Twin's Story 7 "Milk Chocolate Time"
-第2章 1《牧場と露天風呂》-
8月3日。『Simpson's Chocolate House(Simpson's Chocolate Houseについて)』の駐車場。去年よりまた一回り大きくなったプラタナスの木でやかましく蝉が鳴いている。
「さあ、出かけようか」ケンジが言って、ワゴン車の運転席のドアを閉めた。後部座席の窓を開けて、真雪が言った。「じゃあ、行ってくるね、グランマ、グランパ」
店の前でアルバートとシヅ子が微笑みながら手を振った。「楽しんでくるんやでー。マイハニー」
車がゆっくりと動き出した。「高速に乗って二時間、降りて一時間ってとこだな」ケンジがハンドルを切りながら言った。助手席のミカが後を振り向いて言った。「子どもら、なんか飲む?」
「パイナップルジュース!」一番後のシートに真雪と健太郎と共に座っていた龍が叫んだ。
「後ろのクーラーボックスに入ってるから、勝手に取って飲みな」
「わかった」
「パパは?」真雪が訊いた。
中央のシートにマユミと二人で座っているケネスが応えた。「わいは、」ミカがその言葉を遮って言った。「ビール。ビールがあるだろ、真雪、大人にはそいつを回してくれ」
「ミカ姉、相変わらずやな」ケネスは眉をひそめた。「去年みたいに、へべれけにならんといてな。頼むから」
「わかってるよ」ミカはケネスからバトンタッチされた缶ビールを受け取って笑った。
「俺にも取ってくれ、」ケンジが言った。「缶コーヒーかなんか、あっただろ」
「今取ってあげるよ、ケンジおじ」健太郎が言った。
昼前に目的地に着いた。
「おお、思ったより垢抜けたロッジじゃない?」
山間に建つその宿泊施設は、山小屋風の外観で、近くの山で採れる豊富な木材をふんだんに利用した温かみのある建物だった。標高が高いので、蝉の声は聞こえるが、時折吹きすぎる風はひんやりとしていた。
「気持ちいいね」龍が深呼吸をした。
「山もいいよね。なかなか」真雪も言った。
遥かに山が連なっている。ロッジの裏手には青々とした草原が広がり、遠くには牧場が見えた。
「牧場!」真雪が叫んだ。「乗馬できるかな?」
「ここに荷物を預けてから行ってみようか、昼ご飯もかねて」
「ごはんも食べられるんだ、あの牧場」
「観光牧場だからね。龍の好きなミルクも飲めるぞ。最高においしい搾りたてがな」ミカが荷物を車から降ろしながら言った。
「意外に広い牧場だね」龍が車から一番に降りて言った。そして続いて降りてきた真雪の手を取ってビジターハウスに向かって駆け出した。
「龍のやつ、」ミカが言った。「あのはしゃぎよう。ただ事じゃないね」
「幼児並みだな」ケンジも言った。
「無邪気でいいじゃん」マユミが微笑みながら言った。「身体は大きいけど、真雪の弟って感じだよね」
マユミの隣に立ったケネスが腕組みをして言った。「その『弟』と、すでに深い仲なんやろ? 真雪のヤツ」
「ケニー、認めてないの?」
「いや、龍やから許す。変なムシが真雪につくこともあれへんやろうからな」
「えー、そんな理由? もしかしたらあたしたちの義理の息子になるかもよ。龍くん」
「わかってるがな。でもそないなったところで、今とあんまり変われへんな」ケネスが笑いながらビジターハウスに向かって歩き始めた。
「真雪、馬に乗りたいだろ?」ケンジが言った。
「うんっ!」真雪は元気よく言った。
「乗っておいでよ、マユ姉」
ケンジがケネスの横に立って訊いた。「なんで真雪はあんなに乗馬が好きなんだ? ケニー」
