Twin's Story 10 "Cherry Chocolate Time"

《4 約束》


 寝室でベッドに腰掛けたマユミは、コーヒー片手に窓際の椅子に座って本を読んでいるケネスに声を掛けた。「ねえ、ケニー」

「なんや? ハニー」ケネスは顔を上げた。

「真雪のこと、」

 

 ケネスはカップをサイドテーブルに置き、本を閉じて身体をマユミに向けた。「何があったんや? いったい……」

「あたしの勘だと、あの子、龍くん以外の人に抱かれたっぽい」

「なに? ほんまか?」ケネスは驚いて大声を出した。手に持っていた本が床に落ちた。

「詳しくは本人から聞いてみないとわからないんだけどね」

「誰や! そいつは! 龍の大切な真雪に手え出しよって!」ケネスは立ち上がって拳を握りしめた。

「合意の上……だったみたい」マユミは目を伏せた。

「な、なんやて?」ケネスは力なく座り込んだ。

 

 彼はしばらくの間うつむいたまま唇を噛みしめていた。

 

「実習の時、なんやな?」ケネスは静かに言った。

「たぶんね」

「龍……、あいつどんな気持ちなんやろ……」

 

 マユミは顔を上げてケネスを見た。「でも、きっと大丈夫。龍くんとは元通りみたいだよ。もしかしたらむしろ前以上かも」

「龍のヤツ、赦してくれたんか? 真雪を」

「うん。たぶん」

「そうか……。大人やな、あいつ……」

「いろいろあって、二人の絆は深まっていくんでしょうけどね。かなり辛かったみたいだよ、真雪も龍くんも」

「そうやったんか……」ケネスは落ちた本を取り上げてサイドテーブルに置き、マユミの隣に来て座った。「わいにできること、何かあるか? ハニー」ケネスはマユミの手に自分の手を重ねた。


「あの子は、きっとあたしに打ち明けると思うんだ、すぐに」マユミは重ねられたケネスの手を見つめた。「大丈夫。ケニー、あの子たちなら」そして微笑んだ。

「そうやな」ケネスはマユミの手を持ち上げ、その甲にそっとキスをした。そして独り言のようにつぶやいた。「信じたらなあかんな……。大丈夫や、きっと。龍はケンジの子やからな……」

 

 ケネスは少しの沈黙の後、握ったマユミの手を放して静かに口を開いた。

「マーユ、今になってこんなこと言うのも、なんや変なんやけど……」

「どうしたの?」

「わいな、ケンジから以前、言われたことがあんねん」

「何て?」

「ケンジが健太郎の父親や、っちゅうことで、あいつ、わいに罪悪感を抱いとる、っちゅうて」

「そうなの? でも、罪悪感ならケン兄じゃなくてあたしが持つべきだよ。あたしがケン兄に黙ってあの子をこの身体に宿したわけだし」

「いや、マーユもそないな後ろめたさ、感じることはあれへん。ケンジとマーユの繋がりっちゅうか、絆は誰にも断ち切ることはできへん。前にもそう言うたことがある。ケンジにな。それに健太郎かて、その二人の真剣で深い愛情によって生まれてきたんや。決して軽はずみで衝動的なセックスでできた子やない。そやからマーユもケンジも、何も気にすることはあれへん。堂々としてたらええんや。それより、」

 

 ケネスはマユミの目を見た。いつになく真剣なそのまなざしに、マユミは思わず居住まいを正した。

 

「わい、マーユとケンジがまだつき合うてる頃から、マーユのことが好きやった。めっちゃ好きやった」

「うん……知ってる」

「そやけど、マーユとケンジが想い合うてることも、もちろん受け入れなあかんかった。二人の親友として、二人を温かく見守っとった」

「そうだったね、ケニー。感謝してる。でも、あたしたち、無神経だったのかも……。あなたに対して」

「わいな、あんさんらは兄妹やから、いずれ別れなあかんようになるはずや、って心の奥で期待しとったような気がするんや」

「……」

「結婚できへんのやったら、別れるしかあれへん。そしたらその時、わいが、マーユをケンジから奪い取ったる、っちゅう、めっちゃやなこと考えとったような気がすんねん」ケネスはうつむいた。「わい、ケンジの親友でありながら、そんな悪魔みたいなこと、考えとったような気がすんねん」

 

「あなたが、」マユミがもう一度ケネスの手を取った。「そうだったこと、あたし、気づいてたような気がする」

「え?」ケネスは顔を上げてマユミを見た。

「でも、それを言うなら、都合良く自分勝手に考えてたのはあたしの方。ケン兄もケニーも大好きで、どちらかを選ぶことができない。でもケン兄と結婚できないのなら、ケニーがいるから大丈夫、そんな風に安直に考えてた。ケン兄にもケニーにも、とっても申し訳ないこと、したって、今でも思う……」

「そんなことあれへん。マーユは自分に正直に行動しただけやし、その判断は最善やった。わいもケンジもマーユに対して愛しさは感じとっても、責める気持ちなんか、当時ちょっとも持ってへんかったし、今でも持ってへん」

「だって、二人の気持ちを弄んでた、ってことでしょ? 二人があたしのことを愛してくれてるって知ってたから、あたしはその時都合のいいように判断して行動したんだもの」

「いや、これは普通の三角関係やあれへん。特にマーユにとっては、前にも言うたことあるけど、ケンジへの想いとわいへの想いはタイプが全然違うやろ? そやからちゃんと共存できるねん。一枚のコインの表と裏のようにな。そやからわいは、マーユと結婚しても、マーユとケンジとの繋がりを切りたくなかったんや。コインの表だけでも、裏だけでも偽物や。マーユが価値のある本物であるためには、ケンジへの想いも絶対に必要や」

 

「ケニー……」

 

