Twin's Story "Chocolate Time" 外伝第3集 第4話

アダルトビデオの向こう側


《6.心の奥底》

 そのこぎれいなカフェオレ色の壁のマンションの前の通りは小学生の通学路になっていた。

「今日は入学式か……」

 二階のベランダから下を眺めていた拓也は小さなため息をついてつぶやいた。

 着飾った親に手を引かれた新一年生の黄色いランドセルカバーが一様につやつやと光っている。

 

 香代は拓也が一人で借りているこのマンションの二階の部屋に、彼と一緒に住み始めていた。

 ダイニングのテーブルに置かれた花瓶に菜の花を一輪挿して、香代は通りに面した奥の洋室に入った。

 

 その部屋の中央にはカーペットが敷かれ、額装されたラッセンの鯨の画が掛けられた壁際に一人用のベッド、その足下に木製の本棚が置かれ、映像や美術、映画、インテリア関係の本が並んでいる。そして部屋の片隅にはモスグリーンのシュラフが無造作に丸めて置かれていた。

 

 ベランダで振り向いた拓也が言った。

「香代さん、そろそろ家に帰る準備もしないと」

 香代は浅葱色のカーペットの上にぺたんと座って拓也を見上げた。

「何か、もう私、あの家には帰れない気がする」

 拓也は香代の前に膝を抱えて座った。

「何を言い出すんだ。貴女の家でしょ?」

「そうだけど」

「それに、もうすぐ約束の四年になるし、貴女のご主人への疑いも晴れた。事情を話せば家族だってちゃんと迎え入れてくれるよ」

 

 香代はぽつりと言った。

「私、このまま貴男と暮らしたい……」

 

 拓也は唇を噛みしめた。

 

「もう貴男と離れたくないの」

「だめだよ、香代さん。僕は貴女のつらい境遇に同情して今まで一緒にいたけど、元に戻れることになった以上貴女が僕と一緒にいる理由はないよ」

 香代はすがるような目で言った。

「同情だけだったの? 貴男にとって私は同情すべき憐れな女ってだけの存在だったの?」

 

 拓也は黙っていた。

 

「そうよね。ごめんなさい、私の思い込み……」

 香代はうつむいた。

「贅沢よね。家族も貴男も手放したくない、なんて……」

「香代さん、僕は、」

 拓也の言葉を遮り、香代は大声を出した。

「わかってる。こんな地味でめんどくさい女なんかより、もっと若い子の方がいいに決まってるわよね」

「香代さん、いいかげんに、」

 香代は両目から涙を溢れさせながら叫び続けた。

「ごめんなさい、私どうかしてた。勝手に貴男を縛りつけてた。もういい。私消える。貴男の前から消えるから!」

 突然拓也は香代の身体を抱きしめた。

「香代っ!」

「離して!」

 香代は拓也の腕の中でもがいた。

「二度と言うな! そんなこと、僕に向かって二度と口にしないで!」

 拓也はそう言うと、香代の口を自らの唇で塞いだ。香代は抵抗をやめ、涙をぼろぼろこぼしながら拓也の背中を両手でぎゅっと抱きしめた。拓也は何度も唇を重ね直し、それ以上香代が言葉を発することを禁じた。

 

 二人にとってそれは初めてのキスだった。

 

 

 元の家に戻ることをしきりに躊躇う香代の代わりに、拓也は一人『志賀工務店』を訪ねることにした。

 

 拓也はたばこ臭い事務所の所々にふせのあるソファで待たされていた。

 やがて威勢の良い足音を立てて建蔵が奥から姿を現した。

「わしに用かい?」

 拓也は思わず立ち上がり頭を下げた。

「突然お邪魔して申し訳ありません。私は姫野拓也と申します」

「座って下さい」

 建蔵は言った。

 失礼します、とまた頭を下げて拓也はソファに浅く腰掛けた。

 