「ようわからへん。ちっちゃい頃にポニーに乗せてやったらはまってしまいよった」
マユミが言った。「今も月に一度は乗馬クラブに通ってるんだよ」
「そうだってな」
裏に広がった牧場の周りを取り囲むように、木の柵で仕切られた道が作られている。すでに一頭の馬に跨がっていた真雪が手綱を持って言った。「龍くんも乗りなよ」
「え? ぼ、僕はいいよ」
「何で? 怖くないよ」
「こ、ここで見てるよ。っていうか、写真、撮ってあげるよ、マユ姉が馬に乗ってるとこ。」
「そう? じゃ、行ってくるね」真雪は馬の首を何度か優しく撫でた。馬はしっぽをゆっくりと振りながら鼻を伸ばした。
「お嬢さんには、ガイドは必要なさそうですね」馬の横についていた若い男性がちょっと感心したように言った。「乗馬の経験がおありですか?」
「はい。もう10年ぐらい前から」
「そりゃすごい! 僕よりずっとキャリアは上だ」
真雪は手綱を引き、馬をゆっくりと歩かせた。龍は手に持ったカメラを構えて何度もアングルを変えてシャッターを押した。
「ねえねえ、ケン兄、」
「なんだ?」
「馬の後ろ足の間の、あの物体って、なに?」
「物体? ああ、あれはお前、馬のアレだよアレ」
「でかっ!」龍は驚いて叫んだ。「あ、あんなものでエッチするの? 馬って」
「お前、何考えてんだ?」
「だ、だって、あのでかさ、普通じゃないよ。僕のに比べて10倍ぐらいの大きさはあるんじゃ?」
「何でお前、自分のと比べるかな。それとも何か? お前マユがあれでやられてるのを想像してんのか?」
自分で言いながら健太郎は赤面していた。
「マユ姉、喜ぶかな……」
「ばかっ! 変な想像するなっ!」
龍は馬に乗って遠ざかっていく真雪を見つめていた。一瞬、彼女が全裸で馬に跨がっている姿が脳裏に浮かんだ。龍は自分の身体の中で熱い気泡がいくつも弾けたような気がした。
いきなり後ろの方からミカの声がした。「おーい、龍、おっぱい触りたくないかー」
健太郎と龍は慌てて振り向いた。「な、なんてこと言ってるんだ、母さん。こ、こんな所で、誰のお、お、おっぱいを、」
「牛だよ、牛。乳牛の乳搾り、してみないか、って言ってんだよ」
「だ、だったら最初からそう言ってよ。びっくりするだろっ!」
近くにいた観光客が一様にくすくすと笑った。
「もう、恥ずかしいったらありゃしない……」龍はぶつぶつ言いながら、その牛舎に入っていった。
「じゃあ、ここに座って下さい」ガイドの若い女性が言って、龍と健太郎を乳牛の横にある木の椅子に座らせた。
「でかっ!」また龍が言った。「牛のおっぱいって、実際に見るとかなりでかいね、ケン兄」
「お前、今度はマユのと比べようってのか?」健太郎がいぶかしげに言った。
「こうして、手を添えて、指を一本ずつ人差し指から、」ガイドの女性はそう説明しながら実際にやって見せた。「わかりましたか?」
「はい。やってみます」
背後に立ったケンジが言った。「搾ったミルクは搾っただけ飲めるんだと」
「いっぱい搾ってくれよ、龍」ミカも言った。
「がんばって」マユミがソフトクリームを舐めながら言った。
「マーユ、それわいにも舐めさせてーな」
「いいよ。はい」マユミは持っていたソフトクリームをケネスに手渡した。ケネスはそれをぺろぺろと舐め始めた。
「おお、めっちゃうまいソフトクリームやな。やっぱ、原料のミルクから違うんやろうな……」
龍はおそるおそる目の前の牛の乳房に触った。「あったかい! ケン兄、あったかいよ。それに意外に柔らかくて気持ちいい」
