Twin's Story Chocolate Time 外伝 "Hot Chocolate Time" 第3集 第3話

 

海の香りとボタンダウンのシャツ


7.月下氷人

「なんすか、一体」洋輔が焼き鳥の串をつまみ上げて口でむしり取った。「なんでいきなり同窓会?」

「相変わらず強引ですね、ミカ先輩」洋輔の横に座った堅城が枝豆に手を伸ばした。


 ここはすずかけ町の居酒屋『らっきょう』。大学時代、水泳サークルに所属していて、よく飲み歩いていたメンバーに声を掛け、呼びつけたのはミカだった。集まったメンバーは呼びかけ人のミカ、美紀、二人の二年後輩で現在ミカの夫であるケンジ、そのメドレーリレー仲間だった久宝洋輔、堅城。


 ミカが不機嫌そうに言った。「小泉はどうした? なんでここにいないんだ?」

「ヤツは、」堅城がビールジョッキに手を掛けて言った。「海外に派遣されてるんです」

「なに? ほんとか?」ケンジが言った。

「『二階堂商事』の営業部にいて、まだ独身だから今のうちに出されたんじゃないですか?」堅城はビールを豪快にあおった。

「今、上海にいるそうっすよ」洋輔が言った。「現地で女ゲットしたりして」

 ケンジが言った。

「でもこのメンバーで飲むのも何年ぶりかな」

「俺たちが卒業した年以来だから6年ぶりだな」堅城が言った。「みんな変わってませんね」

「なんでこんな中途半端な年に企画したんすか? ミカ先輩。ふつう切りよく10年とかにするっしょ」

「ただの気まぐれ」ミカが鶏手羽先に歯を立てたままで言った。

「……やっぱり」

「いつものことだろ?」堅城が笑った。「ケンジはやっぱり振り回されてるのか? ミカ先輩に」

「相変わらずだ」ケンジが言った。

「あたしがいつケンジを振り回してるって? 身に覚えがないんだけど」

「ほら、そういうトコが。自覚無しに振り回してんでしょ? ケンジを」洋輔がミカを指さしながら言った。

「久宝、おまえ殴られたいのか」ミカが身を乗り出した。

 一同は笑った。


「ところで美紀先輩、なんか元気ないですね」ケンジがビールを一口飲んだ後、テーブルにジョッキを戻しながら言った。「あんまり飲んでないし」

 ミカはちらりと横に座った美紀を見た。

「ううん。そんなことないよ。楽しい。久しぶりにみんなと会えて」

「確かにちょっと静かだな、美紀先輩」堅城も言った。

 美紀は少し無理して笑顔を作って言った。「そうそう、みんな聞いて、久宝君の彼女ってかわいいんだよ」

 堅城が横の洋輔を軽く睨みながら言った。「今度の彼女はどんな子なんだよ」

「ボブカットのおとなしそうな子。もうラブラブなんだよ。あたし二人のデートの場面を見ちゃった」

 

 洋輔は一瞬美紀を睨み、すぐにうつむいて眉間に皺を寄せ、ぼそっと呟いた。「ラブラブなんかじゃないっすよ」

 

 いつになく真顔で少しふて腐れたような雰囲気の洋輔に、前に座ったケンジはばつが悪そうに頬をぽりぽりと掻いて言った。「こ、この唐揚げ、うまいですよ。美紀先輩いかがですか?」

「え? あ、ありがとうケンジ君」

 ミカが枝豆の鞘を指でつぶして、器用に中の豆を飛ばした。

「いてっ!」洋輔が言った。彼は右頬に当たってテーブルに落ちたその緑色の豆を拾い上げ、口に入れながら言った。「ミカ先輩、やめてくれません? 枝豆飛ばすの」

「久宝は枝豆嫌いか?」

「おんなじこと、大学時代にケンジにも言ってましたよ」

「おまえさ、いっつもそのシャツ着てんのな、よれよれのボタンダウンのシャツ」

「いいでしょ。ほっといて下さい」

「こいつ、ずっとこんな格好なんです」堅城が言った。「大学ん時から」

「だよな。一着しか持ってないのか?」

「そんなわけないでしょ」洋輔が横目でミカを睨み、ジョッキのビールをあおった。

 ミカはちらりと横の美紀に目をやった。彼女はビールのジョッキを両手で包み込むようにして、少しうつむき加減に上目遣いで洋輔を見ていた。

 

