Twin's Story 外伝 "Hot Chocolate Time" 第2集 第6話
《幼児返りタイム 後編》
それから龍にとって長かった五日が、ようやく過ぎた。
金曜日の夕食前、龍のケータイに真雪からメールが入った。
『今夜帰れなくなっちゃった。依頼の仕事が思ったより長くかかりそうなんだ。せっかく龍んちに泊まることにしてたのに、ごめんね。明日はなるべく早く帰ってくるから。』
龍はケータイを閉じて、むっとしたように荒々しくため息をついた。
「どうした? もう食べないのか? 龍」食卓に向かった母親のミカが言った。
「うん。あんまり食欲なくて」龍はテーブルに箸を置いた。
「どうした、元気ないな……というか、何か機嫌悪くないか? 龍」父親のケンジが怪訝そうに言った。
「今夜真雪が来るんだろ?」ミカがゆで卵を剥きながら言った。
「来られなくなったんだってさ」龍は吐き捨てるように言って立ち上がり、食器をキッチンにさっさと運んでいった。
ミカとケンジは顔を見合わせた。
龍は部屋で小さな箱を握りしめていた。その蓋に手を掛けたが、開けることなくそのままその箱をベッドの枕元に無造作に放り投げた。そしてごろんとベッドに仰向けになった。
「真雪……約束……してたのに……」
龍はつぶやき、うつ伏せになって枕に顔を埋めた。
「仕事が長くかかる? だいたいそんなとこに泊まってまでやる仕事って何なんだよ!」
龍は起き上がり、枕を鷲づかみにして、乱暴に床に投げつけた。
夜中、寝室でケンジと並んで寝ていたミカは、二階からビートのきいた音楽が流れてくるのに気づいて目を開けた。彼女はケンジを起こさないように気遣いながら、ガウンを肩からひっかけて二階への階段を上がった。そして龍の部屋のドアを少しだけ開けた。部屋には明かりが煌々とついていた。
「龍……?」ミカはドアの隙間から小さく声をかけた。
「なんだい? 母さん」
ミカはドアを開き、顔を龍のベッドに向けた。「なんだ、まだ起きてたのか。もう夜中の1時だぞ。早く寝ちまいな」
龍はスウェットのままベッドに仰向けで横になり、ケットも掛けず、両手を枕にして、足を組み、じっと天井を見つめていた。
「わかってる……」彼はミカの顔に目を向けることなく、無表情のままで言った。
「ほら、近所迷惑だ、音楽消して」
「わかったよ。わかったからもう出てってよ」龍はいらいらしたように言って、オーディオのリモコンを手に取り、スイッチを切った。
ミカはそれ以上何も言わずに階段を降りていった。
◆
明くる日の朝、海棠一家三人は食卓を囲んでいた。休日だというのに、龍は相変わらず無言で、しかも生気をなくして虚ろな瞳のまま、機嫌悪そうにぼそぼそとトーストをかじっていた。
「龍、おまえ寝てないのか? ゆうべ……」
ケンジが心配そうに訊いたが、龍は何も反応せず、口をただもぐもぐと動かしているだけだった。
ピンポーン。
「なんだ? こんな朝早くから……」
ミカがぶつぶつ言いながら立ち上がり、玄関に向かった。
「おはよう、ミカさん」ドアの外に息を切らして立っていたのは真雪だった。「家に帰らずに直接来ちゃった」
「なんだ、真雪。こんな時間に。そんなに急いで来なくても……」
「龍を待たせちゃってるからね」真雪はにっこり笑った。
ミカは振り向いた。「おーい、龍、まゆ……」
龍はすでに玄関ホールに立っていた。
「ほら、お待ちかねの真雪だぞ、龍」
龍は顔をこわばらせて真雪をじっと見た。「なんで今頃来るんだよ」
「え?」真雪はドアを入ったところで立ちすくんだ。
「なんだ、その言い方は、せっかく急いで来てくれたのに」ミカが強い口調で言った。
「今、来てくれたって、ちっとも嬉しくないよ!」
