Twin's Story 外伝 "Hot Chocolate Time" 第2集 第11話

《男の矜恃タイム》

1.実戦実習 - 2.揺れる気持ち - 3.秋月の矜恃 - 4.修平の矜恃

〈3.秋月の矜恃〉

 

 夏輝は店に足を踏み入れたとたん、立ち止まって店内を見回した。

「どうしました?」

「こ、ここ、本当に居酒屋なんですか?巡査長。」

「女性を誘って食事するのに、タバコ臭い脂ぎった店を選ぶわけないでしょう?」秋月は笑った。「でも、貴女の口から『居酒屋がいい』なんて言葉が出てくるとは思いませんでしたよ」

「気取らない店がいいんです。それに、」夏輝は秋月の顔を見た。「あたしも大人になって飲めるようになったから……」

 

 二人は店のスタッフに案内されて、奥のテーブルに向き合って座った。

「へえ、そうなんですね。早く言ってくれればよかったのに」秋月はテーブルのおしぼりで手を拭きながら言った。「先週だったんですか、誕生日」

「はい。何とか無事に」

「ご家族に祝っていただいた?」

「いいえ。あたし自身、すっかり忘れちゃってて、気づいたらあっさり二十歳になってました」夏輝は笑った。

「じゃあ、今回は貴女の誕生祝い。僕がおごってあげる口実にもなるしね」

「え? そ、そんな、いいですよ、割り勘にしましょう、巡査長」

「だめです」秋月はきっぱりと言った。「貴女が僕に借りを作らない条件で、ここは僕が持つ。拒否権無し」

「……巡査長」

 秋月は照れたように頭を掻きながら言った。「たまにはかっこいいこと、言わせてください。こんな僕にもちょっとばかりの男のプライドってもんがあります」

 

 

「ビールって苦いんですね……」夏輝がグラスをテーブルに置いて、渋い顔をして秋月を見た。

「いきなり飲むなんて言うから……。無理しないでカクテル系にしたらどうですか?」秋月が飲み物メニューを手に取った。「『パッションフルーツリキュール』なんてどうですか?情熱的な赤いお酒……あ、これも貴女に似合ってる気がする、『クレームド・カシス』」

「ク、クレームド?」

「とっても甘いリキュールです。初心者にはいいかも。でも調子に乗って飲み過ぎると、とんでもないことになりますけどね。当たり障りのない『カシスオレンジ』を頼みましょうか」秋月はにこにこ笑いながらメニューから目を上げた。

「カシス……オレンジ?」

「カシスのリキュールとオレンジジュースを混ぜたお酒です」

「すみません……。あたし、お酒のこと、よくわかってない……」

「そんなものです。初めはね。でも、本当に飲み過ぎないでくださいね」

「少し飲んだだけで、酔っ払っちゃったらどうしよう……」

「大丈夫。立てなくなっても僕が責任もって送ってってあげますよ。それも市民を守る警察官の務め」秋月は笑いながらそう言った後、手を挙げてホールスタッフを呼んだ。

 

「あの……」夏輝が上目遣いで秋月を見た。

「はい?」秋月はウーロン茶を飲みかけて動作を止めた。

「こ、この席ではあたし、巡査長を『遼さん』って呼んでいいですか?」

 秋月は穏やかに微笑みながら言った。「今はOFFだから『巡査長』よりはましだけど……、できれば『秋月さん』にしてもらえますか?」

「は、はい……。わかりました」

 夏輝はばつが悪そうにうつむいた。

 

 オレンジ色の液体が入ったグラスが運ばれてきた。

「僕ね、」秋月が両手で顎を支えたポーズで夏輝に目を向けた。「貴女のこと、とっても買ってるんです」

「買ってる?」

「実戦実習が始まってすぐ、交番に来た迷子の子どもの扱い、もうベテラン並みに素晴らしかった」

「そ、そんな……」夏輝は顔を赤らめた。

「それに、明らかに認知症の疑いのあるお年寄り、ふらりと交番にやって来たことがあったでしょう? あの時も、あなたの対応には目を見張るものがありました。これはお世辞じゃありません」