 

「いいの? ミカ、お邪魔しちゃって」

 美紀は海棠家の玄関先で立ち止まり、言った。

「だめだ、って言っても今さらこの辺にあんたが一人で泊まれるホテルはないよ」

「遠慮しないで下さい、美紀先輩」ケンジも言った。

 

 

 ソファに座った美紀がきょろきょろしながら言った。

「あれ、龍くんは?」

「ああ、今『シンチョコ』で預かってもらってるよ。あの子かまってちゃんだから、あたしやケンジに付きまとって、それに相手してたらあんたとゆっくり話もできないよ」

「寂しがってるんじゃないの?」

 ミカは紅茶のカップを美紀の前に置いた。

「大丈夫。あっちにいるいとこのねえちゃんが大好きなんだ、あいつ。もう親のことなんか忘れ切ってんじゃない?」

 美紀は笑った。

 

 美紀の前に座ったミカは、コーヒーのカップを手にとって言った。「さあ、話してみなよ。何があったの?」

「え? 何のこと?」

「とぼけんじゃないよ。顔に書いてある。言いたいことがいっぱいあるって」

 

 美紀は観念したように口を開いた。

「失恋したの」

「失恋? あんた好きな人がいたの? っていうか実際つき合ってたとか?」

「うーん、複雑」

「なんだよ、それ」ミカはカップを口に運んだ。


 それから美紀は、出会い系で出会った二人の男性との出来事をミカに話して聞かせた。話し終わった時、美紀はふうっと大きなため息をつき、紅茶のカップを口に運んだ。


「意外にさっぱりしてんじゃん。美紀」

「思えば、軽率で短絡的だった。あんな方法でまじめな交際ができる相手なんか見つかるわけないよね」

「でもその島袋っていう男にはかなり惚れてたんじゃないの?」

「幻想……かな。妄想かも。あの人、とっても不器用だって思う。電話した時部屋を走り回る子どもの足音が聞こえたり、二人分のイニシャルが彫ってあるキーホルダーちゃらちゃら腰にぶら下げてたりしてたし」