健太郎は無表情のまま抑揚のない声で言った。「そうか、そりゃよかったな」
「なに? なんでそんなに無愛想かな」
「お前が次に口にする言葉を、想像してんだよ」
「え?」
「マユのおっぱいよりあったかいだの、マユのおっぱいの方が柔らかいだの言うんじゃないかと思ったんだよ」
「マユ姉のの方が柔らかくてあったかいよ」
「まったく……」
「あたしの何が柔らかいって?」不意に二人の背後から声がした。
「えっ?!」健太郎と龍は同時に振り向いた。「マ、マユ姉!」
「よく聞こえなかった。あたしがどうしたって?」真雪は微笑んで龍の横にしゃがみ込んだ。龍は真剣な顔で牛乳を搾り始めた。
「マユ、この牛のおっぱいより、お前のの方があったかくて柔らかくて気持ちいいんだとよ」健太郎がおかしそうに言った。
「やーね、龍くんのエッチ」真雪は軽く言って微笑んだ。
「な、なんと! 予想外のリアクション!」健太郎は意表を突かれて仰け反った。
龍は顔を赤くしながら無言でひたすら乳搾りを続けた。
◆
牧場の一角に自然食レストランがあった。7人はそこで昼食をとることにした。
「茹でたオーガニック野菜の盛り合わせ、ヨーグルト豚のソテー、」ケンジがメニューを見ながら言った。
ミカが聞き直した。「『ヨーグルト豚』?」
「ヨーグルト状に発酵させたえさで育てた豚なんだと。揚げ豆腐のオイスターソース、地鶏の冷製オードブル、ヤリイカとジャガイモのニンニクソース」
ケネスが訊いた。「何で山やのにヤリイカなんや?」
「知るかよ」
「でも、どれもおいしそうね」マユミが言った。
「バイキング形式だ、お前ら、先に取ってこい」ミカが子どもたちを促した。
「うん」三人は席を立った。
間もなくウェイターがピッチャーを持って彼らのテーブルにやって来た。「先ほどの牛乳でございます。低温で殺菌してありますので、風味を損なっておりません。どうぞ、お召し上がり下さいませ」
「ありがとう」ミカがそう言って、ピッチャーから7つのグラスにその搾りたての牛乳を注ぐと、ケンジがそれぞれの前に並べた。
龍と真雪がテーブルに戻ってきた。龍の持った皿には山のようにいろいろな料理が積み上げられていた。
「龍、お前のそれはもはや料理ではなく生ゴミだな」ミカが呆れて言った。「一度に持って来なくても、また取りに行きゃいいだろ、まったく……」
「真雪はそれだけか?」ケンジが言った。
「いろいろ少しずつ食べてみて、気に入ったのがあったら、また取りに行く」
「龍、お前のハニーを少しは見習え」ミカが言った。「そんな行儀の悪いとこ見られたら愛想尽かされるぞ」
龍はすでに皿の料理をがっついていた。
テーブルに健太郎が戻ってきた。「奥にチョコレート・ファウンテンがあったよ、父さん」
「何っ?! ほんまか?」ケネスは立ち上がった。
「さすがチョコレート職人、さっそくリサーチする気なんだな」ケンジが言った。
食事を終えてレストランを出る時、ケネスはレジのウェイターに何やら話しかけていた。ケネスの話を聞き終えたウェイターは、彼を連れて、奥のスタッフルームに向かった。
「どうした? ケニー」ケンジが声をかけた。
「ちょっとここの支配人と話してくるよってに先に宿に戻っててくれへんか?」
「わかった。じゃあ、用が済んだら連絡しろよ、迎えに来るから」
「そうやな。手間取らせて悪い、ケンジ」
「気にするなよ」
ミカが駐車場の車に向かいながらマユミに話しかけた。「ケネス、何か思い立ったのかね」
「きっと、商談だよ」
「商談? チョコレートの売り込み?」
