Chocolate Time 外伝第3集 第5話

 

デザートは甘いリンゴで 12.思いがけない事実


 「美穂、君に頼みがある」

 英明は一つため息をついて、居住まいを正した。

 「どうか、僕とこのまま結婚生活を続けて欲しい」

 「も、もちろんです。あたしはあなたの妻だから……」

 美穂はそう言いながら誠也をちらりと見た。誠也は黙ってうつむいたままだ。

 「ただ、それには条件があるんだ」

 

 美穂は覚悟を決め、膝に置いた拳に力を込めた。これでもう自分と誠也との関係は絶たれてしまう。だがそれは仕方のないことだ。元々許されない関係だったのだ。たとえお互いがどんなに強く求め合っていたとしても、自分が英明の妻である以上、その思いに流されるわけにはいかなかったのだ。

 

 美穂は観念したように言った。

 「はい……もうどんなことでもあたし、受け入れます……英明さん」

 「性的に不能な僕との夫婦生活をこれからも君にお願いする以上、」英明はそこで言葉を切り、美穂と誠也の顔を交互に見て静かに言った。

 

 「誠也との関係もこのまま続けて欲しい」

 

 美穂と誠也は同時に顔を上げた。そして息を飲み目を見開いた。

 「誠也とはこれからも自由に愛し合ってもらいたいんだ。その上で僕との生活も続けて欲しい。今まで通り」

 「ど、どういうこと? そんなことって……」美穂は焦ったように言った。「あ、あなたはそれでいいの? 大丈夫なの?」

 英明は微笑みながら言った。「君はどうなんだい? やっぱりこうなったら僕と別れて誠也と一緒になりたい?」

 美穂は首を横に振った。

 「あたし……すごくわがままなことを言うようだけど……」

 英明はうなずいた。

 「あたしの中では英明さんは人生を一緒に歩いて行く大切なパートナー。それは結婚前から今も変わってないの。でも、さっきあなたが言ってくれたように、一つだけ、夫としてのあなたに期待できないことがあった。それはこの身体を慰めてくれること。でも、あたしがそれをあなたに求めることで、あなた自身も苦しめてたんだと思う」

 英明は目をしばたたかせ、美穂を見つめた。

 「こんな不甲斐ない僕なんかの妻でいてくれるのは君しかいない……。きっと他の女性と結婚したとしても、愛想を尽かされ、早々に別れさせられていただろう。あの同僚と同じように……ほんとに済まない、美穂」英明はうつむいた。「僕はもう君なしの生活は考えられない。こんな僕でも君の夫でいさせてくれるだろうか、これからも……君の気持ちを確かめたい」

 英明は顔を上げた。

 「あたしには英明さんと誠也君を比較することなんてできない。あたし、あなたも誠也君も好き。同時に好きなの。もうどちらも手放すことなんかできない」美穂の声は震えていた。

 「美穂……」

 「あたし、あなたにも誠也君にも愛されたいし、二人とも愛したい……」美穂の目から涙がこぼれた。「あたしって……ふしだらな女……だよね」

 「いいや、」英明はテーブルの美穂の手をそっと両手で包み込んだ。「夫として妻にしてあげなければならないことを僕と誠也とでシェアしているってことだよ。君は二人の男を好きなんじゃなくて、一人分の二人を愛しているってことなんだ。それでいいよ。まさにそれが僕の願いでもあった」

 「お、叔父さん、」ずっと黙っていた誠也が弱々しく口を開いた。「叔父さんはそれでいいんですか?」

 英明は肩をすくめた。

 「いいも何も、おまえが僕の代わりに美穂を抱いて気持ちよくしてくれるのは、僕にとっても有り難いことだよ。僕には永久にできないことだからね」そしてふっと笑って続けた。「おまえも美穂のことが好きなんだろう?」

 誠也の表情が和らぎ、同時にその目から涙がぽろぽろとこぼれ落ちた。

 「はい。好きです」

 英明はその時、子供の頃から知っているこの甥が涙をこぼすのを初めて目にした。

 

 「もう一つ。今度は誠也にたってのお願いがあるんだ」

 「は、はい」誠也は思わず目を拭って、叔父の顔を見た。

 「娘の真琴をずっと可愛がってやってくれないか」

 誠也は意表を突かれて数回瞬きをした。

 「も、もちろんです。いとこだし、これからもずっと」

 英明は満足そうに小さくうなずいた。そして美穂に目を向け直した。

 「僕は結婚前は恋人であり、結婚してからは妻である美穂の身体を満足させる務めを果たせない自分をずっと情けなく、もどかしく思っていた。それでも真琴が生まれて、僕はすっかり安心した。自分にもちゃんと君の配偶者としての役割が果たせたと思った。僕にとって唯一の性的な成功体験だったと言ってもいい。ただ、やっぱりその後もセックスには気が乗らない。射精するのも辛くて苦しい。でも妻の美穂はそれを望んでいる。このままじゃだめだと思った僕は泌尿器科を受診したんだ。君には内緒で」

