Chocolate Time 外伝 Hot Chocolate Time 3 (第3集) 第1作

鍵盤に乗せたラブレター

《4.重なり》


 冬樹は音楽室の窓からいつものようにプールを見ていた。泳ぎ終わった勇輔がプールから上がって、キャップを脱ぐ姿が見えた。冬樹はプールサイドを歩く彼の水着の膨らみをじっと目で追った。勇輔は手に濃い緑色のタオルを持っていたが、そのまま窓から遠ざかり、冬樹の視界から消えた。

「(ああ! もう焼け死にそう……)」

 冬樹は窓ガラスに両手を当て、苦しそうに歯を食いしばった。



 勇輔が1000mを泳ぎ終わり、プールから上がった時、音楽室から聞こえていたピアノの音に違和感を感じて耳を澄ませた。その弾き方はいつになく荒れた感じだった。毎日のように音楽室から聞こえてくる冬樹のピアノは、もうすっかり勇輔の耳の奥に染みこみ、その音色は勇輔の身体を徒に火照らせるほどになっていた。


 知らず知らずのうちに勇輔は音楽室に向く窓のそばに立っていた。

 しばらくして、いきなり音楽が途切れた。そして次の瞬間、鍵盤を乱暴に押さえつける大きな音がして、そのままピアノの音はしなくなった。

「えっ?」勇輔は眉を寄せた。

 そんな勇輔を更衣室の入り口あたりから見ている部員がいた。勇輔の妹うららだった。

「(兄貴……?)」



 『酒商あけち』のアーケードに面したディスプレイを手直ししていた大五郎は、丁度通りかかった郵便局員から郵便物の束を受け取った。

 いつもごくろうさん、と言って大五郎は店の奥に入り、レジの脇でその束の輪ゴムを外した。

「ったく、毎度毎度つまらねえダイレクトメールばかり届きやがる」

 不愉快そうにそう呟きながら、その酒屋の主人は興味なさげに、それをまとめてバサリとレジの横に放り投げた。そして再び店頭に身体を向けた。

 その時、一通のダイレクトメールと、その裏に重なっていた白い封筒が、一緒になってひらりと床に落ち、冷蔵ショーケースの下に滑り込んだ。



 うららは窓の外を顔を上げて見たままじっと佇んでいる勇輔に声を掛けた。

「兄貴」

 勇輔は身体をびくつかせて振り向いた。

「び、びっくりした……。いきなり声掛けんじゃねえよ」

 うららは静かに言った。「そんなに音楽室が気になるの?」

「え?」

「今日の冬樹のピアノ、何だか荒れてるみたいだね」

 うららのその言葉を聞いた勇輔は明らかに動揺したように目を泳がせた。

「そ、そうだな」

「兄貴もなんだか、この頃おかしくない?」

「え? お、おかしいって?」

 うららは小さく肩をすくめた。「最近よくぼーっと考え事してるみたいだけど? それに部活中も何か練習に身が入ってない、っていうかさ」

「き、気のせいだろ」

 勇輔は慌てたように妹から離れ、シャワー室に小走りに駆けていった。



 着替えを終え、バッグを担いだ勇輔は、芸術棟の前に自転車を駐めてエントランスから階段を上り、音の聞こえなくなった音楽室までやって来ると、そのドアをそっと開けた。

 中にはすでに冬樹の姿はなかった。

「ん?」

 勇輔はピアノの椅子の下、3つ並んだペダルのすぐ横にダークグリーンのハンドタオルが落ちているのに気づいた。

 彼はゆっくりと身をかがめ、ピアノの下に潜り込むようにしてそれを恐る恐る手に取った。

「(これ、あいつの……)」

 隅の目立たないところに『Tsukikage F.』と小さく書かれているのを発見した勇輔は、次の瞬間そのタオルを自分の鼻に押しつけ、目をぎゅっと閉じて呼吸過多の症状のように荒々しくその匂いを嗅ぎ始めた。