「それに、これもいつか言うたこと、あるやろ? わい、マーユとケンジが愛し合っとる姿見るのん、大好きや、って。これはほんま正直な気持ちなんやで。ケンジとマーユがセックスしとる時は、二人とも最高に感じて、満たされて、癒されとる。わい、ケンジの親友として、マーユの夫として、そういうあんさんらの行為が度々見とうなる。見て、ああ、マーユもケンジもわいの大切な人なんや、って実感できるんや」

「変な人……」マユミは小さく笑った。「だけどケン兄もたぶん、あなたがあたしを奪おうとしてたことに気づいてたと思うよ」

「そうなんか?」

「でも、だからかえって安心したんじゃないかな。ケニーがあたしを奪う条件で、ケン兄はあたしを手放したって気がするんだ。あなたがそんな気でいなければ、ケン兄はあたしをいつまでも手放せない。きっともっと悩んでたと思う」

「そ、そやけどやで、わい、ほんまにマーユを『奪いたい』思てたんやで? ケンジから無理矢理にでも奪いたい、って」

 

 マユミはくすっと笑って言った。「あたし、ケニーがケン兄に『マーユを譲って下さい』て言って、ケン兄も、『はいどうぞ』なんていうことになってたら、二人とも嫌いになってたと思うよ。そんなの恋愛感情じゃないもの。その時のケニーのあたしに対する気持ちって、この女が欲しい、どうしても手に入れたい、みたいな、男性特有の乱暴で野性的な気持ちだったんじゃない? 理性で判断してる場合じゃないでしょ? そういうの」

「そう言われれば……確かにそうやけど……」

「ケニーがそういう燃え上がる気持ちのエネルギーを持ってたから、ケン兄もこいつなら大丈夫だ、って思ったんじゃないかな」

 

「わいで良かったんかな……」

「あなた以外に考えられないでしょ? ケン兄が安心してあたしを譲れる人は、もう親友のあなたしかいなかった。彼はきっとそう思ってた」マユミは一息継いで続けた。「ケニーは本当にあたしたちの間の一番大事なところにいてくれて、あたしとケン兄を上手に繋いでくれてた」

「マーユ……」

「だからさ、ケニーがケン兄からあたしを奪った、ってのも事実だし、ケン兄がその時あたしを泣く泣く手放したってのも事実。でも、それはあたしたちが三人とも結果として望んでいたこと。だからその時はみんな辛かったけど、結局誰も傷つかなかったし、その後もうまくいってる。そう思うけどね」

 

「わい、マーユももちろん愛しとるけど、ケンジのこともめっちゃ好きや。心から」

「知ってるよ」マユミは微笑みながらケネスを見た。「見ててわかるもん」

「ケンジっちゅう男は、当時からわいとマーユ、両方を大きく包みこんでくれてるような気がするんや」

「考えようによっては、そうも言えるかもね」

 ケネスは穏やかな顔でマユミを見た。「そんなケンジの子やから、龍もめっちゃ広くて、大きくて温かい男なんやな」

 マユミもにっこりと笑ってケネスの視線を受け止めた。「そうだね。あたしたちの真雪をしっかり、大切に包みこんでくれる子だよね」

 

 ケネスとマユミはそっとキスを交わした。

 

「そう言えば、」マユミが言った。「あたしがケン兄と付き合ってた頃のグッズ、まだとってあるんだよね」

「あるで。二階の倉庫の中に段ボール箱に入れてあるわ」

「え? お店の屋根裏じゃなかった?」

「あんな大切なもん、ネズミに持って行かれでもしたらどないすんねん」ケネスは笑った。「なんで今頃そんなこと訊くん?」

「あの中にね、真雪たちに渡したいモノがあるんだ」

「へえ。何や? それ」

 

 

「ごめんね、急に呼び出したりして」真雪はテーブルの向かいに座った春菜に言った。

「ううん。大丈夫。私も丁度あなたとお茶飲みたいなって思ってたところだったの」

「そう。良かった」

 

 街中にあるその喫茶店にはカウンターの他に、通りに面した広い窓に沿って四人がけのテーブルが3つ並べて置いてあった。窓にはサンタクロースやトナカイなどのデコレーションが施されていた。

 

「もうすぐクリスマスだね」

「そうだね」

「ケン兄と約束してるの?」

「うん。海の見えるレストランに連れて行ってくれるって言ってた」

「わあ、ロマンチック。さすがケン兄。それで、そのままお泊まり?」

「う、うん。もうホテルも予約した、って言ってた」春菜は頬を赤らめて恥ずかしそうに言った。

「素敵」

「真雪は?」

「龍はまだ高一だからねー」

「夜はどうやって過ごすの?」

「まだ未定」

「どっか素敵なところに行きなよ。せっかくのクリスマス」

「そうだね。でも彼、未成年だから、夜、街をうろついてたりしたら補導されちゃうかも」

「あなたがついてるから大丈夫でしょ。補導員に質問されたら、いとこです、って言えばいいじゃない。嘘じゃないから堂々とね」

「そうね。それもいいかも」真雪はカップを持ち上げ、口に運んだ。

 

 店のドアが開く音がした。いらっしゃいませ、という若い男性店員の声がした。

 

「あ、来た来た」真雪は手に持っていたカフェオレのカップをテーブルに置いて、入り口のドアを入ったところに置かれたクリスマスツリーの横に立っているポニーテールの女性に手を振った。

「ごめんごめん、遅くなっちゃった」夏輝は小走りで二人のテーブルにやって来た。

「そんなに待ってないよ。座って」真雪が促した。夏輝は春菜の隣に腰掛けた。

「今月で実習も終わるんでしょ?」春菜が夏輝に言った。

「もう、長かった……。21か月だよ、21か月。高校出てから」

「来月から念願の本職警察官だよね」

「どうにかこうにか」夏輝は笑った。

「所属は決まったの?」

「一応希望は出したけどね。たぶん地域課だと思う」

「地域課って?」

「要するに『お巡りさん』だよ。交番勤務ってとこ」

「そう」

「で、どうしたの? 急にあたしたちを呼び出したりして。単純にお茶タイムだったらあんたん家でいいわけだし。何かあった?」

「さすが警察官だね。鋭い洞察力」真雪は少しばつが悪そうに笑った後、椅子に座り直して語り始めた。「あのね、」

 