「お約束の四年が過ぎたので、香代さんがこの家に戻りたいと仰ってるのですが」

 拓也がその言葉を言い終えるのを待たずに、建蔵はいきなり立ち上がり、大声を出した。

「帰れっ!」

 拓也は驚いてその老主人を見上げた。

「おまえがあの女の男か! 二度と来るな!」

 建蔵は恐ろしい形相で拓也の腕を掴み、事務所のドアから外に追い出した。

「もうあの女とは縁を切っとる。わしの耳にあの女の名を聞かせるな! 消え失せろ!」

 言い知れぬ恐怖さえ感じて、拓也は逃げるように事務所を離れた。

 

 

 拓也は困惑していた。

 マンションに戻った彼は、このことを香代に話すべきか迷っていた。

 買い物から帰った香代が、部屋のベッドの端に腰掛け考え込んでいる拓也の姿を見るなり言った。

「どうしたの? 拓也君」

「香代さん……」

「なにか……あったの?」

 不安げに言って香代は拓也の前に座った。

「うん」

 拓也は香代から目をそらした。しかし、すぐにもう一度香代の目を見つめながら言った。

「実は……お義父さんに門前払いされた……」

「えっ?」

 香代は正座に座り直して拓也を見上げた。拓也もベッドから降り、香代の前に正座をして向き合った。

「約束の四年が経ったから帰りたいと仰ってます、って伝えたら、いきなり帰れ、ってものすごい剣幕で……」

 拓也は申し訳なさそうな顔をした。

「そう……なの」香代はうつむいた。「しかたないわね。あの子をほったらかして出て行ったんだから……お義父さんが私を許してくれるはずがないもの……」

 拓也には返す言葉が見つからなかった。

「もういいわ、拓也君、ありがとう。嫌な思いをさせちゃったね……」

 

 長い沈黙の後、香代が小さな声で言った。

「拓也君、お願いがあるの」

 拓也は顔を上げた。

「なに?」

「私を……抱いて欲しいの」

「え?」

「私、もう貴男しか帰るところがないから……」

「香代さん……」

「数え切れないぐらいの男の人に抱かれた私だけど……」

 香代は潤んだ目で拓也を見つめながらその首に腕を回した。

 

 拓也は香代の耳元で囁くように言った。

「僕、ほんとは……」拓也はごくりと唾を飲み込むとさらに小さな声で続けた。「ずっと貴女を抱きたかった……」

「嬉しい……」

「いいの?」

「抱いて……」

 

 元々拓也の使っているそのベッドは、二人で暮らすようになって香代が一人で使わせてもらっていた。今まで一度も二人がこのベッドで一緒に休んだことはなかった。拓也の方がそれを頑なに拒んでいて、自分は毎晩カーペットの上でシュラフにくるまって寝ていたのだった。

 

 そのベッドの上で、香代は着ていた春物のセーターとスカートを脱ぎ、躊躇うことなく下着姿になった。

 拓也も無言のままズボンとシャツを脱ぎ去り、香代と向かい合った。

 

 それから二人はどちらからともなく唇を重ね合い、お互いが身につけていた最後の一枚を脱がせ合った。

 拓也は仰向けになった香代のうなじに唇を這わせ、髪を撫でながら二つの柔らかな乳房を両手でさすった。

 ああ、と甘い声を上げながら香代は身をよじらせた。そして自ら両脚を広げた。

 拓也は決心したように自分のペニスを手で握ると、香代の谷間に押し当てた。そして中に入ろうと試みた。

 

 しかし、そこはひどく乾いていて、拓也のものを受け入れることができなかった。

 