 次の土曜日。

 午前中の部活の間中、勇輔は何度も音楽室の方をうかがって耳をそばだててみたが、その日はついにピアノの音が聞こえてくることはなかった。


 昼前になり、勇輔は家に帰る途中でシンチョコに立ち寄った。

「おお、勇輔やないか。部活帰りか?」ケネスが最初に反応した。

「こんにちは、おっちゃん」

「何や、元気ないで、どないしたんや?」

 勇輔は顔を上げた。「先輩、いますか?」

「おるで。健太郎に用事か?」

「は、はい……」

「神妙な顔しくさって……。おまえらしゅうないな」

 ケネスはそう言い残して、店の奥に消えた。


 勇輔は喫茶スペースの一番隅のテーブルに向かって座った。右手でほおづえを付き、ぼんやりと窓の外を眺めてみた。駐車場を兼ねた前庭にはゆらゆらと陽炎が立っていた。

 間もなく健太郎がやって来た。「よお、勇輔じゃないか。どうした」

 勇輔は思わず背筋を伸ばした。「お久しぶりっす……」

 健太郎は勇輔と向かい合って座った。

「相談事か?」

「はい……」

「どうしたんだ?」

 勇輔は少しうつむいて、目だけを健太郎に向け、小さな声で言った。「俺、どうも、普通の男とは違うみたいで……」

「な、なんだそれ……」


 しばらく勇輔は黙ったまま唇を噛んで、テーブルを見つめていた。


「コーヒーでも飲むか?」穏やかな口調で健太郎が言った。

 勇輔は黙ったまま頷いた。


 椅子を立ち、レジの横のデキャンタから二つのカップにコーヒーを注いで再びテーブルに戻った健太郎は、肩をすぼめて小さくなっている勇輔の前に一つのカップを置いた。

 座り直した健太郎はもう一つのカップを手に、一口コーヒーをすすった。


「つまり、」唐突に、しかし抑揚のないくぐもった声で勇輔が口を開いた。「なんつーか……。俺、男子にも女子の時と同じように熱くなるっつーか……」

 すぐに勇輔は慌てて顔を上げた。「だ、誰にも言わないでくださいよ! ケンタ先輩だけにカミングアウトしてるんすから」

 健太郎はにっこり笑った。「言わないよ。だけどそんなの普通じゃないか」

「え?」

「要するにバイセクシャル、ってことだろ? 普通だよ。俺の父さんもそうだぜ」

「えっ? ほ、本当っすか? ケニーさんが?」

「そ」

「だ、だって、普通に奥さんもいて、先輩たち子供もいるじゃないっすか」

「だからバイなんだろ」

 勇輔は顔を赤くしながら言った。「じゃ、じゃあ誰か男の人と、その、つまり、あ、愛し合ったりすることなんか……」

「父さんの場合は、男性との愛し合いはレクレーションみたいなものらしい」

「レクレーション?」

「そう。釣りとかゴルフとかと同じって言ってた」

 勇輔は意外そうに言った。「そ、そんなもんなんすね……」

 ふうとため息をついて勇輔はカップを持ち上げ、コーヒーを一口だけ飲んだ。


「で、おまえ、なにがきっかけでその自分の属性に気づいたんだ?」

 健太郎はコーヒーカップを口に運んだ。

「俺、去年、部活ン時にケンタ先輩の水着姿に興奮してたんす」