 

「そんなことがあったんだ……」春菜がひどく辛そうな顔をして言った。

「しかし龍くん、心が広いよ。って言うか、大人じゃん」夏輝が優しい目で言った。

「そうなの。龍だから赦してくれたんだって思う。でも、」真雪は視線を膝に落として続けた。「その龍をあたし、裏切った……」

「その自覚があるんなら大丈夫だよ、真雪」夏輝が言った。

「もう済んだことなんだから、忘れなよ。ほら、顔上げて、真雪」春菜も言った。

「ありがとう……二人とも」真雪は涙を人差し指でそっと拭った。

 

「あたしもね、」夏輝が語り始めた。「実習中、何度か危ないこと、あったよ」

「危ないこと?」

「うん。授業受けたり訓練してたりするとね、男ドモが言い寄ってくるわけよ」

「そうなの?」

「女性が相対的に少ないってこともあるし、警察官志望の男って妙に自信過剰なやつが多かったりするんだよね」

「自信過剰?」

「そ。ま、今の同期生だけかもしんないけどさ」夏輝はコーヒーをすすった。「いきなり初対面で『俺と付き合わないか?』とか言ってくるんだよ? 信じられる?」

「ストレートだね」春菜が言った。

「でしょ」

「夏輝可愛いし、脚もきれいだし、活発で明るいし。男性に好かれる要素満載だからね」真雪が笑った。

「で、その時、どうしたの?」春菜が訊いた。

「『蹴飛ばされたくなかったら、あたしの前から消えろ!』って言ってやった」

 

 春菜も真雪も大笑いした。

 

「ま、その程度なら笑って済まされるけどね。今年の夏にはちょっとやばいこともあったよ」

「え?」

「あたし、危うく修平以外の男にふらふらと行っちゃうとこだった」

「ホントに?!」春菜が口を押さえた。

「警察官に採用が決まると、警察学校に入んなきゃいけないんだけど、あたしみたいに高卒の場合は21か月間の『採用時教養期間』って言うのがあってさ、四段階の研修が行われるわけ」

「長いよね」真雪が言った。

「最初の段階が警察学校での『初任科教養』、そして『職場実習』っつって交番での実習。それが終わるとまた学校に戻って『初任補修科生』として勉強や訓練、そして最後の『実戦実習』」

「今、夏輝はその最後の段階なんだよね」

「そうなの。でさ、今も基本的に交番での勤務が中心なんだけど、この実戦実習が始まってすぐの頃、あたし、とっても落ち込んでた時期があったんだ」

「落ち込んでた?」

「そう。週に一度、土曜日の夜は修平と同じ剣道の道場に通ってたんだけど、」

「そうか、警察官って武道もやんなきゃいけないんだよね」

「うん。でも、修平も大学で忙しかったり、あたしも肉体的に疲れてたりで、道場でも日常でも顔を合わせることがほとんどなかった時期があったんだ」

「そうなの……」

「電話やメールだけじゃ満たされないって感じだった」

「うん。わかる、それ」真雪が言った。

 

「ある日、パトカーで実習指導員の巡査長と二人でパトロールしてる時にね、あたし辛くて泣いちゃったんだ」

「勤務中に?」

「そしたらさ、その巡査長が、パトカーを路肩に駐めてあたしを慰めてくれるわけよ」

「優しい人だったんだね」

「確かに優しかった。その時、あたしも彼に食事に誘われた

「で、その誘いに乗ったの? 夏輝」

「乗っちゃったんだよ。どういうわけかね」

「て、天道君のこと、思い出さなかったの?」春菜が恐る恐る訊いた。

「あたしも真雪みたいに、食事でお酒飲んじゃって、何だかその時は、なかなか会えない修平より、今目の前にいるこの優しい人に甘えたい、っていう気持ちになったんだよね」

「そうなんだ……」春菜が悲しそうな顔で言った。

「でも、巡査長は偉かった。そんなあたしに何も手出しせずに、店を出て肩をぽんぽん、って叩いてくれただけで、寮に帰してくれた」

「危なかったね、ほんとに……」真雪が言った。「あたしみたいにならなくて、ほんとに良かったよ、夏輝」

「だから紙一重だって。きっとその時、あたしと真雪は同じ心理状態だったんだと思うよ。単に相手が違ってただけ」

 

「紙一重……か」春菜がつぶやいた。

 

「その巡査長はね、自分はお酒も飲まなかったし、車で来てたのに、あたしを寮まで送らずに、タクシー呼んで乗せてくれたんだよ。変な噂がたったらあたしが困るだろうからって」

「すごい、紳士」

「だよねー。もうそれだけでくらくらしそうでしょ?」夏輝は笑った。「それにね、タクシーを待ってる時『彼の手を放しちゃだめだよ』って言われたの。あたし修平と付き合ってること、一言も言ってないのにだよ。なのにわかっちゃうんだ。すごいよね」

 

「そういう人が本物の紳士なんだろうね」真雪が独り言のようにぽつりと言った。

 

 

「それで、その彼の一言が、あたしを立ち直らせるきっかけになったんだ」

「良かった……ほんとに良かったよ、夏輝」真雪は思わず夏輝の手を取った。

「あたし、たぶんあの時、巡査長に『あたしを抱いて』っていうオーラを出してた。誰かに抱かれて、甘えて癒されたいって思ってたんだ、きっと。その時はあたし、心の中で修平の手を放してたんだと思うよ」