「ローション……」香代が小さく言って身体を起こした。

 拓也は香代から身を離し、うなだれてベッドの端に座り直した。

「やっぱりよそう」拓也は力なく言った。

「大丈夫、ローションさえあれば、私、」

「香代さん、」拓也は香代を優しく抱いて静かに言った。「貴女が心から僕を受け入れることができるようになるまで待つよ」

「受け入れられるわ。大丈夫、私貴男を、」「いや、」

 拓也は香代の言葉を遮って言った。「たぶん貴女の心の奥に男性を受け入れることを拒否する気持ちが残ってるんだ」

 香代は涙を浮かべていた。

「ごめんなさい……」

「身体が男を受け入れることを拒否している。僕は何となく感じる」

「違うの、私拓也君と一つになりたい、これは本当の正直な気持ち」

「ありがとう」拓也は寂しげに笑った。「それはわかる。貴女が僕を心から許してくれていることはとってもよくわかる。でも、貴女の中の何かがそれを阻んでるんだ」

 香代は洟をすすりながら言った。

「AVの世界にずっといたから?」

「……わからない」

「貴男と何日も過ごしているうちにできるようになるかな……」

 香代は子供のように泣きじゃくっていた。

 拓也はため息をついた。

「ねえ、拓也君、私を見捨てないで……」

「見捨てたりしないよ。僕も貴女をもう手放す気にはなれない」

 拓也はそっと香代に唇を重ねた。しょっぱい涙の味がした。

 

 

 その夜、グレーの作業着を着た建蔵が『シンチョコ』にケネスを訪ねた。

「おお、何や、どないしたんや? おやっさん」

 閉店後の片付けをしていたケネスが所々にチョコレートのシミのついた白いユニフォーム姿のまま建蔵を出迎えた。

「話があるんだ、ケネス」

 

 ケネスはその老職人を喫茶スペースのテーブルに座らせ、自分もそれに相対して座った。

「あの女の話なんだが……」建蔵は静かに話し始めた。

「あの女?」

「四年前家を出て行った嫁だよ」

「香代さんのことか?」

 建蔵はうなずいた。

「今日、若い男が訪ねてきてな、あの女が帰りたいと言っていると言うんだよ」

「若い男? 誰やそれは」

「わしも初めて見るヤツだった。確か姫野と名乗っとった」

「そいつが香代さんの新しい男だったっちゅうわけか?」

「わしも始めはそう思うた。じゃが、よくよく考えたら、そんなやつがのこのこ実家にやってきてわしと会ったりするか、と考えた」

「うむ。確かにそうやな。で、その男は他にどんなこと言ってたんや?」

「約束の四年が経った、とか言うとった。」

「どういう意味やねん、おやっさん」

「わしにも意味がわからん。それより、」建蔵はいつもケネスに頼み事をする時に見せる目をして言った。「ケネス、あの子に、将太に会わせた方がええんじゃろうか、母親を」

 

 建蔵が予想していた通りケネスは困った顔をした。

 

「今さら、あの子を捨てた女を迎え入れる気持ちにはなれんのだが、将太にとってはやっぱり母親だしな……」

「将太は、」ケネスが言葉を選びながら言った。「母親のことをどう思うとるんやろ、今」

「わからん……彩友美さんになら話しとるかもしれんが」

「その姫野っちゅう男の連絡先は訊いとらんのか? おやっさん」

 建蔵は申し訳なさそうに眉尻を下げた。「怒りが爆発して、即刻追い出してしもうたから……」

「そうか。……まあ、無理もないわな」

「今度来たら、ちょっと冷静になって話を聞いてやるつもりじゃが……」

「また訪ねて来そうか?」

「……わからん」

 

 ケネスは腕組みをして低い声で言った。

「わいも前から思うとったんやけど」

 建蔵は顔を上げた。

「あのよう気が回る、どっちか言うたら穏やかな感じの香代さんが、いきなり外に男作って家を出て行くやなんて、どうにも信じ難いんや」

「じゃが、実際手紙を書いてよこしたじゃないか」

「その手紙、怪しいと思えへんか?」

 建蔵は険しい顔をして黙り込み、唇を噛みしめた。

 

 

