Chocolate Time 雨の物語集 ~雨に濡れる不器用な男たちのラブストーリー~

『雨の歌』 (1.穏やかな出会い2.突きつけられた真実3.気づかなかった想い4.雨の歌5.アクアマリンのリング

《5.アクアマリンのリング》

 

 ホテルの10階にあるバーの、広いガラス窓に向いた細長いカウンター席で、良平とリサは肩を寄せ合っていた。窓ガラスには無数の雨粒がつき、街のたくさんの白やオレンジ色の光をその内に宿していた。

 

「秋の雨って、私好き」

「まさにブラームスの雰囲気ですよね」

 

 リサは良平に目を向けた。「私、今良平さんに会えて、本当に幸運だったと思います」

「え? 今、って?」

 

 リサは両肘をテーブルにつき、指を組んだ。「一年前に貴男にお会いしたとしても、きっとここでこんな時間を過ごすことはなかっただろうな、って思うんです」

「どういうこと?」

「出会いって、タイミング。そう思います」

「タイミング……ですか」

 

 リサは目の前のピンク・ジンの入ったカクテルグラスを手に取った。

「一年前は、まだ私、つき合ってる人がいたでしょう? だから、その時に貴男に会っても、きっとただの上司としか思えなかった」

 

「訊いていいですか?」良平はジンライムの入ったグラスの表面の水滴を軽く指で拭った。

「はい?」

「貴女がつき合っていた彼って、僕に似た人だったんですか?」

 

 リサはふっと笑った。「全然タイプが違います。」

「そう」

「年下で、ドライ」

「ドライ?」

「はい。私とつき合うのが楽しいのか、そうでないのか、よくわからない人でした」

「出会ったきっかけは?」

「専門学校に通ってた時の後輩です。でもつき合い始めたのは一昨年の冬。街でばったり会って、お茶でもどう? って誘われたんです」

「なかなか積極的じゃないですか」

「交際期間中で、その時が一番積極的でしたね」リサは笑った。「つき合い始めると、食事に行っても、ドライブしてても、あんまり私にアプローチしてこないんです」

「でも、そ、その、深い関係にまでなったんでしょう?」

「恥ずかしい話ですけど」リサはカクテルグラスをカウンターに置いた。「私が誘ってホテルに行ったんです。最初」

「へえ」

「なんか、二人で抱き合って一つになれば、もっと私を愛してくれるんじゃないか、って思って……」

「つまり」良平はグラスを手に持ち、一口中身を飲んだ後、リサの目を見た。「貴女は彼の愛がもっと欲しかった、っていうことなのかな」

「普通、恋人同士なら、時間が経つにつれて親密になっていって、男の人だったら相手の身体を求めてくるもんだ、って思ってましたから」

「確かに……」

「でも結局、私が誘わない限りあの人は私を抱いてくれませんでした」

「そうなんだ……」

「だから2年近くもつき合っていながら、そうやって抱き合ったのはほんの数回です」

 

 リサはピンク・ジンをすっと飲み干した。

 

「その人とつき合ってる間、心も身体も燃えることはありませんでした。それでも、私、彼のことが好きになっていってたんですね。もう別れよう、って言われた時は、死にたいぐらいに悲しかったですから……」

「それが、貴女が入社してきた時ですね」

「はい。自分でも変だと思います。全然熱くならない相手のことを大好きだ、って感じてたんですから」

「そうですか……」良平は窓の外に目をやった。

 

「だから」リサはカウンターの上に乗せられていた良平の手に、そっと自分の手を載せた。良平は思わずリサに顔を向けた。「さっき、貴男に抱かれた時は、私、生まれて初めて心も身体も燃えるように熱くなりました」

 リサは顔を赤らめた。

「僕も……だな」

「貴男も?」

「はい。リサさんにはお話ししたように、僕の前の彼女は、どう考えても僕と違う世界に生きている人だった。僕の場合、もうこんな歳だし、親にも安心してもらいたくて、結婚を焦ってた。反りが合わない、と解っていても、つき合っているうちに何とかなるだろう、って」

 

「同じだったんですね……私たち」

「僕も、リサさんを抱いて、生まれて初めて心から熱くなれた。それまで一度もなかった身体中の火照りと弾けるような喜び、というか、快さ……」

「嬉しい……」

 

 良平は自分の前のグラスを、コースターごとリサの前に移動させた。「飲んでみてください。ジンライム」

「はい」

 

 リサはグラスを手に取り、口に運んだ。「これもおいしいですね。なんだか、良平さんがこの味に結びつけられてしまいそう」

「え? どういう意味ですか?」

「これを飲む度に、貴男が心に染み渡っていく条件反射。だって、こんな素敵な夜も、私初めてですから……」リサは良平の肩に頭をもたせかけた。

「貴女が言った、タイミング、っていう意味、解りました。僕にとっても貴女との出会いは、先月でなきゃいけなかった」良平はリサの肩に手を回した。

 