「子持ち既婚者って気づいててあんた恋してたの?」

「自分で必死に彼が結婚していることを否定してた。そんなこと考えたくなかった」

「焦ってんのか? あんた」

「焦りもするよ。もう31だよ?」

「まだ若いじゃないか。そんなリスクを犯してまで男を漁らなくても……」

「漁る、って何よ。あたしそんな肉食じゃないからね」

「出会い系に首突っ込んだ時点で肉食だよ。思いっきり」


 美紀は黙り込んだ。そして疲れたようにまたため息をついた。

「心も身体も癒やしてくれる人が欲しいんだろ? 美紀」ミカが優しく言って、彼女の肩に手を置いた。

「たぶんね」

 そして美紀は顔を上げて悪戯っぽく口角を上げた。「ケンジ君貸してくれる?」

「ああ、それはいい考えだ」ミカも笑った。「彼に抱かれたら身体は大満足だよ。保証する」

「そんなにいいの? ケンジ君」

「もう抱かれてる間、ずっと天国にいれるよ」ミカはウィンクをした。「でも、」

「え?」

「ケンジじゃあんたの心までは癒やせない。そうでしょ?」

「……何が言いたいの? ミカ」

「あんたさ、本当は久宝のことが好きなんじゃない? あいつとおんなじシャツに固執してたりするし」

 美紀はミカから目をそらして肩をすくめ、あっさりと言った。「まあ、あいつはあたしのヴァージンを奪ったやつだしね」

「それだけが理由じゃないだろうけどさ、久宝が彼女持ちっていう現実を目の当たりにして、あんたもやけになって変な男どもに走ったんじゃないの?」

「……」

「それとも、あんた久宝を恨んでるの?」

 美紀は首を横に振った。

「忘れられてないんじゃないの?」

 ミカは美紀の顔を覗き込んだ。

「そんなこと言ったって、久宝君には彼女がいるじゃない。いつも……」

 美紀の瞳が涙で揺らめいた。


 その時スウェット姿のケンジが、タオルで頭を拭きながらリビングに戻ってきた。「美紀先輩、シャワーどうぞ」

 美紀は照れくさそうに目を拭って、顔を上げた。「ありがとうケンジ君」


 美紀が着替えを持ってバスルームに足を向けた後、冷蔵庫からスポーツドリンクを取り出していたケンジをミカが呼んだ。

「ケンジ」

 リビングに戻ってきたケンジは、そのキャップを捻りながらミカの向かい、今まで美紀が座っていた場所に腰を下ろした。

「美紀先輩、どうかしたのか?」

 ミカはその問いには答えず、言った。「ケンジ、久宝にさ、それとなく訊いてみてくれない? 彼女のこと」

「え? どういうこと?」

「確実に言えるのは、美紀は久宝が忘れられてないってこと」

「忘れられていない?」

「そう。好意的な意味で」

「ほんとに? 久宝のヤツにあんなことされて、美紀先輩、どっちかって言うと久宝を嫌ってるのかと思ってたよ、俺」

「それが違ってたみたいなんだよ。でもま、処女を捧げたからってだけであいつを好きになってるわけじゃないけどね、たぶん」

「そうなんだ……」

「それにさ、夕方、居酒屋で飲んでる時、美紀に彼女のこと言われて、久宝、妙に否定してたじゃん、真剣な顔してさ」

「うん。あの時俺もあれって思った。いつになく不機嫌な顔だったよな、あいつ」

「でしょ? 実は今の彼女ともしぶしぶ、何となくつき合ってるんじゃないかな」

「あいつずっとそうやって女性をとっかえひっかえしてきたからな。本気で好きになった相手なんかいないんじゃないか」

「いつでも遊び。あたしも何度もあいつに意見したけど、全然。馬の耳に念仏状態」

「で、何て訊けばいい? あいつに」

「今の彼女とは本気なのか、ってことと、心から好きになった人なんていないのか、ってことぐらいかな」

「あいつもいい年なんだし、そろそろ身を固めてもいいよな、確かに」


 しばらくして美紀がシャワーを済ませてリビングに戻ってきた。

「ミカ、ありがとう、『シースパイス』わざわざ買っといてくれたの?」

「そ、あんたのためにね。せっかく泊まってくれるんだし。おもてなしおもてなし」ミカは笑った。

「美紀先輩昔から好きだったですよね。部活の後も先輩からシースパイスの香りがしてましたもんね、いつも」

 ミカが怪訝な顔でケンジを見た。「なんだケンジ、あなたいつも美紀の身体の匂いを嗅いでたのか? いやらしいヤツ」

「そ、そんなことしないよ」ケンジは真っ赤になった。

 美紀はくすっと笑って言った。「ケンジ君ちっとも変わらないね、そうやってすぐ赤くなって弁解するところ」

 ケンジは必死になって早口で言った。「べ、弁解じゃありません。ほんとです。俺、美紀先輩をそんないやらしい目で見たりしてませんでしたから」

「残念」美紀は言った。「いっそいやらしい目で見てくれて、あたしの身体を慰めてくれたら良かったのにな」