 ぶーっ! 健太郎は派手にコーヒーを噴いた。


「な、なんだって?! お、俺に?」

「そうっす。俺も、なんで先輩の裸見てどきどきすんのかな、って当時はめちゃめちゃ自己嫌悪でした」

 健太郎は思わず立ち上がった。「ちょ、ちょっと待て。す、すると、おまえ、今日ここに来たのは……、ま、まさか俺に告白」

「い、いえ。そうじゃないんす。今は大丈夫っす」


 健太郎はほっと胸をなで下ろし、椅子に座り直した。


「好きな男子でもいるのか?」

「よくわからないんす。俺。そいつのこと、どんどん気になってきてるんすけど、どうアプローチしたらいいのか、わからなくて……」

「難しいだろうな。普通とは言ってもゲイやバイ属性は少数派だし、まだ社会的に色眼鏡で見られるのは確かだからな」

「ですよね」勇輔は小さくため息をついた。

「勇輔は、その男子と抱き合いたいとかキスしたいとかって思ってるんだろ?」

「は、はい。恥ずかしいことっすけど……」

「いや、恥ずかしがることはないよ。普通だって。女子が好きになって、その子を抱きたい、って思うのといっしょだろ」

「そ、そうなんすけどね……」

「ただ、相手もそんな気にならなければ、おまえの身体の火照りを鎮めてくれるのは期待できないな。せいぜい友だち止まり……か」

「たぶん……それ以上は期待できないと思います。でも、俺そいつのそばにいたくて、何か、守ってやりたい、っつーか……」

「年下なのか?」

「一つ下っす」

「水泳部の後輩か?」

 勇輔は首を横に振った。


「教えてもらっても、俺じゃどうすることもできないが……、良かったら教えてくれないか、それが誰なのか」


「え? い、いいんすかね……言っても」勇輔は健太郎の顔をまじまじと見た。


「なんだよ、なんで俺の顔を見る?」

「い、いや……」勇輔はうつむいて黙り込んだ。

 健太郎は小さなため息をついて、コーヒーを一口すすった。


「冬樹……月影冬樹っす」


 ぶーーっ! 健太郎はまた派手にコーヒーを噴いた。


 言うまでもなく、冬樹は健太郎の恋人春菜の実の弟である。


「先輩がコーヒー噴くと思ってました……」勇輔はうつむいたまま言った。


 テーブルにまき散らしたコーヒーをナプキンでせかせかと拭き取った後、一つ咳払いをして健太郎は立ち上がり、勇輔の横に立って手をそっと肩に乗せた。

「勇輔」

 勇輔は健太郎を見上げ、切なげな瞳を少し潤ませていた。

「きっとうまくいくよ。冬樹くんの気持ちを訊いてみな」

 勇輔を見下ろして健太郎はにっこりと笑った。


 勇輔はきょとんとした顔で健太郎を見続けていた。



 ――それから三日後


 冬樹が勇輔への手紙を書いて6日が過ぎた。


 その日彼は、朝からピアノの蓋を一度も開けることなく、プールの見える窓際に力なく佇んでいた。


 ついにプールの窓に緑のタオルが掛けられることはなかった。冬樹は思った。つまり勇輔から完全に無視されたのだ。冬樹はこの熱い想いを彼に伝えたのは間違いだった、と自分を責めた。