「あたしもそうだった……。その通りだよ、夏輝」真雪は顔を上げて言った。

「その後、やっと修平に会えた晩、あたしも泣いちゃったもん。もう涙が止まらなくてさ」

「しゅうちゃん、受け止めてくれたんだね」

「初めはすっごく戸惑ってたよ。あたしがあいつの前で泣くことなんかそれまで一度もなかったからね」

「そうなんだ……」

「でも、あいつ、何も聞かずにあたしを抱いてくれた。それまでで一番優しく抱いてくれたよ」

 

「さすが天道君だね」春菜が微笑んだ。

 

「だからさ、逆に良かった、って思いなよ、真雪」夏輝が真雪に顔を向けて言った。

「え?」

「もう、こりごりでしょ? あんなこと。あんな思いするの」

「うん。こりごりだよ。もう絶対あんな風にはならないって誓える」

「そうでしょ? 傷は大きかったけど、手当をしてくれる龍くんの手も大きかった」

「その手をまた握り直せた、ってことだよね。以前よりも強く」春菜がまた微笑んだ。

「ありがとう。春菜、夏輝。あたし、この傷跡がある以上、龍があたしを大切にしてくれる以上に彼を大事にしなきゃいけない、って思う」

「龍くんだって負けていないよ、きっと。あんたを大事にすることについてはね」夏輝がウィンクをして言った。「そうそう、その巡査長はね、今もあたしの実習指導員なんだけど、来月結婚するんだって」

「独身だったんだー。輪をかけてすごい」

「奥さん幸せになりそうだね」

「だよねー」

 

 

「もう一つ、あたしの話、聞いてもらっていい?」真雪が切り出した。

「今度は笑ってるから、何か嬉しいことなんだ」春菜も笑いながら言った。

「あのね、あたし、近々龍にプロポーズする気でいるんだ」

「ええっ?!」

「プロポーズ?!」

「びっくりした?」

「そりゃそうだ! いくら愛し合ってると言っても、龍くんはまだ16になったばかりでしょ? 結婚なんてできないじゃん」

「だから、約束するだけだよ」

「どうして、また……」

「あたしって、きっと弱い女だと思うんだ。今回それを思い知った。たった数日龍に会えなかっただけであの始末。だから、彼の手を放さないようにするためにモチベーションを高めたくて」

「なに、その理由」

 

「考えられる龍の反応その1『まだ早いよ。もう少し待ってくれよ』。その2『嬉しい。わかった、約束するよ』。その3、何も言わずに逃げる。どれだと思う?」

「龍くんは絶対うんって言うに決まってるよ」春菜が言った。

「きっとそうだね」夏輝も言った。「長い婚約期間になりそうだね。がんばってね、真雪」

「うん」

「応援してるから」

「何かあったら相談して」

「わかった。そうする」

「時々、あたしたちの悩みも聞いてね」

「もちろんだよ」

 

 

「真雪、」その晩、母親のマユミが真雪の部屋のドアをノックした。

 真雪は立ち上がり、ドアを開けた。「どうしたの? ママ」

「ちょっと話があるんだけど。付き合ってくれる?」

「え? いいけど」

 

 マユミは真雪を部屋から連れ出し、階下のリビング、暖炉の前にやってきた。

 

「どうしたの? こんなところで」

 マユミは持っていた小さな木の箱を真雪に手渡した。「これ、あなたたちにあげる」

「え?」真雪は箱を受け取ってマユミの目を見た。

「開けてごらんなさい」

「うん」真雪はその箱の蓋を開けた。「え?」

 

 二つのペンダントトップが入っていた。一つは弓をつがえたケイロン、もう一つは矢。どちらにも小さな宝石が散りばめられている。

 

「これって……」

 マユミは床に座った。真雪も母の隣に座り、テーブルにその箱を置いて、愛らしい二つのペンダントトップを手に載せた。

 

「それはね、18の誕生日にあたしがケン兄に買ってあげたものなんだよ」

「ほんとに? すごい! おしゃれだね。そんな昔のモノとは思えない」真雪はケイロンの方を右手で持って目の高さに持ち上げた。「きれい、とっても……。センスいいね、ママ」

「でも残念ながら、それ、ケン兄が見立てたんだよ」

「ケンジおじが?」

「あの頃はね、誕生日がくると、お互いに欲しいものを買ってあげるっていうことになってたの。両親にお金もらってね。だから、本当はそれは両親からのプレゼント」マユミは微笑んだ。「20年以上前に買ったものだけど、あなたにあげる。大切にしてね」

「ありがとう、ありがとう、ママ」

「一つは龍くんにあげてね」

「もちろんだよ。偶然だけど、良かった。彼も射手座生まれだからね」

 

 立ち上がろうとしたマユミに真雪は声を掛けた。「あ、ママ」

「なあに?」

「あたしからも、話があるんだ」

 マユミは真雪の横に座り直した。「どうしたの?」

「報告しなきゃいけないことがあって……」

「報告?」

「ママも、パパも、それにケン兄も心配してくれてたと思うけど」

 マユミは小さくうなずいた。

 

「あたし、実習中に、」真雪は母にあの出来事について話し始めた。

 

 

「そう。辛かったね、真雪」マユミは娘の手を取り、優しく撫でた。

「ごめんね、心配かけて。でも大丈夫。龍はしっかり受け止めて、赦してくれた」

「そうみたいね。優しいいい子だね、龍くん」

「うん。さすがケンジおじの息子だよね」

 

 マユミは微笑みながら無言でうなずいた。

 

「それでね、」真雪は一息ついてマユミの目を見た。「あたし、彼にプロポーズする」

「え?」

「まだ早いってわかってる。すぐに結婚したいって思ってるわけじゃない。でも約束したい。あたし彼と結婚する」

 

真雪は母の目をじっと見つめた。

 

「ママが決めることじゃないわ。でも、実際に結婚するまで、いろんなことが起こることも覚悟しておきなよ」

「いろんなこと?」

「今回のあなたの身に起こったこと以上のことだって、もしかしたら……」

「……乗り越える。あたし、乗り越えられるよ、ママ」

「あなた、プロポーズする時、そのペンダントを彼に渡すよね、きっと」

「うん。そのつもり」

 