 もう片方の手でポケットを探っていた良平は、テーブルに小さな箱を置いた。「僕が部屋で酔っ払って、貴女がいる前で壁に投げつけたのは、その彼女に渡すつもりだった指輪。あれはリサイクルショップに売り飛ばしました。あまりに悔しかったから」

 

 良平は笑いながら続けた。「これは、リサさん、貴女にいつか渡すつもりの指輪です」

 

「えっ?」リサは思わず顔を上げた。

 

「僕はごく普通の平凡な男です。小心者で気の利いたこともできないし、不器用で、女性の扱いにも慣れていない」

 

 良平はリサの目を見つめた。

 

「だから、貴女が僕とずっと一緒にいてもいい、って決心したら、この箱を開けて下さい」

「良平さん……」

「それまで僕は待ちます。いつまでも。でも、もし貴女には必要ないというんでしたら、これもリサイクルショップに」良平は恥ずかしげに笑った。

 

 リサは目に浮かんでいた涙を乱暴に右手で拭い、焦ったようにその箱を手に取り、中からジュエリーケースを取りだした。そして一瞬動きを止めた後、その蓋をゆっくりと開けた。

「えっ?! リ、リサさん、も、もう?」良平はずり落ちかけた眼鏡を慌てて掛け直した。

 

 黄金色に輝く細いリングに一粒のライトブルーの石が埋め込まれ輝いている。

 

「アクアマリンの指輪……」リサは独り言のように呟いた。

 

 リサはそのリングを取り出し、良平に渡した。「私の指に……」

 

 良平は少し震えながらリサの左手をとり、リングを薬指に通した。そして両手でその柔らかで温かい手を包みこんで、ようやく微笑んだ。

 

「おじいちゃんになっても、その笑顔を、私に向けてくださいね」

 良平は思わず、ぎゅっとリサの身体を抱きしめた。

 

 窓の向こうに散らばった無数の雨粒のうちの一つがつっと流れ、隣にあった雫と一つになり街の灯を反射して小さく輝いた。

 

 

2013,12,20 初稿脱稿(2014,2,18改稿)

 

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リサ&良平のプロフィール

《あとがき》

 誤解がないようにお断りしておきます。別に僕はビジュアル系のバンドやその音楽を嫌っているわけではありません。あれは演出のための表現です。でも、もしあのシーンでそう言った音楽のファンの方が不愉快になられたとすれば、心から謝ります。すみません。

 クラシック音楽は僕も大好きです。若い頃はP.I.チャイコフスキーの派手で美しく解りやすいメロディが好みでしたが、最近はJ.ブラームスの枯れたサウンドに魅力を感じるようになりました。ブラームスは解りにくくて、一度聴いただけでは、なかなかその良さが見えてこないのですが、何度も繰り返し、訳がわからないなりにも聴き続けていると、その深さや温かみ、そしてその艶っぽさや情熱が少しずつ身体に染みこんできます。

 不器用な大人の男性の物語は、ずっと書きたいと思っていました。第三者からしたらとてももどかしいその言動に、僕自身が比較的容易に共感できるからです。つまり僕自身も不器用なんです。

 上手くいかないことが多くて、悩みも多くて、でも人前ではそんな顔をするわけにはいかない。そんな時に、誰かがその本当の気持ちを解ってくれるところからストーリーが展開していきます。結局は自分自身で乗り越えなければならないハードルですが、それを人の優しさや想いが手助けしてくれる。そしてそれが恋愛感情へと変化していく。

 恋愛小説ですが、セックスシーンは外せません。そのことで心も激しく反応するからです。

 『Chocolate Time』シリーズを書き進めていくにつれて、この身体の交わり合いで、いろんな別の意味を持つことを表現したくなってきました。アダルト小説としては、それでは少し重すぎて、エンターテインメント性が薄れてしまうとも思いますが、やはり、訳もなく、特に男性読者を興奮させるためだけの話を書くことは、もうできなくなりました。こうして公開する作品であればなおさら。

 さて、この話の主人公、良平は、あの跳ねっ返り坊や天道修平の実兄です(→基礎知識『天道兄弟』)。修平が中学に入学する前に、オナニーの方法を教えてくれたのがこの良平。その頃弟には『エロ盛りの高校生』呼ばわりされてました。性的な興味は人並みであった、ということですね。

天道修平のプロフィール

 

 一方の春日野リサは、シンプソン家の真雪の高校時代の友人。この同年代には他にも夏輝春菜ユウナ健太郎修平がいて、全員同じ工業高校の出身です。彼らの中ではリサは最も遅い誕生日。おっとり系で当時から友人たちを癒してくれる存在でした。正義感も強く、誠実な面もあります。そうそう、ユウナといっしょに雪を手籠めにした板東俊介に天誅を下したこともありますね。

→プロフィール 天道 夏輝シンプソン春菜安達 ユウナシンプソン健太郎

→ユウナとリサが板東に天誅を下す話『天誅タイム』

 

 こうして脇役だったキャラクターを中心に持ってくることで、『Chocolate Time』の世界がより立体的になったな、と思います。でも、いつも舞台はすずかけ町。はい。『Simpson's Chocolate House』のある町です。

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