 プールサイドのミーティングが解散するのと同時に、冬樹は音楽室を飛び出した。



 明くる日、店の手伝いをさせられていたうららは、レジから初老の男性が離れた後、ふと足下に目をやった。

「あれ?」

 冷蔵ショーケースの下から白い封筒が少しだけ覗いている。うららはそれを拾い上げた。

「生命保険のダイレクトメールと……えっ?!」

 重なった白い封筒がダイレクトメールの後ろに張り付くようにしてあった。

「兄貴宛……」うららはその封筒を裏返した。その途端、うららは思わず大声を出した。「冬樹!」

 整った丁寧な字でサインされたその手紙を握りしめ、うららは慌てたようにエプロンを外し、店の奥の父親に一声、出かけてくる、と叫んで表に飛び出した。

「(これ、きっと冬樹の想いが書かれた手紙なんだ!)」



 頭頂部も襟足もつんつんと立ってしまうほど髪を短く切った冬樹は学校の音楽室にいた。そしてピアノに向かって座ったまま、プールが見える窓にちらりと目をやった。

「(今日で最後にしよう……)」

 彼はピアノの蓋を開けると、静かに音楽を奏で始めた。



 プールサイドにいた勇輔は、思わず顔を上げ、音楽室の見える窓に駆け寄った。

「なんだ、どうした勇輔」

 プールから顔だけ出した秀島が怪訝な顔で勇輔に言った。

 勇輔は何も言わず、音楽室から久しぶりに聞こえてきたピアノの音に耳を傾けていた。しかし、その音楽はすぐに途切れてしまった。

 勇輔は振り向いて言った。「秀島、俺、ちょっと用事で帰らなきゃなんねえ。後は頼んだ」

「え? お、おい、勇輔!」

 慌ててプールから上がった秀島は、焦ってロッカールームに駆け込む勇輔をますます怪訝な顔で見やった。



 どす黒く怪しげな雲がもくもくと頭上の空を覆い始めていた。

 ひんやりとした風を頬に受けながら自転車を飛ばし、息を切らして学校にやってきたうららは、芸術棟の入り口に兄勇輔が駆け込んでいくのを目撃した。

「勇輔兄貴!」

 うららは叫んだが、勇輔の耳には届かなかった。



 勇輔は廊下を走り、音楽室のドアを乱暴に開けた。


 ピアノの鍵盤を見つめながらうつむいていた冬樹は、驚いて顔を上げた。


 荒い息を落ち着かせながら、勇輔は言った。

「お、おまえのピアノを聴かせてくれ」

 冬樹は目を丸くしたまま、震える声で言った。「え? ど、どうして?」

「部活中に聞こえてくる、お、おまえのピアノの音がずっと気になっててさ……」

「ず、ずっと……気になって?」


 勇輔は神妙な顔で続けた。「ああ。俺、最初は鷲尾っちが弾いてんのかって思ってた。こないだも言ったけどうまいのな、おまえ」

「そ、そんなに上手じゃないよ……僕」冬樹はうつむいた。

「ちょ、ちょっとだけ、弾いて聴かせてくれよ。一曲聴いたら俺、す、すぐ出て行くからよ」

 しばらく泣きそうな顔で勇輔を見つめていた冬樹は、意を決したように椅子に座り、ピアノの鍵盤に向かった。


 ごろごろと遠くから雷鳴が聞こえた。


 冬樹は心に閉じ込めた想いを抱えたまま、切なくも情熱的な激しい曲(ベートーヴェンのピアノソナタ第17番ニ短調作品31-2の第3楽章)を弾き始めた。

 いつしか彼の瞳から涙が頬を伝っていた。

「(弾き終えたら先輩はここを出て行く……。このまま弾き続けて、そのまま時が止まってしまえばいい!)」

 

 その、耳に突き刺さるような音を聴き続けることに耐えかね、勇輔は背後から冬樹の肩を押さえた。

「もういい! それ以上弾くな。辛くて聴いていられねえ」

「せ、先輩……」冬樹は弾くのを止めて振り向き、背後に立つ勇輔を見上げた。

「いつもと違うじゃねえか! 俺が聴きたいのはそんなとがった演奏じゃねえよ」

 勇輔は荒げた声を少し落とした「俺、おまえには、もっと柔らかくて、繊細な、っつーか、心癒やされる音楽を奏でて欲しいんだ」

 

 冬樹の胸は図らずも熱くなっていた。しかし、彼は肩に置かれた勇輔の手をふりほどき、叫んだ「どうしてここに来たの? どうして僕に会いに来たの? 僕の手紙を無視したくせに!」

「手紙?」

「先週先輩に出した手紙」

「な、何のことだ? 俺、見てねえぞ……」


 その時勇輔の携帯のメール着信を知らせるアラームが鳴った。ディスプレイを見た勇輔は小さく呟いた。「うららだ……」

 ちらりと冬樹の顔を見た後、勇輔はディスプレイにタップして、メール文を開いた。

『兄貴に渡さなきゃいけないものがあるの』

「俺に?」

 その時、がたんと大きな音がして、勇輔は目を上げた。それは冬樹が椅子から立ち上がった音だった。

 冬樹はそのまま溢れる涙を拭おうともせず、音楽室を飛び出していった。

「おい! 待てよ!」勇輔は叫んだ。


 いつの間にか、迫る宵のように暗くなっていた戸外が突然眩しくフラッシュし、その直後耳をつんざくような雷鳴が轟いた。そしてバケツをひっくり返したような激しい雨が降り始めた。