「約束と束縛は別物だからね」

 マユミがいつになく真剣な顔で言った。真雪は少したじろいだ。

 

「彼の心をがんじがらめにして、自分以外のものを見せないように目隠しするのが『束縛』。間違っちゃだめだよ、真雪」

「ママ……」

 

 マユミは元の穏やかな笑顔に戻った。

「大丈夫。あなたたちなら、きっとうまくいくよ」

「ありがとう。間違わない。あたし、もう……」

「そのペンダント、あなたに渡すこと、ケンジ伯父さんにも言っておいたから」

「そうなの?」

「龍くんがもらったそれをケン兄に見せたら、あの人、どんな顔するかしらね。ふふ、ちょっと楽しみ」

「ほんとにありがとう、ママ」

「じゃあね。おやすみなさい、いい夢みてね」

「ママも」

 

 マユミは立ち上がり、自分たちの寝室のドアに消えた。

 

 

 海棠家の夕餉の時間。

 

「ごちそうさま」箸を置いた龍が続けた「ねえ、父さん、」

「なんだ?」

「改まって話があるんだけど」

「改まって?」

「うん。母さんにも聞いて欲しいことなんだけどさ」

「そうか。それじゃ、夕飯の片付けが済んでから聞いてやろう」ミカが言った。

 

 

 リビングで、龍は両親と向かい合った。ケンジとミカの前にはコーヒー、龍の前に置かれたホットミルクのカップからも湯気が立ち上っている。

 

「人生経験の豊かな二人に訊きたいことがあるんだけどさ」

「なんだ、それ。何が人生経験の豊かな、だ」

「愛し合ってる二人が、付き合いを続けていくための秘訣って、何?」

「愛し合ってりゃ続くだろ。自ずと」ミカがぶっきらぼうに言った。「愛し合う、っていう事実が揺らいだ時に危機がやって来る、そんなもんだ」

「なるほど。そりゃそうだ」

「なに? 龍、お前真雪と揺らいでるのか?」ケンジが心配そうに訊いた。

「危なかった。でも修復した」

 

 ケンジが持っていたカップをソーサーに戻した。「危なかった?」

 

「修復できたことを前提に聞いてね、今からの話」

「わかった」

「真雪が、この前の実習中に不倫した」

「ふ、不倫?!」

「いや、俺たちまだ夫婦じゃないから、不倫なんて言わないのかも知れないけど、つまり、妻子ある男性と三日続けて夜を共にした」龍はうつむいた。

 

「そ、それって……」ケンジが苦しそうに言った。

 

「龍……」ミカも辛そうな顔で龍を見つめた。

 

 龍は顔を上げた。「俺、そのことを真雪本人から聞いた時、胸が爆発しそうだった。身体中が燃えるように熱くなって、涙も出ないぐらい悔しさと怒りがこみ上げてきた」

「そんなことが……」

「でも、何に対しての怒りなのか、いまだにわからない」

「真雪は、」ミカが言いかけた言葉を龍は遮って言った。「でも、真雪は実習から帰ってきた晩に、俺に抱かれながら泣き叫び続けたんだ。俺の名を何度も叫び、ごめんなさいって何度も何度も繰り返して、シーツをぐしょぐしょにして泣き叫んだ。俺、そんな真雪の姿を見るに堪えなかった」

 

「そうだったのか……」

「何があったのか、詳しく聞いたのはその後。でもね、俺が真雪に高校の写真部のことを電話で話した時のことを思い出して、」

「写真部のこと?」

「そう。女の先輩に親切にされた、って嬉しそうに話したこと。考えてみればとっても無神経なことだよね。それって」

「真雪は、丁度その時きっとお前に会いたくて、抱かれたくてしょうがなかったんだろう。寂しかったんだな、きっと」

「俺もそう思う。だから罪の半分は俺のものだって思ったら、なおさら真雪がかわいそうになって、って言うか、申し訳ないって思って……。自分が許せない気持ちになってた」

「ありがちなことだが、その結果は痛すぎるな」ミカが言った。「そういう迷いや誘惑は、たびたびやってくるが、たいていそんな大きなことにまで発展する前に、収まるもんだ。不幸だったとしか言いようがないな、特に真雪にとっては」

「食事に誘われて、お酒を飲まされて、そのままホテルに連れ込まれて……」

「もう言うな! 思い出したくもないことなんだろ?」ケンジが強い口調で言った。

「俺、結果的に真雪を赦したことになってるけど、まだ胸に大きなモノがつかえている気がする」

 

「時間がかかるだろうな。その傷が癒えるのには。お前も真雪も」

「だから、何かが欲しいんだ、何かが……」

「何か?」

「たぶん杞憂だとは……思うけど、気を抜いたら、真雪の手がまたするりと俺の手から離れていくような気がして……。そんなことはもうないと思うけど……」

「ないだろう。こんな痛い出来事を経験すれば、もう今後はないだろう。『雨降って地固まる』ってやつだ」

「龍が今、欲しいものは、おそらく、お互いの気持ちを信じるっていう証拠、みたいなものかな」ケンジが言った。

「真雪を抱いて、愛し合うだけじゃ、落ち着かない、そんな感じ。そう、証拠、そうかも知れない」

「結論から言えば、時間が解決してくれる。それは間違いないことだよ」ミカが言った。「お前が今、落ち着かないことはわかる。でもそれで焦って妙なことを真雪に要求したりするのは止めた方がいい」

「要求?」

「いつも真雪を見張り、真雪の行動をチェックし、頻繁にメールしたり電話したり……。そういうことはするな。絶対に。逆効果だ」

「わかってる。そんなことはストーカーがやることだからね」

 