「さっきの牛乳に感動してたから、ケニー。もしかしたら、うちで作るミルクチョコレートの原料を調達しようとしてるのかもしれないね」
「なるほど、そういうことか」
「もしそうなれば、うちのチョコレートをここに提供することもできるしね」
「ケネス、まじめに働いてるじゃないか。感心感心」
◆
ケネスを除く6人はロッジに戻り、ロビーに入った。
「お風呂は入り放題なんだよ。真雪、汗かいてるでしょ? 入ってくれば?」マユミが言った。
「家族湯もあるらしいぞ、マユ、」健太郎が言った。そして小声で続けた。「龍を誘ったらどうだ?」
「やだー、ケン兄のエッチ」
予約した部屋は3つ。そう、忘れてはいけない、今日8月3日はケンジとマユミのスイートデー。おまけに健太郎の初体験記念日、である。宿泊棟をつなぐ長く曲がりくねった廊下の一番奥の部屋『オーク』が子どもたち、その手前『メイプル』がケネス夫婦、そのまた手前『ポプラ』がケンジ夫婦の部屋ということになっていた。
ケンジが『オーク』を訪ねた。部屋の中では健太郎が一人でテレビを見ていた。
「あれ? 真雪と龍は?」
「風呂」
「な、なにっ?! ほんとに二人で行ったのか?」
「行ったよ、家族湯に。手つないで」
「まったく、なりふり構わずというか、恥ずかしげもなくというか……」
「いいじゃない、ケンジおじ、龍は特に今回は大目に見てやってよ」
「そうだな」ケンジは一つため息をついた。「ところで、」
「何?」
「お前、どうする?」
「どうするって?」
「今夜だよ、今夜」
「そう、それ、それは俺も考えてた」
「だろ?」
「この部屋にいたら、きっといたたまれなくなる」
「あの調子じゃ、龍と真雪はくっついて離れなくなるだろうからな」
「だよねー」健太郎はあきれ顔で言った。「俺、鼻血の海に溺れちまう。でもケンジおじと母さんもくっつき合うんだろ? 今夜」
「え? ま、まあな……。知ってたんだな、健太郎」
「へへ……。去年の今日、知った」
「ミカに訊いたのか?」
「うん。本当の記念日のこと、教えてもらった」
「そういうお前はミカとくっつきたい、だろ?」
「えっ?!」
「今日はお前の記念日でもあるんだし」
「そ、そうだけど……」
「ミカはもうすでにその気でいるぞ」
「ほ、ほんと?」健太郎はひどく嬉しそうに言った。
その時、ドアを開けてケネスが顔をのぞかせた。
「あ、父さん。どうだった? 牧場での話」
「ああ、なかなか前向きな支配人やったで」
ケンジが言った。「おまえの店の商品に使えそうか?」
「牛乳は品質管理もしっかりしとるし、とりあえずここの生乳を使ったチョコレートを試供品としていくつか作ってみることにした」
「そう」健太郎は微笑んだ。「うまくいくといいね」
ケネスは部屋の中を見回した。「ところで、なんや、健太郎、置いてけぼりか?」
「いや、龍たちといっしょに露天風呂なんかに行けるわけないから」
「何っ? 龍と真雪は風呂か? いっしょに?」
健太郎は呆れたようにうなずいた。
「もう誰にも止められへんな、あの二人……」
「父さん、」健太郎が少し神妙な顔で言った。
「ん? どないした、健太郎」
「俺を息子として育ててくれて、感謝してる」
「いきなり何言い出すか思たら……」ケネスはケンジをちらりと見て、一つため息をついて続けた。「お前は息子やないか。わいとマーユの」
「でも、」
「健太郎は真雪といっしょにマーユから生まれたんや。わいは彼女の夫や。正真正銘、お前らはわいたちの息子と娘やないか」
「父さん……」
「そやけどな、お前がこのケンジの子やなかったら、そうはいかんかったかも知れへん」
「え?」