 階段を駆け下りていた冬樹は、下のフロアに立って、大きく手を広げたうららに止められた。「待って!」

 冬樹は涙で汚れた顔でうららを睨むように見つめ、足を止めた。


 すぐに後ろから勇輔が階段を駆け下りてきた。

「兄貴!」

「う、うらら」

「これ……」うららは冬樹の手紙を勇輔に差し出した。「店のショーケースの下に落ちてた」

 冬樹は真っ赤になって、おろおろし始めた。「や、やめて……見ないで……」

 そして彼はうららの脇をすり抜けようとした。

 うららはとっさに冬樹の腕を掴んだ。


 勇輔が叫んだ。「逃げるな、冬樹。俺がこの手紙を読み終わるまで、動くな」

「先輩……」身体を震わせながら冬樹はその場に観念したように座り込んでうずくまった。


「……あたし、先生に生物の課題について聞いてくる」

 うららは誰にともなくそう言って、その場を離れた。



「済まなかった、冬樹」

 手紙を読み終わった勇輔はそう穏やかに言い、冬樹の両肩を支えて立たせると、そっと背中から彼の華奢な身体を抱きしめた。

「早く伝えるべきだった。おまえに。俺の気持ちも……」

「……」

 冬樹は声を殺し肩を震わせて泣いていた。


「おまえにあんな音楽を弾かせる程、おまえの心を痛めつけて、追い詰めてたんだな、俺……」


 勇輔は冬樹の身体を自分の方に向け、両肩に手を乗せた。

「せ、先輩……」


 勇輔は冬樹に顔を近づけ、そっと唇を重ね合わせた。


 勇輔が口を離すと、冬樹は真っ赤になって勇輔の胸に頬を押しつけながら小さな声で言った。「だ、誰かに見られちゃう……」

 勇輔はにっこり笑った。「誰もいねえよ。それよか、俺、おまえの気持ちを今確かめてえんだ」勇輔は冬樹の目をじっと見つめた。「応えろよ、冬樹」

 おろおろしながら狼狽する冬樹をぎゅっと抱きしめ、勇輔はまた彼の唇を自分のそれで塞いだ。


 冬樹も勇輔の背中に腕を回し、きゅっと力を込めた。


 ほかには何の音も聞こえないほどの土砂降りの雨が降り続いていた。



 激しい雨が嘘のように上がった。


 西に傾いた陽の差し込む誰もいないプールサイドに、勇輔と冬樹は二人きりでいた。

 勇輔は窓の手すりにいつも使っている緑のタオルを掛けた。「済まねえ、冬樹。いまさらだけど」

「ううん。嬉しい、先輩」

「おまえのタオルもこの色だったな」

「し、知ってたの?」

「音楽室のピアノの下に落としてたの、拾ったんだぜ、俺。」


 冬樹は数日前、なくしたと思っていたそのタオルがきちんとたたまれてピアノの上に置いてあったのを思い出した。


 唐突に勇輔が冬樹の肩を抱き、そのうなじに鼻を擦りつけ始めた。

 冬樹は慌てた。「あっ、な、なに、先輩、どうしたの? 急に」

 勇輔はしばらくそうやってくんくんと冬樹の首筋の匂いを嗅いでいた。

「く、くすぐったいよ!」冬樹は小さく身を捩らせた。

 肩に手を置いたまま身体を離した勇輔は、照れ笑いをしながら言った。「おまえ、いい匂いだ」

「えー、ほんとに?」

「そのタオルからも同じ匂いがした。なんつーか、桃みてえな、いや、ちょっと違うな……」

「そんな匂いがするの? 僕から? っていうか、」冬樹は勇輔の顔を覗き込んだ。「拾ったタオルの匂いを嗅いだわけ? 先輩」

 勇輔はうなずいた。「匂いを嗅いで興奮してた」

「ほんと?」冬樹は嬉しそうに顔を赤らめた。

「そん時は妄想レベルだったけどな」

「妄想?」

「俺さ、」勇輔は再び窓から戸外に目をやった。「初めて話した時から、冬樹のことがずっと気になってた。今思えば」

 冬樹は何も言わず幸せそうに目を閉じ、頭を勇輔の肩にもたせかけた。

「それからどんどん妄想が広がってよ、おまえの持ち物だってわかった途端、思わずそのタオルの匂いを嗅いでた。すんげーいい匂いだって思った」

 勇輔は冬樹に顔を向けて笑った。冬樹もそれに応えて微笑んだ。


「わざとあの色にしたのか?」

 冬樹は照れたように頷いた。「うん。先輩のと同じ色」


 勇輔は冬樹に身体を向け、眉尻を下げて微笑みながらそっと唇を重ね合った。


「キス、上手だね、先輩」

 勇輔は済まなそうに頭を掻いて言った。「ま、今まで何人かの女子と付き合ったからな」

「キスから先までいったこと、ある?」

「未遂は何度か」

「未遂?」

 勇輔は窓の手すりを両手で掴んで、窓の外を見ながら言った。「こないだ別れた彼女との時、いざ、服を脱ごうとしても、どうしても下着だけは脱げねえんだ。彼女は覚悟してたらしいけど」