 ケンジはますます真っ赤になった。「よしてください、美紀先輩っ!」

 美紀はあははは、と笑った。



 美紀が客間で休んだ後、ケンジは寝室で洋輔に電話をした。

『なんだ、ケンジ』

「今ホテルか? 久宝」

『ああ。さっきまで堅城と飲み直してた』

「そんなとこで良かったか? ちょっと狭いだろ、そのビジネスホテル」

『構わねえよ。一人だし、寝られればどんなとこでもな、っていうか予約してくれてありがとうな』洋輔は笑った。

「あのさ、おまえ、今の彼女とは本気でつき合ってんのか?」

『なんだよ、いきなり』

「居酒屋でのおまえの反応が気になってな」

 しばらくの沈黙の後、洋輔は低い声で言った。

『ケンジだから言うけど、実は俺、今の彼女とは別れたいって思ってんだ』

「またかよ。いつものことだろ? おまえの」

『いや、俺はそうなんだけどよ、彼女がそういうこと言い出せねえオーラ出してて』

「切り出せないのか?」

『結婚するつもりでいるらしいんだよ。俺と』

「なんだって? それじゃ余計に急がなきゃいけないんじゃないのか? おまえにその気がないんなら」

『そうなんだよなー』

「もう何度も抱いたんだろ? その彼女を」

『付き合い始めて二度目のデートで一回、俺んちの部屋で一回。でもそれきりだ。俺にしちゃ珍しいだろ?』

「自分で言うな」

『何か抱いてても気持ち良くなんねーんだよ、あの子』

「なに贅沢言ってるんだ」

『いや、身体は射精して気持ちいいんだけど、なんか満たされねえ、っていうか……』

「満たされない?」

『ああ。なんかな。あの子もそれを察知したのか知らねえけど、俺の部屋に来たいってそっから言わなくなった』

「おまえいやいや相手してたのか?」

『そんなことしねえよ。でもな彼女も、俺の部屋の匂いが苦手だ、って言ってたんだぜ。だから俺も誘わなくなったんだ』

「そんなに臭いのか? おまえの部屋」

『バカ言うな。いつも掃除して除菌までしてるんだぞ』

「どんな匂いがしてるんだよ、おまえの部屋」

『シースパイス。知ってっか? 『MUSH』の』


 ケンジは思わずケータイを耳から離した。そしてドレッサーの前に座ったままケンジの様子を窺っていたミカに目配せをした。


「なんでシースパイスなんか使ってんだよ、MUSHの石けんなんかおまえらしくもない」ケンジはわざとミカにも聞こえるように少し大きな声で言った。

『なんで、って……。いい匂いじゃねーか』

「単刀直入に訊くが、」

『なんだよ、ケンジ、声が不気味だぞ』

「おまえ、実は本命がいるだろ。ほんとに心からつき合いたいって思ってる女性がいるな?」

 洋輔は黙り込んだ。

「その人が愛用してるってことなんじゃないのか? シースパイス」


 長い沈黙の後、洋輔は低い声で言った。

『ケンジ……おまえにはいずれ俺の気持ちを話す。なんか気い遣ってもらってるみてえだし』

「わかった。俺の電話はホットラインだ」

『すまねえな』

 洋輔が先に通話を切った。


 ケータイをベッド脇のサイドテーブルに載せたケンジは、ドレッサーから立ち上がったミカに言った。

「おそらく、俺たちの思っている通りだ」

「久宝は今の彼女と別れたがっていて、別に本命がいる」ミカが言った。「そういうことね?」

「ああ。その本命は十中八九美紀先輩。」

「その判断は確かなの? ケンジ。久宝の口から美紀の名前が出てきたの?」

「いや」ケンジは隣に座ったミカの肩にそっと手を置いた。「キーワードは『シースパイス』」

「美紀が大好きなあの石けんの名前を久宝が?」

「あいつの部屋にも置いてある。自分でそう言った」

「そうなんだ」

「久宝がそんなしゃれた石けんを自分の部屋に置く訳がない。君もそう思うだろ?」

「確かにね。あいつにはかなり不釣り合いだね」

「ヤツが美紀先輩んちに泊まって、勢いで先輩を抱いた時、たぶんその香りがしてたはず」

「それをあいつもずっと忘れてないってことかな……」

「先輩を抱いて、想いに火がついたその夜の気持ちを、あの石けんの香りで思い出したいんじゃないかな」

「もしそうなら、あいつがいくら彼女を作っても、その子に本気になれるわけないか」

「失礼千万だよ、まったく……。本気になれない相手と簡単に付き合えるあいつの感覚がわからない」

「あなたの言う通りだね」


 ケンジはミカに身体を向けた。

「どうする? ミカ」

 ミカは顎を手で支えて考えた。

「俺たちで後押しできないかな、二人の」

 ミカは顔を上げた。「今度一緒にエルムタウンに行かない? ケンジ」

「一緒に?」

「そう。あたしが美紀の、あなたが久宝の相手をする」

「そして引き合わせるんだね?」

「うまくいくといいけど……」