「何度も言うようだが、いずれ時間が経てば消えていくさ、その胸のつかえも」ケンジが言った。

「一緒に食事をしたり、何かプレゼントしたり、とにかくいっぱい話すことだね。それが付き合いを続ける秘訣って言えるかも」

「丁度クリスマスも近いし」ケンジが言った。「ま、お前の小遣いじゃ、大した物は買えないだろうが、気は心、高価なモノでなくても、お前の気持ちがこもっていれば立派なプレゼントだよ」

「そう思うんならさ、小遣い額アップしてよ」

「むむ……やぶ蛇だったか……」

「いいよ。特別に今回だけ、真雪へのプレゼントを奮発するっていう条件で倍額にしてやろう」ミカが言った。

「あ、ありがとうございますっ! 母上!」龍は床に土下座して頭を下げた。

「お前が真雪の気持ちと身体ををしっかりと受け止めてやったご褒美、だな」ケンジも言ってテーブルのカップを持ち上げた。

「ごめんね、父さん、コーヒー冷めちゃったでしょ?」

「構わんよ。ミカの愛が冷めることに比べたら、このぐらい」

「あたしの愛をコーヒーと一緒にすんな」ミカは笑った。

 

 

 部屋に戻った龍は、ケータイの着信有りを示すランプが点滅していることに気づいて、すぐにそれを手に取った。

 

「あ、真雪からだ」

 

 龍は短縮ダイヤルを押してケータイを耳に当てた。すぐに通話が繋がった。

『クリスマスイブは、絶対うちに来てねっ!』いきなり真雪がケータイの向こうで力んで叫んだ。

 突然の真雪の大声に龍は驚いて言った。「ま、真雪、な、何もそんな……、」

『24日だよ、絶対だからねっ! 約束したから!』

「わ、わかった。い、行くよ、必ず」龍はたじたじとなって情けない声を出した。

『暖炉の前で夕方6時。待ってるから。じゃあね』

 

 電話が一方的に切られた。

 

 

 クリスマスイブ。約束の時刻に、龍は『シンチョコ』離れのドアを恐る恐る開け、小さな声で言った。「真雪ー、来たよー」

「龍っ!」いきなり真雪が龍に飛びかかった。

「わっ! ま、真雪!」

 真雪はしばらく龍にしがみついたまま離れなかった。

 

 

「真雪、なに興奮してるの?」

 

 暖炉の前でコートを脱ぎながら龍は言った。

 

「ごめん、龍、ちょっと落ち着くから」真雪は直立不動で目を閉じ、胸を押さえて何度も深呼吸をした。

 龍は暖炉の前に座って、そんな真雪の姿を見上げ、呆れたように微笑んだ。「変な真雪……」

 

 テーブルには薪の形のクリスマスケーキ『ビュッシュ・ド・ノエル』。デコペンで『龍&真雪 in Love』と書いてある。龍の好きなポテトサラダやハムやチーズの盛り合わせ、それにチキンナゲットの皿がそれを取り囲んでいる。背後の暖炉には赤々と炎が燃え立っていた。そしてその暖炉の上に小さなクリスマスツリー。色とりどりのオーナメントが吊されている。

 

「ケン兄は春菜を誘って出かけた。今夜は帰ってこない」真雪が龍の正面に正座し、顔をのぞき込んで言った。「ケニーパパもマユミママも、街で二人きりのイブ。今夜は帰ってこない」

「そ、そう……」

「だ、だから、今夜はあたしと龍、二人きり」真雪は龍の手を取った。真雪の手のひらは少し汗ばみ、細かく震えていた。

「真雪、まだ落ち着いてないように見えるけど……」

 

「龍っ!」真雪は噛みつかんばかりに龍に迫り、いきなり大声を出した。

「は、はいっ!」

「あ、あたしと、け、け、結婚してっ!」

 

 龍は目の前の真雪に負けないぐらい目を大きく見開いて絶句した。

 

「……あたしと、結婚……して」真雪は泣きそうな目をして龍を見つめた。

 

 龍はにっこりと笑った。「もちろん。俺もそのつもり。結婚しよう! 真雪」

 

 急に緊張が解けた真雪は、大きなため息を遠慮なくついた。目から涙がぽろぽろとこぼれた。

「龍、龍、あたし……」

 龍は真雪の身体をそっと抱きしめ、彼女の耳元で囁いた。

「先を越されちゃったね」

「え?」

「実は、俺も言おうと思ってた。今夜」

 龍は真雪を抱いていた腕を解いた。

「ほんとに?」真雪は涙を拭って笑顔で言った。

「でも、どうやって、いつ言い出したもんかな、ってここに来るまでの間、ずっと考えてた」

「そうだったんだ……。嬉しい、あたし……」

「がんばったね。真雪。君の勇気を讃えるよ」

 

 

 真雪が階段下のキッチンスペースから二つのスープ皿をトレイに載せてテーブルに運んで来た。

「ミルクたっぷりのジャガイモのポタージュスープだよ」

「ありがとう。今日の料理、全部真雪の手作りなんでしょ?」

「うん。味は保証しないけどね」

「愛がこもっている料理にまずいものはないよ」

「調子のいいこと言っちゃって」真雪は龍の額を小突いた。

「乾杯しよう」

「そうだね」真雪は二つのグラスにジンジャーエールを注いだ。「パイナップルジュースもあるけど。それとも牛乳がいい?」

「あ、いいね。後でどっちもいただくよ」

 

「乾杯!」二つのグラスが合わされた。「メリークリスマス!」

 

「何だか、とってもあったかい。いつもに増して、真雪といられることが、とっても心地いい」

「あたしも。龍とこの世で出会えたことが、最高に素敵なことに思える」

「安物のプレゼントだけど、欲しい?」龍がバッグからごそごそと包みを取り出しながら言った。「欲しくない、って言ってもあげるけどさ」

「言わないよ、欲しくないなんて」真雪が笑った。

「こないだ言ってたよね、ネックレスが欲しいって」

「わあ! 覚えててくれたんだ、龍」

「つい二三日前のことでしょ。あれって、今日のプレゼントのリクエストだったんじゃないの?」

「そのつもりもちょっとあった」真雪は頭を掻いた。

「ほんとに安物だよ、期待しないでね」

「龍のくれる物は何でも宝物だよ」

「調子のいいこと言っちゃって」今度は龍が真雪の額を小突いた。

 

