Twin's Story 外伝 "Hot Chocolate Time" 第2集 第12話

〈4.キス〉

 

 夏の長い陽が落ちて、ようやく街が夜のとばりに包まれた。

 

 郊外のこぢんまりしたイタリアンレストラン。そこは川沿いの小径に面していて、二階の窓から見下ろす川面に、オレンジ色の街灯の光がきらめいていた。真雪と龍が並んで座り、テーブルを挟んでケンジとミカの夫婦が椅子にかけている。

 

 四人の目の前に、細長い皿に品良く載せられたオードブルが運ばれてきた。

 

「なんでここからスタートなんだ? 龍、真雪。聞けば、真雪がその、そいつに誘われて入ったのもイタリアンレストランだったんだろ? 嫌なことを思い出すんじゃないのか?」

 真雪が微笑みながら言った。「ケンジおじ、最初に約束して」

「え?」

「あたしにも龍にも気遣いは無用。あたし、敢えてあの時のことを思い出して、それをケンジおじにトレースしてもらって完全にあの忌まわしい時間を拭い去りたいの」

 

「トレース?」フォークを手にしたミカが訊いた。

「あの時、あたしが板東にされたことと同じことを、ケンジおじにやってもらってリセット、って感じかな」

 ケンジは皿のキャロットグラッセをフォークでつつきながら独り言のように言った。「ううむ……。何度聞いても何だかもやもやして落ち着かないな……」

 

「それはそうと、」ミカが目の前に座った息子の龍に身を乗り出して言った。「おまえは、どんな気持ちなんだ? 今」

「な、何だよ、母さん、嬉しそうに」龍は赤面してベーコンに巻かれたベビーコーンを口に入れた。

「一つはおまえの愛する妻が年上のオトコに手込めにされるってこと」

「いや、手込めになんかしないから」ケンジが横目でミカを睨み付けた。

「これは俺と真雪がしっかり話し合って決めたことだし、なにより、俺にも真雪にも父さんは最も近い関係にある人だから、俺自身は全然平気。逆にそれを想像するとちょっと萌える」龍は照れたように笑った。

 真雪がちらりと龍を見て口角を上げた。

 ミカがにやにやしながら言った。「へえ。おまえ寝取られシュミがあったんだな」

 龍はすぐに顔を上げ、ムキになって言った。「あ、相手が父さんだからそう思うんだからね、言っとくけど」

 

「じゃあもう一つ。あたしがおまえに抱かれること」

「そっちはけっこう恥ずかしいモノがある」

 真雪がワイングラスに手をかけて言った。「ミカさんはどうなの? 息子の龍に抱かれること」

 ミカは顎を両手で支えてにこにこしながら言った。「あたし、いつか、こんな機会が来たらいいな、って思ってたんだ、実は」

「龍とセックスすること?」真雪が少し驚いたように言った。

「うん」

「『うん』って……」龍が呆れたように言った。「お、俺ってあなたの息子だよ? こ、これからやることって、ぼっ、母子相姦なんだよ? 世間に顔向けできるのかよ」

 ミカはけろりとして言った。「んなこといちいち気にしてられっか」

「いやいやいや、母さん、そんな……。少しは気にしてもらわないと……」龍はひどく赤面していた。

 

 ミカは頬を淡いピンク色に染めて、目の前の息子を愛しそうに見つめながら言った。「だってさ、龍、成長するにつれて、ケンジにどんどん似てくるじゃん。言わば若かったころのケンジにまた抱かれるようでわくわくするよ」

「なるほど……そういうわけか」龍は妙に感心したようにうなずいた。「でも、俺、うまくできるか不安だな、正直」

「大丈夫じゃない?」真雪が龍の顔を見て言った。「龍のやり方でミカさんを抱いてあげれば?」

「いい雰囲気の時に、突然、指導が入ったりしないだろうね? もっとこうしろ、ああしろって……」龍は上目遣いでミカを見た。

「そんなことできる余裕を与えないでくれ。龍。激しくイかせろよ」

「は、激しく……って、母さん……」

 龍はますます困った顔をした。

 

 

 食事が済み、適度にアルコールも入って、レストランを出た四人は、いつもとは違う組み合わせの二組に分かれた。ケンジと真雪、龍とミカ。

 

 ケンジと真雪は伯父、姪の関係、かつ舅と嫁の間柄。そして龍とミカは息子と母親の関係だ。どちらもなかなか禁断の香りのするカップルだった。

 

「じゃあ、あたしたちはそこのホテル」ミカがレストランと同じ並びの、いくらも離れていない、やはり川沿いの『ホテル リバーサイド』を指さした。「なかなかおしゃれでよさそうだろ、龍」ミカは息子の龍に腕を絡ませた。

「う、うん」

「あたしとケンジおじは川向こうの『スターライト』にするね」真雪もケンジの腕に自分の腕を絡ませた。「それじゃ、龍にミカさん、素敵な時間を」

 ミカは小さく手を振って応えた。「おまえたちもな、真雪」

「何かあったら電話しな」ケンジがケータイを持った手を上げて軽く振って見せた。

「これ以上何があるってんだよ……」龍はそれまでで最高に困った顔をした。

 

 

 真雪とケンジは橋を渡り始めた。片側一車線のその橋の所々に古風なデザインの街灯が立っていて、二人の顔に暖かな光を投げかけた。

 