「ケンジとマーユ兄妹の間には誰にも断ち切ることができへん絆がある。それはお前にもわかるやろ?」
「う、うん」
「そやけどな、わいは二人の恩人なんやで」ケネスは笑った。「な、ケンジ」
「そうだぞ、健太郎。ケニーは俺たち二人の間に、いつもいてくれたんだ」
「そやからな、結婚できへん二人のために、わいはケンジからマーユをもらい受けたんや」
ケネスは健太郎の目を見つめた。「お前もいっしょにな」
「父さん……」
「わいはな、マーユのことが大好きやったから、喜んでマーユをもろた。超ラッキーや、思たで」
「俺、二人が父親で、こんなに幸せなことはない。心からそう思うよ」健太郎はケネスとケンジの顔を交互に見た。
「これからもずっと、ケンジとわいはお前の父親や。忘れたらあかんで、健太郎」
「これからも、どうかよろしくお願いします」健太郎は二人に向かって深々と頭を下げた。
「なにかしこまってるんだ。健太郎、顔上げろよ」ケンジが健太郎の肩に手を置いた。
健太郎の肩は小さく震えていた。そして彼はいつまでも頭を上げることができないでいた。
ケネスは健太郎の身体を抱きかかえるようにして、近くの椅子に座らせた。健太郎は右手で乱暴に涙を拭い、顔を上げて笑った。
「さてと、」ケネスが言った。「この部屋は龍と真雪が占有することになりそうやな」
「そう。さっきもそう言って健太郎と話してた」ケンジも言った。
「ほんで、健太郎は隣の部屋でミカ姉とエッチするんやろ?」
「と、父さんまで!」健太郎は赤くなった。
「あのな、健太郎、」ケネスは小声で健太郎に囁いた。「ミカ姉が喜ぶこと、教えたるわ」
「え?」
「噛みつくんや」
「かっ、噛みつく?!」
「挿入したら身体をきつく抱きしめながら肩に噛みついてみ。きっと彼女喜ぶで」
「ほ、ほんとなの? っていうか、何で父さん、エッチの時のミカさんの喜ぶことを知ってるんだよ!」
「やばっ!」ケネスは口を押さえた。
「も、もしかして父さんもミカさんとエッチしたこと、あるのか?」
ケネスは目をそらした。
「ケンジおじ、それって、いったい、どういうこと?」
「えーっと……。何からどうやって話したものやら……」ケンジは頭を掻いた。
「父さんたちって、も、もしかして乱交状態?」
「ら、乱交ってなんや! せめて多彩に愛し合っている、とでも言うてほしいわ」
「信じられない!」健太郎は思いきりあきれ顔をした。「けど、何か楽しげ」
「楽しいんだな、これが。最高に」ケンジが笑った。
「父さんたち見てると、本当にそんな風に見えるから不思議」
「俺たち夫婦4人は、自由自在な関係なんだ、健太郎」
「あまり聞いたことのない関係だけど、みんな仲がいいってのはすごいことだね」
「お互いの強い信頼のなせる技や」
「うん。そうだね」健太郎は妙に感心したように言った。「でも、今夜はケンジおじと母さんのスイートデーだよね」
「そうや」
「だったら、もう一つの部屋はケンジおじと母さんが使うんだろ? 今夜」
「そうやな」
「だったら、父さんはどうするんだい?」
少し固まって考えた後、「心配いらへん」ケネスは立ち上がった。「わいは一晩中、露天風呂に浸かって、星でも眺めながら過ごすよってにな」蒼い目が少し涙ぐんでいた。
ケンジも立ち上がり、ケネスの肩をたたきながら言った。「俺たちといっしょにいればいいじゃないか」
「何言うてんねん! 邪魔やんか、お前とマーユの」
「あれから俺たち、三人プレイにちょっとはまっちまってさ、」
「えっ?!」
「特にマユが前向きなんだ」
「ほ、ほんまか?」