「なんだ、海山和代」

『ケンジさーん』

 海山和代は電話越しに甘ったるい声を出した。

「用件がなければ切るぞ」ケンジはいらいらして言った。

『あーっ、だめだめ、切らないで。ちゃんと用事があって電話したんだから』

 ケンジは『シティホテルKAIDO』地下一階のオフィスでコーヒーブレイクを過ごしているところだった。

『新しいセラピーのクライアントが来たの。ちょっと訳ありの』

「訳ありのクライアント?」

『詳しくお話がしたいから今から行ってもいい?』

「ほんとに仕事の話で来るんだろうな」

『当然でしょ』

「俺に色目使ってきたりしたら容赦なく追い出すからな」

『もう、冷たいんだから……』

 

 ケンジとミカと相対して海山和代がオフィスのソファに座った。

「依頼人は拓也君(32)とカヨコさん(39)というカップル」

「夫婦か?」

「それがねー」

 小皿に乗ったガトーショコラをフォークでつつきながら海山和代は肩をすくめた。

「何だよ。それが訳ありか?」

「同棲してるけど結婚はしてない」

「別にありがちな普通のカップルじゃないか」ミカが言った。

「そう。あたしもそう思って、彼女の方のカウンセリングをしてみたの。そしたら、なかなか深い闇を持っていることがわかったんです」

「深い闇?」

「二人の悩みは、彼女の方がどうしても濡れなくて、挿入を身体が拒むってこと」

「その二人、うまくいってないんじゃないか?」ミカが言った。「ほんとにそのカヨコさんって彼氏のことが好きなのか?」

「そこは普通以上。もう彼氏がいなければ歩けないほどの恋愛感情を持ってます」

「彼氏とちゃんとセックスしたいって思ってるわけだね?」

「気持ちの上ではね」

「その気は十分あるってことだな」

「彼女の心の奥に、何かがわだかまってる。でもそれが何なのかわからない。なかなか彼女の心の中が見えなくて……」

「和代でもだめだったのか? おまえ暗示を掛けて人の心を鮮やかに読むじゃないか。魔女並みに」

「魔女って何ですか。せめて呪術師って呼んでくれません?」海山和代は口を尖らせた。

「どこが違うんだ」

 ミカが言った。「やってみたんだろ? いろいろ」

「でもだめだったんですよねー」

 海山和代は至極残念そうに言って紅茶のカップを口に運んだ。

 

「で、どうする気だ? 他に何か考えがあるのか?」

 海山和代はテーブルに身を乗り出した。

「ケンジさん、そのカヨコさんを抱いてみてくれます?」

「それで?」

「身体が感じるかどうかを確かめて欲しいの」

「彼氏とのエッチでは感じるって言ってたのか?」

「はい。それは間違いない。でも挿入だけがうまくいかない」

「それって身体的な障害じゃないの?」

「ううん、膣内の汗腺にもホルモンにも問題ないし、健康体よ。逆にかなり開発された感じはあった」

「開発された?」

「カヨコさんは元AV女優」

「何だって?」

「クリトリスや外陰唇、膣内のセンサーは、とっても感度がいいはずなの」

「AVの撮影では挿入できてたんだろ?」

「たっぷりローション使ってね」

「なるほど」

「男優との絡みではそもそも身体が反応することはなかった、って言ってましたね。イくことはもちろん、身体が熱くなることも皆無だったって」

「そんなもんじゃないのか? AV女優って。いちいち昂奮してたら身が持たないだろう」

 ケンジはちらりと隣のミカを見た。

 

 