「どうしてかな……」

「俺にもわからねえ」


 勇輔はおもむろにシャツを脱ぎ始めた。

「せ、先輩」冬樹は慌てた。「誰かに見られちゃうよ」

「何言ってんだ、俺のここでのいつものスタイルだ」

 勇輔は笑った。そして冬樹の手を取り、窓を離れ、スタート台の前までやってきた。


 勇輔は冬樹の肩に手を置き、じっとその目を見つめた。「お、俺、おまえの体温を直に感じたい。いいだろ? 冬樹」


 冬樹は顔を赤らめて小さく頷いた。



 プールサイドに敷かれたエアマットに、いつもの小さな水着姿で横たわった勇輔は、すぐ横に立つ冬樹を見上げて小さな声で言った。「冬樹、来いよ……」


 冬樹は焦ったように制服のシャツとズボンを脱ぎ去った。彼は黒いピッタリとした小さな下着を穿いていた。

 勇輔を見下ろした冬樹は、ごくりと唾を飲み込むと、出し抜けに勇輔に覆い被さり、自ら激しく勇輔の口を吸った。

「んんっ!」勇輔は思わず呻いた。


 冬樹は右手の指を強引に勇輔の口に突っ込み、その舌を乱暴に引き出すと、それを歯で咥え、拘束した。

 勇輔は驚いて目を見開いた。

 

 その小柄な少年は勇輔を自らの身体で押さえつけ、彼の舌を咬んだまま左手で彼の右の乳首をぐりぐりとつまみ、右手で股間の膨らみを激しく揉みしだいた。


「ん、んああああ!」

 勇輔の身体はどんどん熱くなっていく。そして荒い呼吸を繰り返しながら冬樹に押さえつけられている身体を、快感に震わせ始めた。

 歯で拘束していた勇輔の舌を解放した冬樹は勇輔の両脚を乱暴に大きく開かせると、その水着の大きくなった膨らみに自分の股間の熱くなった物を下着越しにぐいぐいと押しつけながら、大きく身体を揺らした。勇輔はぎゅっと目を閉じ、顎を上げて喘いだ。


「せ、先輩!」冬樹が叫ぶ。

「あ、ああ、冬樹、冬樹っ!」

「先輩っ!」冬樹が大きく身体を仰け反らせ、動きを止めた。「出る、出ちゃうっ! ぐうううっ!」そして何度も脈動を繰り返しながらその小さな下着の中に白く熱い液を勢いよく放出させた。


 はあはあと、熱く大きな息をしながら眉尻を下げ、赤い顔をして勇輔を見下ろした冬樹は、小さな声で言った。

「ご、ごめんなさい、先輩、僕……」

「出しちまったのか? 冬樹」


 冬樹は焦って勇輔から身体を離し、マットの上に小さく正座をしてうずくまった。

「ごめんなさい……我慢できなくて……」


 勇輔も上半身を起こして冬樹の頬をそっと撫でた。

「俺、嬉しいよ。おまえが俺を抱いて興奮してくれて」

「ら、乱暴だったよね……」冬樹は腰をもぞもぞさせながら小さく言った。

「俺、たぶんMだな。押さえつけられて、ベロ咬まれてても、すんげー熱くなってた」勇輔は手を後ろについて口角を上げた。「にしても、おまえ、見かけによらず激しいんだな」