健太郎が口を挟んだ。「あのう……子どもの前ではちょっと刺激が強すぎる話ではありませんか? お二方」
◆
「マ、マユ姉、先に入って」龍が家族湯のドアに『入浴中』のプレートを掛けた後、中に入って鍵を掛け、もじもじしながら言った。
「どうしたの?」
「い、いや、やっぱりさ、まだ、ちょ、ちょっと恥ずかしいかなって……」
「ふふ、龍くん純情だね。当たり前か、中二だもんね、まだ」
「マユ姉、やっぱり一人で入る? 僕、部屋に戻っていようか?」
「あたしとお風呂に入るの、いや?」
「いやじゃない。いやじゃないよ。僕だっていっしょに入りたい。でも、やっぱり今は刺激が強すぎる、って言うか……」
「変なの。この前いっしょに入ったじゃない、うちで」真雪は小さなため息をついた。「じゃあさ、ちっちゃかった頃のことを思い出して、親戚モードでいっしょに入ろ」
「親戚モード?」
「そう」
龍は少し考えてから言った。「じゃ、じゃあ、ケン兄も呼ぼう」
「え?」
「いつも三人で入ってたじゃん、お風呂」
「この歳でケン兄、あたしといっしょにお風呂に入ってくれるかなー」
「マ、マユ姉は平気? ケン兄といっしょにお風呂入るの」
「お風呂に入るぐらいなら大丈夫だよ。いきなりおっぱいに触られたりしたらいやだけど」
「いや、ケン兄がそんなこと、するわけない……」
真雪は笑った。「とにかくあたしは構わないよ」
「ほんとに? じゃあ、連れてくるね。待ってて」龍はドアを開けて飛び出していった。
真雪は着ていた服を脱ぎ去り、鼻歌交じりに一人で浴室に入っていった。そして掛かり湯をした後、ゆっくりと足を湯に浸した。「半分露天風呂なんだ、家族風呂にしては広くて気持ちいいな」真雪は肩まで湯に浸かってほっとため息をついた。遠くになだらかな峰の稜線が連なっている。まぶしい夏の空のあちこちに入道雲が発達し始めていた。
「やだよ、俺、」ドアの向こうで声がした。「お前らだけで入ればいいじゃないか、なんで俺まで」
「頼むよ、ケン兄、僕だけじゃなんか恥ずかしくて」
「俺だって恥ずかしいよ。なんでわざわざお前と二人揃って恥ずかしい思いをしなきゃいけないんだ」
龍は無理矢理健太郎を脱衣所の中に入れて鍵を掛けた。
「助けてよ、ケン兄。この通りだから」龍は健太郎に手を合わせた。
「ま、まったく、なんで俺がこんなことを……」健太郎が赤くなってぶつぶつ言いながら、それでも服を脱ぎ始めた。
「マユ姉、入っていい?」
「いいよー」
健太郎と龍は自分の腰にタオルをしっかりと巻き付け、すでに身体中を真っ赤にして浴室に入ってきた。
「マ、マユは平気なのかよ」
「あたしの着替え、結構頻繁に見てるケン兄にしては、意外な反応だね」湯に浸かったまま真雪は振り向いて言った。「あれ? 、何? 、その手に持ってるの」
健太郎の手に小さなプラスチックの箱が握られている。
「防水ケース。中身は鼻血止めのティッシュ」健太郎が無愛想に言った。「俺、お前の着替え、そんなに頻繁に見てないからな。変なこと言うなよ。龍が誤解するだろ」
「マユ姉って、意外に大胆だってことがわかってきた」龍が言って湯に浸かった。真雪からできるだけ距離を置いて首だけを出した。
「ねえねえ、龍くん、こっちに来てみなよ。山がきれいだよ。そこからだとよく見えないでしょ?」
「え? う、うん」ためらいながらも、龍は湯に浸かったまま真雪の方へ移動し始めた。
健太郎は真雪に背を向けて湯に浸かっていた。
龍は真雪の勧める所までやって来た。「ほんとだ、いい眺め」龍は膝立ちをしてその風景を眺めた。へそから上が湯の上に現れた。