「でも、拓也君に抱かれると身体も心も熱くなって、思わずキスしたりしがみついたりしたくなるって言ってましたね」

「そこは普通だね」ミカが腕組みをしたまま言った。「でも濡れないのか……」

「俺がその彼女を抱いたとしても、濡れない原因まで探るのは無理だぞ」ケンジはコーヒーカップを持ち上げた。

「あたしに考えがあるんです」海山和代が指を立てて言った。

「ケンジさんに抱かれる時、あたしが彼女に暗示をかけて、深層心理をできるだけ表に引っ張り出します。その上でエッチしてもらって、彼女が口にする言葉や身体の反応から心の奥底を探ろうと思うんです」

「ピルは処方したの?」

 ミカが訊いた。

「すでに常用してるそうです、カヨコさん。AV女優はみんなそうしてるとか」

 海山和代はシンチョコの箱からプリンのカップを取り出した。

 ミカが眉間に皺を寄せて言った。

「おまえ、遠慮なくよく食べるな、人んちで」

 スプーンですくったカフェオレ色のプリンを口に入れた後、海山和代はけろりとした顔で言った。

「紅茶のお代わりいただけます?」

 

「何だ、拓也君って姫野君のことだったのか」ケンジがカヨコと二人でやって来た拓也の顔を見るなり大声で言った。

「お久しぶりです、ケンジさんにミカさん」

 拓也は緊張したように笑って右手を差し出した。

 その手を握りながらミカが言った。

「あたしたちのDVD、えらく評判なんだよ。バカ売れ。姫野君のカメラのお陰」

「そんなことありません。素材がいいからです。ケンジさんとミカさんの絡みは、誰が撮ろうが魅力的で素晴らしい画になることは間違いないですよ」

「謙遜全開。相変わらずだね」ケンジは笑った。

 

「彼女がいたんだね。いつから?」ミカがカヨコを見ながら言った。

「いつから……かな?」

 拓也は香代の横顔を見ながら頭を掻いた。

「もう長いの?」

「知り合ってからは四年ですけど、その、身体の関係になったのは二か月ほど前……」

「そう。まあとにかく、座って」

 ミカは二人を椅子に座らせた。

 ケンジは向かいの椅子に座ってうつむいているカヨコという女性を、どこかで見たことがあると感じていた。

 

 ケンジたちは海山和代のアイデアとやり方をその二人のクライアントに伝えた。拓也もカヨコも快諾して、二週間後実行に移すことになった。

 拓也のたっての願いで、セラピーは『マリン・ルーム』を使うことになった。

 

「じゃあカヨコさん、ベッドに横になって」

 海山和代が下着姿のカヨコに促した。

 カヨコは一つ深呼吸をして青いカバーの掛けられたベッドに横になった。

「一緒に横になります。いいですか? カヨコさん」下着姿のケンジがベッドの横に立っていた。

「お願いします」

 ケンジはカヨコにアイマスクを渡し、彼女がそれをつけたことを確認すると寄り添うように横になった。

 海山和代が低い声で静かに、ゆっくりと口を開き始めた。

「カヨコさん、あなたは今、心から望む人と一緒にベッドにいます」

 ケンジがカヨコの頬を優しく撫でた。

「この人には自分を全てさらけ出すことができます。安心して身を任せて下さい。大丈夫、安心して下さい」

 

 この『マリン・ルーム』には穏やかな波の満ち干の音が絶え間なく流れている。

 

 海山和代は声を次第に落としていって、最後に「この人は貴女が今、一番心を開ける人です」と抑揚のないトーンで静かに言った。

 カヨコの身体からふっと力が抜けたことを確認したケンジは、そっとその唇に自分のそれをあてがい、小さくこすり合わせながら吸った。カヨコは甘い声を上げ始めた。

 それからケンジの手や唇が彼女の身体をくまなく這わせられる度に、カヨコは次第に大きく身をよじらせ喘ぎ始めた。

 

 マジックミラー越しにその様子を見聞きしているのはミカと拓也だった。すぐに海山和代がそこにやってきて、二人と同じようにヘッドセットを装着した。

 