「ありがとうございます。でも、そ、そんなに褒められた人間じゃありません、あたし……」

「何より接し方が温かい。子どもだろうとお年寄りだろうと、相手が感じている、欲している状況を、貴女は作り出すことができていた。僕は貴女のそういう対応を間近に見て、頭を警棒で殴られたようなショックを受けました。自分は今まで何をやってたんだ、実習の指導員として失格だ、って」

「あたし……」

「ちゃんと実戦実習記録表に書いて報告しときましたから」秋月はぱちんとウィンクをした。

「あ、ありがとうございます……」

 

 秋月はテーブルのグラスを見つめながら独り言のように呟いた。「僕は、その時思ったんです。警察官である僕は、今まで自分の独りよがりな立場にしか立っていなかった。それに権力をバックに偉そうにしていた。本当は、今目の前にいて困ってる相手が、どんな気持ちでいるかってことを思いやらなければならなかったのに……。警察官って、貴女がやって見せてくれたように、人を安心させる仕事なのにね。……だから彼女にも嫌われる」

 夏輝は少し焦って言った。「秋月さんは、今でも十分それができてると、あたしは思います。相手のことを思いやって、安心させてくれる……」

「まだまだ修行が足りませんよ」秋月ははにかんだように笑った。

 

 秋月はグラスの表面についた水滴をおしぼりで軽く拭った後、それを手に取った。「そうそう」

「え?」夏輝が顔を上げた。

「いつか言おうと思ってた。貴女のその髪、素敵ですよね」

「えっ?」夏輝は意表を突かれて固まった。

「ソフトな感じで親近感がありますよ、すごく」

「で、でも、茶髪なんて、警察官にあるまじきスタイルだって思いません……か?」

「全然。貴女のその栗色の瞳ととってもよくマッチしてて、僕は好きだな。それにポニーテールも健康的だし」

 

 秋月が白い歯を見せて笑った。

 夏輝の鼓動が速くなってきた。

 

「秋月さんって、人の心が読めるんですね……」

 ウーロン茶のグラスをテーブルに置いて、秋月は少し首をかしげた。「え?」

「仰る通りこの髪の色は自分の目の色に合わせているんです。でも、それがわかっちゃうなんて……すごいです秋月さん」

「たまたま気づいただけですよ。」

「さすが警察官、って思います」

 グラスに手をかけたまま、秋月は照れたようにうつむき加減で言った。「僕がそうかどうかは別として、警察官に必要な能力かも知れませんね、そういう洞察力、というか、想像力みたいなものって」

「そうですよね」

「それに、貴女のように自分のことをちゃんとわかる、っていう能力も」

「え? わかる?」

「そう。自分のことがわかっていない人間が、人に命令したり、指示したりできるわけがありません。自分はこうだ、という信念を持っていて初めて、人と正面切って相対することができる。僕はそう思いますよ」

 

 

 秋月はまたにっこりと笑って夏輝の目に温かいまなざしを向けた。「警察官ならなおさらね」

 

 夏輝も秋月の目をじっと見つめた。

 秋月はほんの少したじろいだように瞳を揺らめかせた。

 

「あたし、秋月さんといると、とっても癒されます。なんだか、ほっとする、っていうか……」

「ほんとに? それは光栄だな。」

「みんな仰るんじゃありませんか? そんな風に」

「女の人からそんなこと言われたのは初めてですよ」

「嬉しい。あたしが初めて秋月さんの本質を見抜いたってことですね」

 夏輝は赤い顔をして笑った。

 

「日向さん、少し酔ったみたいですね?」

 夏輝は自分の頬に手を当てた。

「なんか、ほわんとしていい気持ちです」

「お酒、初めてなんでしょう? それぐらいにしといた方がいいんじゃないかな」

 

「秋月さん」夏輝はまた秋月の目を見つめた。

「……」秋月は返事もせずまたウーロン茶のグラスを手に取った。

「こうやって、女性と二人で食事するって、どんな気持ちですか?」

「楽しいですよ、そりゃあ」秋月は微笑んだ。

「でも、たとえ女の人でも、こいつとはだけは二人きりでいたくない、って思う相手もいるんじゃないですか?」

「何ですか? それ」秋月は呆れたように夏輝を見た。

「あたし……、秋月さんにそう思われているんじゃないか、って……」夏輝はうつむいた。

 