 それは二本の銀の細い鎖だった。「俺と真雪、おそろいだ」

「よしっ!」真雪は叫んだ。

「なんだよ、『よし』って」龍はあからさまに怪訝な顔をした。

 真雪は暖炉の上のクリスマスツリーの横に置いてあった箱を手に取り、龍に手渡した。「開けてみて」

「う、うん」龍はその包みを開け、現れた木の箱の蓋を取った。

「こ、これは!」ケイロンの弓そして矢のペンダントトップだった。「きれい! すごい! これもおそろいだ」

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「つけてみようよ、今」真雪が焦った様子で言った。「龍の買ってくれた鎖につけて」

 

 龍がケイロンの弓、真雪が矢の方のペンダントを首につけ合った。

 

「いい感じ」龍が言った。

「素敵っ!」真雪も言った。

 

 

「うちのママと、あなたのお父さんが恋人同士だった頃、そのペンダントを買ったんだって」

「そうなんだ」

 

 二人は暖炉の火を見ながら並んで膝を抱えて座っていた。

 

「二つを重ね合わせると、射手座の星の並びができるんだよ」

「ほんとに? すごいね。よくできてる」

「ケンジおじ、すっごくロマンチック。龍がその血を受け継いでくれてて良かった」

 龍は頭を掻いた。

「外出してイブを過ごしたかっただろ? 真雪も」

「いいの。あたしとにかく龍といたい。いっぱい話したい。それに、」真雪は龍の顔を見た。「ここだったら人目を気にせず抱いてもらえるし、キスもできるじゃん」

「そうだね」龍は笑った。「何だか、暑くない?」

「うん。あたしもそう思ってた」真雪は着ていたニットのセーターを脱ぎ始めた。

 龍もトレーナーを脱いだ。それから二人はどんどん着衣を脱ぎ始めた。あっという間に二人とも下着だけの姿になった。

 

 龍は再び真雪の肩を抱いた。真雪も龍にもたれかかって腰に手を回した。

「それともう一つ」

「え?」

「あたしがこの場所に拘った理由があるんだ」真雪はまた暖炉の火を見つめた。「ママは19の時、この暖炉の前でパパにプロポーズしたんだよ」

「ほんとに? すごいね、マユミおばさん」

「あなたのお父さんとそのまま付き合い続けることができない、ってその時ママはすっごく落ち込んでたんだって言ってた。頼れるものはケニーパパの温かさだけだ、って思ってプロポーズしたんだって」

「そう言えば父さんも言ってた」

「何て?」

「実の妹と結婚できない以上、マユミおばさんとは別れなければならない。父さんがその冬、大学に戻る前の晩に、二人は最後の夜を過ごしたんだって」

「そうなんだってね。でも、それってとっても切ない夜だね」

「二人とも辛かっただろうね」

「でもね、ママって、その時すっごく大胆な行動に出たんだよ」

「え? 大胆?」

「そう。パパにプロポーズした夜、ママはパパをベッドにねじ伏せて、無理矢理セックスしたんだって」

「ね、ねじ伏せて? あのケニー叔父さんを?」龍は赤くなった。

「その次の日の晩がケンジおじとの最後の夜。実はその頃ママ、自分が丁度排卵期だってこと知ってたらしくてね」

「ってことは、妊娠の可能性が高いってことじゃん」

「そう。それがママの企て」

「妊娠したかった、ってこと?」

「ケニーパパかケンジおじの子ども、どちらかが欲しかった、って言ってた。って言うか、自分ではどっちか決められなかったらしいんだよ」

「確かに大胆かも……」

 

「結果、どちらの子どもも授かった」真雪が満面の笑みで言った。

 

 龍は少し考えて、突然叫んだ。「え? も、もしかしてその時マユミおばさんが授かった子どもが真雪とケン兄なの?!」

「その通り」

「へえー!」

「とっても珍しいケース。二つの卵子にそれぞれ違う人の精子がたどり着いて、父親が違う双子が生まれた。『異父双生児』って言うんだよ」

「すごいよ、それって。そうだったんだ、知って驚く衝撃の真実! 俺、まさか真雪とケン兄の父親が違うなんて思いもしなかったよ」

「普通はそうだよ。あり得ない確率。ケニーパパの方があたし、ケン兄はケンジおじの子」

「じゃ、じゃあ、ケン兄は半分俺の本当の兄貴ってことじゃん」

「見てわかるでしょ? あなたとケン兄、ほんとにそっくりなんだから」

「そうかー、そうだったのかー」龍は興奮冷めやらぬ様子でつぶやいた。

「まさに奇跡」

 

「この場合、一番心が広いのはケニー叔父さんだね」

「聞いてみたら、けっこうあっさりしてたよ、パパ。ケン兄の父親がケンジおじだってことは、生まれる前から勘づいてたらしいしね。あたしたちが生まれた日、病院でパパ『マーユの子であることに間違いはないから、二人とも同じように育てるつもりや』って言ったらしい」

「わかる。彼なら言いそう」

「でもね、『健太郎がケンジの子やなかったら、そうはいかんかった』とも言ってたらしい。ケン兄から聞いた」

「ケニー叔父さんとうちの父さん、本当に心からの親友なんだね。ある意味羨ましいな」

「二人が友だちになったのも偶然だけど、ママがケンジおじと愛し合って、でも別れなくちゃいけなくなって、ケニーパパがママと結婚して、ケンジおじはミカさんを選んで……。いろんな偶然が重なって、あたしたちここにいるんだよね」

「そうだね。まさに奇跡の積み重ね」

 

 龍と真雪は身体を寄せ合い、しばらく黙ったまままた暖炉の火を見つめた。

 