 ケンジの唇がカヨコの乳首を捉えた時、彼女の身体は大きく反応した。

 ビクン、と身体を震わせたカヨコは、自分の乳首を咥えたケンジの身体を反射的にぎゅっと抱きしめた。

 

「動いた……そろそろ出てきそう……キーワードが」海山和代がつぶやいて、耳に当てたレシーバーを押さえた。

 

 カヨコはケンジの頭を抱えて自分の乳房に押しつけ、喘ぎながらひと言叫んだ。

 

「将太!」

 

「来たっ!」ミカが言った。

「出てきましたね」海山和代が目を輝かせた。

「あれか……」

「それにかなり濡れてますね、カヨコさん」

「ほんとだ、シーツまで濡れてる。今までずっとあの人に見られなかった現象です」拓也は昂奮したように言った。

 

 ケンジはカヨコと大きく顔を交差させながらキスを交わし始め、同時にコンドームを装着した。

「来て、来て!」カヨコは息を荒くしながら狂ったように懇願した。

 ケンジはゆっくりとペニスを彼女の谷間に挿入し始めた。あふれ出るほどの愛液で潤ったカヨコの中に、ケンジのペニスはぬるりと深く入り込んだ。

 

 カヨコは自ら腰を動かし始めた。それに合わせてケンジも身体を揺すり始めた。

「ああ、イく、イっちゃう。もうダメ、あたし、あたしっ!」

 カヨコは間もなく全身を大きく硬直させてぶるぶると痙攣し始めた。その時何度も繰り返しペニスを強く締め付けられたケンジは思わず歯を食いしばり仰け反った。

 焦ったケンジは叫んだ。

「ああっ! やばい! イく、出るっ!」そして次の瞬間激しく射精を始めた。

 ぐううーっ!

 

 次第に力が抜けていくカヨコの身体を抱きしめたまま、ケンジは自分でコントロールできずに射精してしまったことをひどく気にしていた。図らずもクライアントの女性に逆にイかされたのは初めてだったからだ。

 

 大きく荒い息を繰り返しながらケンジはカヨコから身を離した。

 

 モニタールームでミカは拓也に気の毒そうな顔を向けた。

 海山和代がゆっくりヘッドセットを外した。

「拓也君には申し訳ないけど、カヨコさんの心の一番奥にいる人物は『ショウタ』という人らしいわね」

「そうか、やっぱりそうか!」

 拓也は昂奮して立ち上がり、そう叫ぶと、ミカと海山和代を交互に見て嬉しそうな顔をした。

 

 ミカと海山和代は面食らって言葉を失っていた。

 

「ありがとうございます。僕の思ってた通りです」

 

 

 ミーティングルームのテーブルを囲んでケンジ、ミカ、海山和代、それに拓也とカヨコの二人が座っていた。

 拓也が横にいるカヨコに向かって真っ先に口を開いた。

「香代さん、やっぱり貴女は将太君に会うべきだ」

「『香代さん』? カヨコじゃないの? 名前」

「実は……」

 香代は申し訳なさそうに言った。

「私の本名は『香代』なんです。『カヨコ』はAVの仕事をしてた時の芸名です」

「もしかして」ケンジが大声を出した。「香代さんって、志賀工務店の香代さん?」

 香代は小さくうなずいた。

「なんだ、ケンジ、知り合いか?」ミカが怪訝な顔で言った。

「そうか、だからどこかで会ったことがあるって思ってたんだ」

「会ったこともあるのか? いつ?」

「ほら、昔スイミングスクールのロッカールームの改修を『志賀工務店』に頼んだことがあったろ? その時に俺が直接建蔵さんにお願いに行ったんだ。その時お茶を出してくれたのがこの香代さん」