「ほ、ほんとにごめんなさい……。なんだか押さえきれなくて……」冬樹は申し訳なさそうにうつむいた。

「ベロ咬まれた時はびっくりしちまったが、なんか俺も興奮しちまった。おまえ、あんな風に相手を押さえつけたり、噛みついたりしてやるのが好きなのか?」

「た、たぶん……。なんか、じっとしてて何かされるより、自分からいろいろやりたい派かも……」


 勇輔は冬樹の顔を覗き込んだ。「一応訊くけど」

「え? なに?」

「冬樹は俺が初めてなのか?」

「も、もちろんだよ」冬樹は照れたように顔を赤らめた。「先輩は?」

「男と付き合うのは初めてだ。でも一番熱くなってる。今までで」

「そ、そう……」冬樹は幸せそうな顔で笑った。


「で、でも先輩はまだイってない……よね?」冬樹は上目遣いで小さく言った。

 勇輔は肩をすくめた。

「イきたい……よね?」冬樹は恐る恐る訊いた。

 勇輔は顔を赤くして目をそらした。「い、いいよ、俺は」

「どうして?」

「だ、だって、なんか、恥ずかしいじゃねえか」

「何が?」


 勇輔も冬樹と対面し、正座して背を丸めた。


 不思議そうな顔で自分の顔を覗き込んでいる冬樹を上目遣いで見ながら、勇輔はぼそぼそと口を開いた。

「な、なんか今になってめちゃめちゃ恥ずかしくなってきやがった……」

「なんで?」

 勇輔は冬樹の濡れた下着に目をやった。

「か、考えてみたらよ、こ、こんな状況、かなりやばくねえか? 冬樹……」


 冬樹は急に寂しそうな顔をした。

「先輩が言ったんでしょ、体温を感じたいって。……後悔してるの?」

「い、いや、そうじゃねえ、そうじゃねえんだ。」勇輔は激しくかぶりを振った。

「じゃあ、どうして今になって……」

「なんか、おまえに見られながらイくってのが、とてつもなく恥ずかしく思えるんだよ」

「変なの!」冬樹は吐き捨てるように言った。「先輩ってそんな臆病者だったの?」

「そ、そうかもしんねえ……」

 勇輔は肩を落としてうなだれた。


「卑怯だよ」冬樹が言った。

 勇輔は顔を上げられなかった。

「僕だけイかせてもらったのに、不公平だよ。先輩は僕と抱き合って気持ちよくなれないって言うの?」

「冬樹……」

「それじゃ一人エッチと同じじゃん」

 冬樹は涙ぐんでいた。

「僕、先輩の写真見ながら、毎晩先輩に抱かれること想像して、一人でやってた。それと同じじゃん」


 勇輔も泣きそうな顔を冬樹に向けた。「俺だって、」

 冬樹はぎゅっと口を結んで勇輔の目を睨み付けていた。


「おまえを抱いてるとこ、毎晩想像して、興奮して何度もイった。おまえを抱きたくて抱きたくてしかたない。それは今も同じだ。ずっとここでおまえの身体を抱きしめていたいぐらいだ」


 冬樹の目から一粒、涙がぽろりと落ちた。


「俺もおまえを抱いてイきたい。めちゃめちゃ今、興奮してて、イきたいんだ。ただ、実際おまえがこんな目の前に……いると」

 勇輔はまたうつむいた。


 冬樹は静かに言った。

「付き合ってた彼女って、先輩の下着を脱がせてくれなかったんでしょ?」

「え?」勇輔は意表を突かれて思わず顔を上げた。

「だからシャイな先輩は最後までいけなかったんだ。きっと」

 冬樹は照れたように涙を指で拭って、笑った。

「僕はできるよ。先輩をハダカにして、イかせてあげられるよ」


 冬樹はおもむろに勇輔を押し倒し、穿いていた小さな競パンを脚から抜いた。勇輔のものは、本人も言っていた通り大きくいきり立ってびくんびくんと脈動していた。

「あっ! ふ、冬樹?」

 冬樹は勇輔の逞しい胸を片手で押さえつけて自由を奪うと、おもむろにその大きく反り返ったものを、もう片方の手でぎゅっと握りしめた。

「うああああーっ! ふ、冬樹、何するっ! ダ、ダメだ! あ、あああーっ!」

 勇輔は身体を硬直させて仰け反った。


 冬樹は両手で激しく勇輔のペニスを扱いた。

「や、やめっ! ふ、冬樹っ!」

 勇輔の身体が細かく震え始めた。


「や、やばいっ! イ、イく! 出るっ! 冬樹! 冬樹っ! うああああーっ!」

 冬樹はとっさに勇輔に覆い被さり、身体を密着させた。そしてぎゅっと目を閉じて爆発寸前の勇輔のペニスを腹で押さえつけた。


 勇輔は上に覆い被さってきた冬樹の身体をその逞しい腕で思わずぎゅっと抱きしめた。


 びゅくびゅくびゅくっ!


 勇輔は大きく身体を震わせながら、冬樹の腹に押さえ込まれたペニスから豪快に精液を発射し続けた。


 二人の密着した部分は、勇輔の放出したものでぬるぬるになっていた。


 冬樹は身体を上下に擦り合わせながら、勇輔の唇に自分のそれを宛がった。



「冬樹ー」

 口を離してにっこりと笑った冬樹の顔を見上げた勇輔の顔は真っ赤になっていた。

「気持ちよかった? 先輩」

 勇輔はこくこくと頷いた。

「なんだか、かわいいね、先輩。想像してたのと違う」

 勇輔は顔を背けて小さく言った。「うっせえよ……」


「先輩の出したの、温かい……温かくて気持ちいい」

 冬樹はまた腹同士を擦りつけた。

「ちょ、あ、あんまり擦らねえでくれ、び、敏感になってて……」


 冬樹はふふっと笑って動きを止め、下になった勇輔の背中に腕を潜り込ませ、ぎゅっと抱きしめた。


 窓からの黄金色の日差しが二人を眩しく浮き上がらせていた。

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