「龍くんの身体って、ほんとに逞しくて立派になったね。去年とは大違い。ケン兄を一回り小さくしたぐらいかな」
「え? 俺?」健太郎は不意に振り返って真雪を見た。その時、真雪は湯の中で立ち上がり、龍の肩に手を置いた。真雪の美しいうなじからなだらかな曲線が背中を走り、豊かで白いヒップまで続いていた。その何もかもが湯から現れた。
ぶっ! 「やばいっ!」健太郎は叫んで鼻を押さえた。例によって血が垂れ始めた。「ティッシュ、ティッシュっ!」彼は慌てて防水ケースを手に取り、中にあったティッシュを取りだし、鼻に詰めた。
「龍くん」真雪は背後から手を龍の胸に伸ばした。そして優しくさすった。
「あ、マユ姉……」
健太郎は叫んだ。「お、俺もう上がるっ! だめだ、このままでは失血死しちまうっ!」ざばっと湯から上がった健太郎は、身体を拭くのもそこそこに、浴室を出て行った。
「ケン兄、出て行っちゃった……」「彼も意外に純情だった、ってことかな」龍と真雪は健太郎が出て行ったドアを見ながら言った。
「後で謝らなきゃ。ケン兄に」
「そうだね」
「ねえ、マユ姉、」
「何?」
「僕さ、まだ知らないことがいっぱいあって、マユ姉を困らせたり、厭な思いをさせたりするかもしれない」
「え?」
「だからさ、いろいろ教えて。僕に。特に、こうしてほしい、とか、こう言われたら嬉しい、とか。それに、されたら厭なことも、遠慮なく言って」
「どうしたの? 急に」
「突っ走りそうだもん。でも僕、マユ姉が大好きで、大切な人だから、傷つけたくないんだ」
「それだけちゃんと考えてるのなら、龍くんは大丈夫だと思うよ。初めてあたしの部屋で抱いてくれた時も、二度目の龍くんの部屋での時も、あなた、ずっとあたしに気を遣ってくれたじゃない」
「え?」
「あたしの中では男のコって、もっと乱暴で、自分の欲求に任せて女のコを扱うもんだって覚悟してたから、あの時はどっちもすっごく感動したんだよ、あたし」
「そうなの?」
「龍くんはお父さん譲りの紳士なんだね」
龍は頭を掻いた。「と、とにかく絶対教えてね、いろいろ」
「わかった。そうするよ」真雪はにっこりと笑った。
◆
『オーク』の部屋には鍵が掛かっていた。風呂から上がった龍と真雪はドアをノックした。「ケン兄、いるの?」
そこへケンジとミカが通りかかった。「ああ、健太郎なら一人でサイクリングに行ったぞ」
「サイクリング?」
「そ。お前たちもどうだ? ロビーに行って、レンタサイクルを借りるといい」
「どうする? マユ姉」
「行きたい。行こうよ、龍くん」
「そうだね」ロビーに向かって歩き出した龍は急に立ち止まった。「あ、しまった!」
「どうしたんだ? 龍」ミカが訊ねた。
「僕のカメラ、この部屋の中なんだ。鍵はケン兄が持ってってるよね、きっと」
「父さんのを貸してやるよ。ちょっと待ってな」ケンジはちらりとミカを見て、かすかにうなずいた後、自分の部屋に戻っていった。
「お前のマユ姉の写真を撮る、絶好のチャンスだもんな」ミカが笑った。
しばらくしてケンジが両手で箱を抱えながら戻ってきた。
「あれ? 父さん、なに? その箱」
「本当は秋の誕生日に買ってやるはずだったんだが……」
「も、もしかして?」龍は箱を受け取り、ケンジの顔を見た。
「開けてみな」
包装紙を取り去り、箱を開けた龍は叫んだ。「やったやったーっ! 一眼レフだ!」そして飛び跳ねた。「ありがとう、父さん、母さん。大切にするよ」
「良かったね。龍くん」真雪も隣で微笑んだ。
「それでさっそくお前のハニーを撮ってやりな」
「うんっ!」