 不意に秋月がテーブルの上に置かれていた夏輝の手を取った。

 

 夏輝ははっとして秋月の顔を見た。

 

「夏輝さん」秋月はゆっくりと低い声で言った。「僕も男だから、女性と二人きりになるのは嫌いじゃありません。特に貴女みたいに魅力的な人といっしょに食事ができて、僕は今、少し熱くなってます」

「秋月さん……」

 

 夏輝の脳裏に、恋人修平の笑顔が一瞬浮かんで、すぐに消えた。

 

 秋月はすっと手を引っ込め、夏輝の手が再びテーブルに取り残された。

 

「でも、それに流されるわけにはいきません。それも男としての矜恃です」

 秋月は心の中まで射抜くように、じっと夏輝の目を見返した。

 

 修平の笑顔が、また夏輝の瞳の奥の中空にぼんやりと浮かんだ。しかし今度は次第にはっきりとその輪郭が焦点を結び始めた。

 

 夏輝の胸の奥に、針で刺されたような鋭い痛みが走った。

 

 

「ごちそうさまでした」店を出たところで夏輝が小さく言った。「それに、ありがとうございました。あたしを慰めてくださって……」

「いえいえ。僕は貴女に何もしてあげられませんでした。貴女の役に立てたのは食事代を払ったってことだけです」秋月は笑った。「タクシー、もうすぐ来ると思いますよ」

「秋月さん……」

「ごめんなさい。僕は飲んでないから車で送ってあげてもいいんですけど、変な噂が立ったら貴女が困るでしょ」

 

 二人の間に少しの沈黙が流れた。

 

 不意に秋月の手が夏輝の肩をぽんぽんと軽く叩いた。夏輝は秋月の顔を見上げた。

 その男性警察官は夏輝を見返すことなくまっすぐ前を向いて、口元に笑みを浮かべたまま言った。

「貴女の気持ちに応えられなくてごめんなさい。でも、」

 

 

 秋月は振り向いて夏輝に暖かなまなざしを送った。「貴女の大切な彼の手を離しちゃだめですよ」

 

「……!」

 夏輝の目から涙が堰を切ったように溢れ始めた。

 

「ごめんなさい、ごめんなさい、秋月さん……」

「ほ、ほら、噂になったら困る、って今言ったばかりでしょ」秋月は慌ててポケットからハンカチを取り出して夏輝に手渡した。「拭いてください。誰が見てるかわかりません」

「はい。ごめんなさい……」夏輝は渡されたハンカチで両目を代わる代わる乱暴に拭った。

 

 

 夏輝が警察の独身寮に帰り着いたのは夜の10時前だった。彼女は少しふらつきながらシャワー室から出て、部屋に戻ると、ベッドにばたんと仰向けになった。

「修平、修平……許して……」

 夏輝は小さく呟いた。彼女の目からまた涙が溢れ始めた。

 

 彼女は決心したように自分のバッグからケータイを取り出した。

 

 ディスプレイを見た夏輝は小さく叫んだ。

「えっ?!」

 

――着信あり。27件。

 

「やだっ! 誰? こんなに」

 夏輝は慌ててボタンを押して着信履歴を見た。画面に上から下までずらりと『修平』という文字が並んでいる。

「しゅ、修平っ!」

 夏輝は焦って返信ボタンを押した。

 

『夏輝っ!』いきなり威勢のいい修平の声がした。『何やってやがったんだ!』

「しゅ、修平……」夏輝は力なくそう言って声を詰まらせた。

『おまえ、今度の土曜の夜、空けとけ』

「えっ?」

『約束だぞ!』

「え? だ、だって土曜日は道場に行かなきゃ……」

『剣道と俺とどっちが大事なんだよ! 休め。道場には俺から言っといてやる』

「……相変わらず強引なんだから……」震える声でそう言った夏輝の目は真っ赤になっていた。

 

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