「ねえねえ、ケンジおじ」

「な、なんだ?」真雪と腕を組んでいるケンジは、明らかに緊張した面持ちで前を向いたまま言った。

「橋渡り終わったらさ、あたしにキスして」

「ええっ?! こ、こんな通りでか?」

「大丈夫。この時間、こんな場所、知ってる人も歩いてないだろうし、だれが見ても恋人同士にしか見えないよ」

「そ、そうかな……」

「そうだよ。だって、あたし、さっきから龍と腕組んで歩いているって、錯覚しかけてるもん。ケンジおじって、ほんとに若く見えるよね」

「真雪、おまえ、酔ってるだろ」

「女性を口説く時って、酔わせるのが常套手段なんでしょ?」

「俺には経験ないね。っていうか、おまえ、酔わされた勢いで合意したのか? そ、その板東って男と」

「たぶんね。もし、お酒飲まされてなかったら、きっと拒絶してた」

「恐ろしいだろ? アルコールって」ケンジが諭すように言った。

「うん。あの出来事の後、強烈に思い知った。でもさ、たぶんあたしがお酒に慣れてないことがわかってて、あいつあたしに飲ませたんだよ」

「だろうな。それがそいつのやり方だったんだろう。毎年実習生に手を出してたって?」

「うん。そうらしい」

「実習生っていうことは、結局みんなお酒に不慣れな女の子だったってわけだろ? 計画的だよ」

「そうだね」

 

 二人は橋を渡り終わった。

 

 真雪が先に立ち止まった。

 ケンジも立ち止まった。

「食事の後、水族館の宿舎に帰る途中、道を外れたことに気付いたあたしは、こうして立ち止まったの」

「道を外れた、って、板東がわざとそうしたのか?」

「そう。もうホテルがすぐ目の前、って所だったんだよ。魂胆見え見えだよね、今思えば」

「で、真雪は酔ってて、それに気付かなかった、ってわけか」

 真雪は少し目を伏せた。「それはどうかわからない……。あたし酔ってたこともあったけど、龍と会えない、龍にさわれない、龍に抱いてもらえない寂しさを、あの男に癒してもらうつもりだったんだと思う、その時点で」

「その時点で……」

 

「だから、こうして立ち止まって、肩を抱かれて、振り向かされて、唇を重ねられた ときは、それなりに期待もしてたんだと思う」

 

 ケンジはいきなり真雪の両肩を掴み、抱き寄せて自分の唇を彼女のそれに押し当てた。

 んんっ……。真雪は小さく呻いた。ケンジはそのまま彼女の口に舌を滑り込ませ、口を開いては彼女の舌に絡ませながら、何度も口を交差させ直して真雪の息を止めた。真雪は夢見心地でその甘く濃厚なケンジのキスを味わった。

 

 二人が渡った橋を歩いていた若いカップルと、川のほとりで涼んでいた老夫婦が、その真雪とケンジの熱いキスシーンを、凍り付いたように見ていた。

 

「おまえが、」ケンジが口を離して焦ったように言った。「そいつにキスされて気持ちよくなった、って信じたくない」

 真雪はうつむいた。

「その時、おまえの気持ちが、ほんのちょっとでも板東に傾いていた、なんて、俺は聞きたくないからな」ケンジはまた真雪をぎゅっと抱きしめて、再び激しく彼女の口を吸った。

 

 

「どうした、龍」

 ベッドの端に腰を下ろして腕時計を外していたミカが、窓際に立った龍に訊いた。龍は川に面した窓を開けて、じっと対岸の様子を見ていた。

「父さんと真雪が熱いキスシーンを繰り広げてるよ」

「マジか?」ミカも立ち上がり、龍の横に立った。「ほんとだ。まあ、臆面もなく、あんな往来で……」

「なんか、父さん焦ってるように見えるんだけど……」

 

「あれは……、」ミカが言った。「焦っているというより、真雪を守りたい、って強烈に思ってるような気がするな」

 

「守りたい?」龍はミカの顔を見た。「何を今さら……」

「あの腕の回し方と力の込め具合……」そしてミカも龍の顔を見た。「真雪は例の夜、ああやって板東にいきなりキスされたんだろ?」

「うん。そう言ってた」

「真雪がそれを許した、ってことがケンジには我慢できない、ってとこかな」

「俺も我慢できない。その時真雪があいつに唇を許したっていう事実は、本当に今でも痛みを感じるよ。それさえなければ、あんな大事にはならなかっただろうから……。だから、それを思うたびに俺もああして、真雪に乱暴にキスしちまう」

「無理もないな」

 

「でも、」龍は再び川向こうの『恋人たち』に目を向けた。「あれを見ると、俺自身、とっても安心できる。というか癒される」

「そうなのか? 普通嫉妬するだろ。あんなの見たら。真雪はおまえの妻だぞ」

「真雪がとっても癒されてる感じがするもん。きっと板東のキスを忘れさせてくれてるんだよ、父さん」

 

 ミカももう一度対岸で抱き合っているケンジと真雪を見た。「なるほど。そうかもな」

 

「さすがだよ。父さん……」

 

 

「すまん、真雪、乱暴してしまって……」ケンジは申し訳なさそうに真雪の肩を離した。

「ありがとう、ケンジおじ。なんだか、あたしの中の罪が、すうっと赦されたような感じがしたよ。とっても素敵なキスだった」

「そうか?」

「うん。龍のキスとケンジおじのキスって、よく似てる。さすが親子だね。龍のキスでもあたし、いつもこうして心から癒されるもん。でも伯父さんのキスの方がやっぱりワンランク上かな」真雪は悪戯っぽく微笑んだ。「あたし、もう、少し濡れてきちゃった……」

「よかった……。ひっぱたかれたらどうしよう、って途中から思ってたよ」

「冷静じゃない。おじさん」

「二組のカップルに見られてた、って知ってたか? 真雪」

「そうなの?」

「俺たち、どんな関係だって思われたかな……」

「だから、恋人同士で通用するってば」真雪は笑ってまたケンジの腕に自分の腕を絡めた。「そろそろ入ろうよ、ホテルに」

「そ、そうだな」

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