「香代さんは覚えてたの? その時のケンジ」

「はい、もちろん……でも私今は姿を変えてるので、黙ってました」

「不覚。あたしも気づかなかったな」

 海山和代が至極悔しそうな顔をした。

「香代さんはクリニックで何度も診察したことがあるのに……」

「ごめんなさい、和代先生、正体隠してて……」

 香代は申し訳なさそうに言った。

「将太君って息子さんよね?」

 香代はこくんとうなずいた。

「なんでさっき気づかなかったんだろう……知ってたのに。悔しい」

「で、でも香代さん、どうしてAVの仕事なんかを……」

 ケンジはひどく心配そうな顔をして訊いた。

 

 香代は今までのことをすっかりそこにいる三人に話した。自分が家を出ることになった理由、AV界でつらい生活を送っていたこと、そしてその時知り合った拓也に惹かれていったこと。

 

「家を出てたのか、香代さん……」ケンジはつぶやいた。そして香代に身を乗り出し、強い口調で続けた。「姫野君の言うように、香代さんは一刻も早く家に帰るべきだ」

「それは僕も香代さんも同じように考えてるんですが、」拓也が苦々しい表情で続けた。「約束の四年が経ったので、帰らせて下さい、って工務店のご主人にお願いに行った時、なぜか彼はひどく怒って、僕を追い返したんです」

「建蔵じいさん、けっこう頑固なところがあるからねえ……」海山和代が言った。「香代さんが出て行ったことを今でも許さないって思ってるのかしら」

「息子の将太君を置いて、ってところがやっぱり一番引っかかってるんじゃないか?」ミカが言った。

「建蔵さんとはケニーの方が親しい。やつに頼んでみよう。仲を取り持ってもらうには最適だ」ケンジが提案した。

「そうだね、ケネスは人並み以上にお節介な男だからね。それに情報屋だし。にしても、」ミカはケンジを見てにやりと笑った。

「な、何だよ」ケンジは頬を染めた。

「あなた、香代さんに思いっきりイかされてたね」

「わ、わかってたのか」

「そんなに昂奮してたのか?」

「いや、その……」

「ごめんなさい」香代は顔を真っ赤にして縮こまっていた。「私、我を忘れて、なんかもう……」

「すごいよ、香代さん」拓也が晴れ晴れとした表情で言った。「この『すずかけ町のセックス・マスター』ケンジさんを自分のペースでイかせるなんて」

「修業が足りないね、ケンジ」ミカが言い放った。

 ケンジは口を尖らせた。

「あのね、僕のことを『セックス・マスター』って呼ぶの、やめてくれないかな、姫野君まで……」

「え? だってそうじゃないですか。このセラピーでケンジさんに抱かれた女性は一人残らず大満足するらしいし、貴男に抱かれたくてわざわざ来る『なんちゃってクライアント』もいるんでしょ?」

「いるね」ミカがおかしそうに言った。「まるで女性向けフーゾク扱い」

「しかも、ケンジさんに抱かれた女性のパートナーの男性になぜか嫉妬心を全く抱かせることがない、っていうところなんか、もう神じゃないですか」

 ケンジはひどく困った顔をして口を閉ざしていた。

「パートナーがケンジに寝取られてる現場を見て大昂奮するオトコも結構いるんだ、あははは」

 ミカは高らかに笑った。

「ね、寝取ってるわけじゃない。変な言い方するな」

 拓也は自信たっぷりに言った。

「すでにあなたの『セックス・マスター』の称号は世の中に広く浸透してます」

 ケンジは赤くなったまま、ムキになって言った。

「姫野君、そもそも君はなんでそんなに爽やかな顔してるんだ? 君の愛するパートナーが目の前で違う男とセックスしたんだぞ?」

 拓也は小さく肩をすくめた。

「だって、『セックス・マスター』ケンジさんですから」

「もういい。何度も言わないでくれ」

「それに、香代さんがちゃんと全身で反応して、相手をイかせることさえできるってこともわかったんで」

「まったく……どっちがクライアントなんだか……」

 ケンジは頭を掻きむしりながらコーヒーカップを持ち上げた。

7.帰宅
7.帰宅