「りゅ、龍……」真雪は力なく言った。「ご、ごめん。仕事がどうしても、」
「本当に仕事だったのか?」
「え?」ミカは龍の顔を見た。「な、何を言い出すんだ、おまえ……」
龍はさらに声を荒げて言った。「まさか、また誰か他のオトコと、」
ばしっ! ミカの平手が龍の頬を直撃した。「龍っ!」
龍は握りしめた両手の拳を震わせ、真雪を睨み付けていた。
「謝れ! 龍、真雪に謝れ! それに、今言ったことを取り消すんだ!」ミカは龍の胸ぐらを掴んだ。「おまえ、あれほど真雪が辛い思いをして、後悔しておまえに謝り続けて、それをおまえは赦したんじゃなかったのか? どうしてまた蒸し返したりする? また真雪を苦しめるつもりなのか?」
龍は母親の手を振り払い、血が滲む程に唇を噛みしめ真っ赤な顔をして震えながら、言葉をなくして立ちすくんでいる真雪をもう一度睨み付けると、いきなりきびすを返して二階に駆け上がっていった。
「龍! 大人げない態度とるのはやめろっ!」ミカが二階に向かって叫んだ。龍の部屋のドアが乱暴に閉められる音がした。
「ご、ごめん、真雪。龍、どうかしてるんだ。あたしが代わって謝るよ」
「ううん、いいの、ミカさん。全部あたしが悪いんだから。昨夜の約束、すっぽかしたあたしが悪いの」一つため息をついて真雪は続けた。「それに、二十歳の時に過ちを犯して龍を苦しめたのも事実だし……」
「真雪……」
「大丈夫」真雪は力なく笑って、靴を脱いだ。そしてつま先を外に向け直すと、荷物を持って二階への階段に向かった。「心配かけてごめんね。あたしたちの問題だから、ミカさんやケンジおじは気を遣わないで」
そして彼女は龍の部屋を目指した。
――真雪は、専門学校二年目の冬、二十歳になったばかりの頃に、学校の宿泊研修で郊外の水族館に20人ほどの同級生と共に一週間滞在した。その時、研修を仕切る主任の板東という男に食事に誘われ、慣れない酒を飲まされ、ホテルに連れ込まれて、夜を共にしてしまった。
その龍への裏切り行為を激しく後悔した真雪は、研修後、泣きながら龍に謝り続けた。龍は、波立つ気持ちを必死で押さえながら、毎晩のように真雪の身体を抱き、癒し、赦した。
この出来事は、愛し合う二人の心の底に、忘れたくても忘れることのできない傷となって残っていた。
龍の部屋のドアを開けた真雪は、いきなり彼に腕を掴まれ、中に引きずり込まれた。
そして龍は彼女をベッドに押し倒し、身体中の匂いを嗅ぎながら、着ていたものを力づくで脱がせていった。
「龍、ら、乱暴はいや……あたし、」
ブラに手を掛けた龍は低い声で言った。「こうやって、また誰かに抱かれたのか?」そうしてホックをはずすとブラを取り去った。ショーツ一枚になった真雪は、自身も下着一枚になって身体を押しつけてきた龍の目を見つめた。「し、信じてよ……龍。あたし、何も……」
龍は無言で真雪のショーツと自分の下着を取り去り、彼女の脚を大きく広げた。そして大きくなったペニスをいきなり彼女の谷間に押し込み始めた。
「真雪は俺のだ! 俺だけのものだっ! 誰にも触らせないからな!」
そう叫んだ龍は身体を倒して真雪に覆い被さり、激しく腰を動かしながら彼女の二つの乳房に顔を埋め、腕を背中に回して息が止まる程締め付けた。
「んっ、く、苦しい、龍、や、やめて、許して、龍……」真雪の目から涙がこぼれ始めた。
龍はしばらくの間、機械的に真雪にペニスを出し入れさせていた。
「はっ!」突然龍は目を大きく見開き、動きを止めた。「ま、真雪……」
真雪は両手で顔を覆ったまま震える声で言った。「龍……許して……」
龍は出し抜けに真雪の身体に押し込んでいたペニスを抜き去り、自分の身体を真雪から離した。