 

「ねえ、龍、そろそろケーキ食べない?」

「いいね」

 

 その大きなチョコレートケーキには砂糖漬けのチェリーとラム酒漬けのチェリーが載せられていた。

 

「これは誰の作?」

「ケン兄だよ」

「へえ! ケン兄、もうこんなに腕上げたんだ。売りに出せるよ」

「元々器用な人だからね。あたしが龍とここで過ごす、って言ったら、作ってくれた」

「俺もいい兄貴を持ったよ」龍は笑った。「ケン兄は元々兄貴、君と結婚しても義理の兄貴。変なの」

「ほんとだね」真雪も笑った。「でもね、このデコペンの文字書きながらケン兄、ぶつぶつ言ってたんだよ」

「え? 何て?」

「二人の名前、画数多すぎだ、特に横画が、って」真雪は笑った。

「それでもちゃんと漢字で書いてあるところがすごい。だから俺、ケン兄が好き」

「あたしも」

 

 龍がケーキの上に乗せられていたラム酒漬けのチェリーを一つ、指でつまんだ。「ねえねえ、真雪、」

「何?」

「これ、口に入れて、キスして」

「えー、どうしたの? 急に」

「俺、お酒飲めないから、間接的にお酒を味わってみようかと思って……」

「この前、自分で食べてたじゃん。それ」真雪が呆れたように言った。

「いいじゃない、お願いだから」

「もう、龍ったら」真雪は照れ笑いをしながら龍に向かって口を開けた。龍はつまんだチェリーを真雪の口に放り込んだ。真雪はそのまま龍の頬を両手で包み込み、唇同士を合わせた。

 

 龍は舌を真雪の口の中に差し込みながら、真雪の背中に腕を回した。「ん……」真雪が目を閉じて小さく呻いた。

 プツッ。真雪のブラのホックが外された。真雪はとっさに龍から口を離した。「あ!」

 真雪は龍の頬を両手で押さえつけたまま、じろりと睨んで言った。「龍っ、あなた最初からこれをやるつもりだったんだね」

「えへへ、」龍は真雪のブラの肩紐に手を掛けた。「フロントホックだったらできなかった」彼はにこにこしながら言った。

 

 真雪は龍から手を離し、彼がブラを外すのを手助けした。

「もう、龍ったら……」

「真雪ー……」龍は再び真雪の背中に手を回し、露わになった真雪の二つの乳房に顔を埋め、鼻を谷間にこすりつけた。

「そんなに気持ちいい? あたしのおっぱい」

「言ったでしょ、一晩中こうしていても満足かも、って」

「あたしも気持ちいいよ、龍にそうされてると」

「んー……」龍はずっと顔を二つの乳房に擦りつけていた。

「もういいでしょ? 龍、そろそろケーキ食べようよ」

「また、後でしてもいい? ベッドで」

 真雪は笑って言った。「いいよ。思う存分。でも、サラダだけだと物足りないよ。オードブルからスイーツまで、全部食べようね」

「わかってるって。今なら二食分ぐらい食べられるかも」龍も笑った。

「やだー、龍のエッチ。あたしお腹いっぱいになって動けなくなっちゃうよー」

 

 

「あたしね、」真雪が、切ったケーキを二つの皿に移しながら言った。「あなたに初めて抱かれた時のことを、今思い出してる」

「わけがわからないまま、終わってたあれだね」

 真雪は笑った。「そう。わけがわからなかったあれ。あれからあたしたち、何度も抱き合って、セックスもそれなりに上手になったけど、」真雪は龍のケーキ皿に砂糖漬けのチェリーをもう一つ載せた。「あの時にあなたにあげたチェリーと比べて、どう?」

 

 龍もまたラム酒漬けのチェリーをつまんで同じように真雪の皿に載せた。「俺だって君にチェリーをあげたでしょ」

「このチェリーみたいに、甘くなったかな」

「摘み立てのチェリーの味はよくわからなかったけど、今はそれをゆっくり味わうことができるよ。すっごく甘く、美味しくなってるもの」

「そう」真雪は嬉しそうに言った。「龍のチェリーも、そうだよ」

 

「真雪、もっとくっついてよ。さくらんぼみたいに」

「なに甘えてるの? 龍」

「くっついてケーキ食べたい」

「龍ったら……」

 

 二人は並んでぴったりと身体を寄せ合った。彼らの背後の暖炉でぱちぱちと薪がはぜて、炎が勢いを増した。

 

2013,7,27 最終改訂脱稿

 

龍と真雪の「ビュッシュ・ド・ノエル」

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《Cherry Chocolate Time あとがき》

 長い話を最後まで読んで下さった方に、心より感謝します。

 僕自身、若い頃つき合っていた彼女が、妻子ある男性に寝取られた経験があります。

 遠距離だった彼女が職場の男性と同衾を重ねたのです。

 久しぶりに会って、夜を共にした時、彼女が泣きながら告白してくれたことで知りました。

 その時僕の中で渦巻いていたのは、嫉妬、悔しさ、苦痛、悲しみ、怒り、そしてこれが一番大きかったのですが、彼女を絶対に離したくない、という気持ち。

 結局彼女は、それから仕事を辞め、その男性とは縁が切れて、僕の元に戻ってきました。僕は自分のイニシャルのペンダントをプレゼントし、結婚の約束をしました。

 だから、僕には龍の気持ちが痛いほどわかります。

 やるせなく身を切られるような思いを抱いていた僕を、友人たちは励まし、それでも過ちを犯した彼女のことを誰一人悪く言ったりすることはありませんでした。その彼らの温かい気持ちが、僕の心をずいぶんと癒してくれたことを思い出します。

 龍を「裏切った」と表現した真雪の方もとても不憫でかわいそうですが、まだ十代の龍が、周囲の温かいまなざしを浴びながら彼女を一生懸命赦す姿を、僕は全力で描いたつもりです。

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