 美穂は英明の目をひどく切なそうな顔で見つめ返した。

 「そ、そうだったの……」

 「病院に行ったのは今の学校に教頭として勤め始めてすぐの頃だった」

 英明は一度うつむいて言葉を切った後、ゆっくりと顔を上げて静かに言った。

 

 「診察でわかった事実は僕が『無精子症』だということ」

 

 「えっ?!」美穂は鋭く顔を上げた。

 「僕の精液の中には精子がただの一個も含まれてない。精巣の機能が失われているらしい。性欲が薄いのはそのせいではなく『非性愛』というパーソナリティ的な特性の問題だと医者は言っていたが、多少は影響しているんだろうね」

 「じゃ、じゃあ真琴は?」

 「真琴は僕の子じゃない。僕はあの子が生まれて、そんなこと疑いもしなかった。僕と目元がよく似ているって誰からも言われたし、幼い頃からあの子とは馬が合う感じだったし、それが親子ってもんなんだろうな、と疑いもしなかった。でもその真琴がまさか他人の子だったとは……」

 

 美穂と誠也は同時に思い当たった。結婚式の二次会の後のあの夜! 二人は申し訳なさそうに顔を見合わせた。

 

 「じゃあ、真琴はいったい誰の子なんだ? 僕はそれから疑心暗鬼と闘ってきたが、美穂は妻として僕との生活を普通に送り、僕を大切にしてくれていたから、いつしかその不安も小さくなっていった」英明は一息ついて続けた。「それに真琴も僕のことを父親だと疑わず、慕ってくれていることで随分気持ちは安らいだ」

 英明は湯飲みの茶を飲み干した。

 「でも僕は君と誠也とがお互い惹かれ合い身体を重ね合う関係であることを知った。その時僕は願った。真琴が誠也との子であることを。たとえ真琴が行きずりのオトコとの一夜限りの過ちでできた子であったとしても、僕は君を責めることはできない。でも、できることならあの子が真剣に愛し合っている君たち二人の間に生まれた子であって欲しい。そう願っていた」

 英明はぐっという音を立てて唾を飲み、懇願するような目を美穂に向けた。

 美穂は英明の目を見つめたまま小さな声で言った。

 「間違いありません……」

 英明はふうっと何かに解放されたように長いため息をついた。

 「思い当たることがあるんだね?」

 「確かに……」美穂は放心したように口を開いた。「真琴がお腹に宿るきっかけになった時期に抱かれたのはあなたと誠也君だけ。だから真琴があなたの子でなければ誠也君の子供であることは間違いない。でも、今まであの子がこの人の子供だなんて考えもしなかった……」

 美穂はまた涙ぐみうつむいた。

 「良かった……。あの子が僕に似ている理由もこれで解決。どうにか血は繋がっているわけだからね」英明はうなずいた。「美穂、君が娘の名前を『真琴』にしたのには何か理由が?」

 美穂は観念したように口を開いた。

 「今思えば、ほんとに考えもしなかった巡り合わせ。真琴が生まれた時はもちろんあなたとの子供だと信じて疑いもしなかったけど、あたしが誠也君と愛し合った事実と言うか、証拠をどこかに残しておきたかったんだと思う。あの後、誠也君とはもう二度と会わないって約束してたし……ごめんなさい」

 「誠也の『誠』の字をそのままあの子に名付けたのか。今思えばなかなかいい考えだったね」

 英明はにっこり笑った。

 

 「ま、真琴ちゃんが俺の子……」

 美穂の横に座った誠也は背を丸め、放心した様子でうなだれていた。

 「おまえもびっくりしただろう? 誠也」

 「お、叔父さん、俺、どうしたらいい?」

 おろおろしながら当惑した目で英明に顔を向けた誠也に笑顔を返して、英明は言った。

 「どうするもこうするも、運命の巡り合わせだったんだよ、誠也。そのままでは子供を持つことが永遠にできなかった僕たち夫婦を、結果的におまえが救ってくれたってわけだからね。美穂の身体を受け止め、僕たちに真琴という宝物を授けてくれたんだから。僕にとっても真琴は可愛い。誰よりも愛している。血が繋がっていることも幸いだ。そうだろ?」

 誠也は目を潤ませ唇を噛んだ。

 「だから美穂と真琴を大切にしてやってくれないか。いつまでももう一人の夫、そして血を分けた父親として」