「ご、ごめんなさい! マユ姉!」
「え? 『マユ姉』?」
真雪は驚いて頭をもたげ、龍を見た。彼は今にも泣き出しそうな顔で真雪を見つめている。
「マユ姉! ぼ、僕、乱暴だったよね。ごめんなさい! ごめんなさいっ!」
そして龍はまた真雪の背中に腕を回し、乳房に顔を埋めた。柔らかく、愛おしむように……。
真雪は戸惑いながらも、そうやって顔を胸に擦りつけている龍の頭をそっと撫でた。「龍……くん」
龍は目を閉じたまま、真雪の左の胸を両手で包み、口をとがらせて乳首を咥え、赤ん坊のようにもむもむと吸い始めた。
いつもとは違うそのくすぐったさと快感が混ざった感覚に、真雪は身を震わせた。
やがて龍の動きが止まり、荒かった息もしだいに静かになっていった。
「龍?」
気付いたときには龍は小さな寝息を立て始めていた。
カチャ。ドアが少しだけ開いてミカが顔を覗かせた。「真雪……」
上になっていた龍をそっとベッドに横たえて、真雪は床に降りた。そして龍の手によって床に投げ捨てられていたショーツとブラを拾い上げ、身に着けた。「ミカさん……」
「ごめんな、真雪、龍にまたひどいこと言われなかったか?」ミカは部屋の中に入り、真雪と向き合った。
「あたしが悪いの。昨夜泊まるって約束していながら、それを破ったんだから」
「にしても、思い出したくもないあんなことを龍が口走っちまって……」ミカはひどく申し訳なさそうに言った。
「フラッシュバック、ってとこかな。龍が何を考えてたかはわかんないけど……」
「眠っちまったのか? 龍」
「うん。明らかに寝不足って感じだけど……」
「龍のヤツ、二、三日前から夜はあまり寝てないみたいだったよ」
「え? 何で?」
ミカは呆れたような顔をした。「あんたに会いたくてしかたなかったんだろうよ」
「そ、そうなの?」
「おまけに、昨夜はおそらく一睡もしてないんだ」
「そうなんだ……」真雪はベッドの上で眠っている龍を見下ろした。
「昨日の場合はいらいらして眠れなかったみたい」
「あたしのせいで……」
「で、あんた何かされたの?」ミカが心配そうに訊いた。
「うん。あたしさっき、この部屋に引きずり込まれてすぐ、レイプされた」
「レ、レイプ?! りゅ、龍にか?」
「うん。いきなりベッドに押さえ込まれて、服、脱がされて……」
「な、なんてこと……」
「でも、いきなり幼児返りしたかと思ったら、すやすやと」
「幼児返り?」
「昔みたいにあたしのこと『マユ姉』って呼んでさ、自分のこと『僕』って言って、乱暴してごめんって謝ったかと思ったら安心したように」真雪は口を押さえておかしそうに言った。
「へえ。どうしたんだろうね、いったい……」
真雪はベッドの端に腰掛けた。
「あれ?」真雪は枕元の小箱に気づいた。「なんだろう、これ」
真雪はそれを手に取った。そしてその蓋に小さく書かれている文字を読んだ。
「何か書いてあるのか?」
「うん。『To Mayuki with Love for the fifth anniversary memory』」
「五周年記念? 何の?」ミカが言った。
真雪はそっと蓋を取った。小さな赤いチェリーをかたどった愛らしいピアスが入っていた。
「あっ!」真雪は思わず口を押さえた。
「どうした、真雪」
「記念日だった! あたしと龍の」
「記念日?」
「そう、昨日はあたしと龍が初めて結ばれた記念日だったんだ!」
「そうか、そう言えばあんたらがつき合い始めたのってちょうど今頃だったな」
ミカが懐かしそうに言った。
「ごめんね、龍、」真雪はまだうつぶせて寝息を立てている龍に向かって言った。「そういうことだったんだね……」
「龍はあんたにそれを渡すつもりだったんだね、昨夜」
