもまだ若いんだし、マユミさんの気持ちも大切にしなきゃいけないでしょ? 君だけであれこれ悩んで、それこそ突っ走るのは考えもんだと思うよ」

「……ありがとうございます」

「めそめそすんな! 悩んだら呼びなよ。あたし、いつでも下から食料持って来てあげるからさ」

「ミカ先輩……」

「ただ、ビール二、三本冷蔵庫に入れといてね」

 

 ケンジは久しぶりに笑った。「わかりました。買っときます」

 

「そうそう。笑ってな。少しは気が晴れるからね」

 それから二人は目の前の肉まんを食べ続けた。ケンジも久しぶりに満腹になるまでそれを食べた。

 部屋を出る時、ミカは振り向いて言った。「君を見てると、何だか頼りない弟みたいな感じがするよ。じゃあね」

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