「ほんとに悪いコトした。龍、ごめんね」真雪は龍の頭をそっと撫でた。「ん……」龍が小さく声を発した。「マユ姉……」
「ね」真雪はミカに振り向いて肩をすくめた。
「そうか、その時のことを思い出して、幼児返り、っつーか中二返りしてたってわけか」
真雪はベッドから降りて床に座り込み、シーツに両肘をついて龍の寝顔を愛しそうに見つめた。「龍くん……」
ミカも、すやすやと寝息を立てている自分の息子を見下ろした。「こいつな、昨日の夕食ん時から、今朝まで、中学生や高校生の時にさえ見せたことのなかった反抗的な態度だったし、とがった目であたしたちを睨み付けてたんだよ」
「そんなに?」
「この歳になって反抗期が来るなんてね」ミカはウィンクをした。
「ホントにごめんなさい、龍くん、ミカさん……」
「ま、今日は休みだし、あんたさえよければ一日つきあってやってよ」
「うん。そうする」真雪はミカに笑顔を向けた。「さっき、未遂で終わっちゃったから、龍が起きたらちゃんと最後までしてもらう」そして恥じらったように顔を赤らめた。
「一回、二回ぐらいじゃ済まないかもよ」
「覚悟の上」
「ごちそうさん」
ミカは笑いながら部屋を出て行った。
◆
ミカが部屋を出て行った後、真雪は、全裸のまま寝息を立てている龍に、自分も一糸纏わぬ姿で寄り添い、横になった。そして彼にそっとキスをした。
「ん……マユ姉……。ごめんなさい……僕、僕……」
小さく寝言を呟きながら悲しそうな顔をしている龍を見続けることに耐えかねて、真雪はその身体を揺さぶった。「龍、龍、起きて」
「はっ!」龍はそのつぶらな瞳を大きく見開いた。そして目の前に真雪の笑顔を認めた龍は、ひどく嬉しそうに笑った。「真雪!」そして彼は真雪の身体をぎゅっと抱きしめ、彼女の唇に自分の唇を押し当てた。
そっと口を離した龍は、真雪の目を見つめながら言った。「いつ帰ってきたの?」
「え?」
真雪は、今龍が言ったことの意味がとっさに理解できなかった。
「いつの間にここに?」
「お、覚えてないの? 龍」
「え? 何を?」
「あたし、ずっとここにいるんだよ」
おもむろに身体を起こしてきょろきょろと部屋の中を見回した龍は、小さく叫んだ。「え? もう朝?」
「ちょ、ちょっと、龍、しっかりして」
龍は自分が何も身につけていないことに気付いて、顔を赤らめた。「な、何かあったの? っていうか、俺、何かした?」
「あたし、あなたに早く会いたくて朝一番でこの部屋に来たんだよ」
「そ、そうだったの」
真雪は少し考えて言った。「じゃあさ、その時あなたがあたしを優しく抱いて、愛してくれたのも覚えてないんだね?」
「ご、ごめん」龍は申し訳なさそうに頭を掻いた。
真雪は龍の首に腕を回した。「あたしこそ、昨夜来られなくて、ごめんね。約束してたのに……」
「気にしないでよ」龍は笑った。「それより、君にプレゼントがあるんだ」
「プレゼント? 何、なに?」
「これ」龍は枕元の小箱を手に取って真雪に手渡した。「開けてみて」
「うん」真雪は受け取った箱の蓋をとった。「わあ! かわいい! チェリーのピアス」
「思い出のチェリー」
「あたしと龍がお互いに食べさせ合った、初めてのチェリーだね」
「へへ。あれから5年。俺たちの記念日」龍は照れたように赤くなってにっこり笑った。
「嬉しい! ありがとう、龍、大好き!」真雪はまた龍に抱きついた。そして彼の耳に囁いた。「抱いて、龍」
龍は真雪の身体をそっと横たえ、ゆっくりと身体を重ねて熱いキスをした。
2013,8,16初稿発表
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