Twin's Story 外伝 "Hot Chocolate Time" 第2集 第7話
《追憶タイム 後編》
「先輩は和食がお好きなんですか?」ミカがおしぼりで指先を拭いながら、向かいに座った拓郎に目を向けた。
「はい。シドニーに行ってから、なかなかあっちの食事に慣れなくて」拓郎は恐縮したように言った。
座卓に載せられた膳に茶碗蒸しが運ばれてきた。
ミカがその椀の蓋に手をかけながら、ふと見ると、拓郎はその容器をじっと見つめていた。少しだけ涙目になっている。
「先輩?」
「あ、ああ」拓郎は照れくさそうに目元を拭った。
ミカが問いかける前に、拓郎はその質問を先取りして答えた。「茶碗蒸し、僕の妻がよく作ってくれてたんです」
「奥様が?」
「そう。僕が日本食を食べたい、って言って、最初に挑戦したのが茶碗蒸し。でも最後までうまくいかない、って悔しがってました」拓郎は寂しそうに笑った。
「なんだか……素敵な思い出ですね」
「ごめんなさい。湿っぽくなっちゃって。さあ、食べましょう」
「はい」ミカはにっこりと笑って割り箸を手に取った。
夜の町を二人は歩いていた。都会の通りは人が多く、前から早足で歩いてくる人のかたまりをよけながらミカは言った。
「都会は人が多くていやだな。いらいらしちゃう」
拓郎は笑いながらミカを見た。「あなたの今住んでる町は、こんな感じじゃないんですか?」
「田舎っていうわけじゃないけど、ここよりは暮らしやすいと思います」
「そう」
「先輩、」
「え?」
「手を繋いでもいいですか?」
「えっ?!」拓郎は驚いて足を止めた。
「先輩とやりたかったけどできなかったこと」
「え、あ、あの、ミカさん、それはちょっと……」拓郎はあたりをきょろきょろを見回した。
ミカは笑いながら手を引っ込めた。
「あ、ごめんなさい、誰が見てるかわかりませんね。無神経でした、あたし」
「ぼ、僕の方こそ、すみません」拓郎は照れて頭を掻いた。「デートしたかった、なんて言っておきながら、こんな貴女の要求にも応えられなくて……」
ミカは拓郎に小声で言った。「二人でホテルに入る所、また誰かに見られると困るでしょうから、あたし、先に部屋に行ってます」
拓郎は頬を赤く染めた。「は、はい。すみません、気を遣っていただいて……」
「二丁目の『シティ・イン・アーバン』。予約してます。いかがわしいホテルじゃありませんから」ミカはにっこりと笑った。
「え? 予約?」拓郎は申し訳なさそうに頭を掻いた。「す、済みません、気が利かなくて……。でもミカさん、このあたりのこと、よくご存じですね。あ、そうか。前に住んでたことがあったんでしたっけ」
「はい」
「前からこんなでしたか?」
「ずいぶん賑やかになったみたい。あたしが勤めてたショップの周りも人通りが多くなった気がします」
ミカはちらりと横目で拓郎を見た。
「確かにあの通り、結構遅くまで人通りが絶えません」
「あのあたり、良く歩かれるの? 先輩」
「え? あ、はい。僕のアパートもあの辺なんで……」拓郎は照れたように頭を掻いた。
拓郎の胸の辺りからかすかなバイブの音が聞こえた。
「あ、先輩、ケータイ、鳴ってるみたい」ミカが言った。
「え? あ、」拓郎は慌てて内ポケットに手を突っ込んだ。「す、すみません、ミカさん、電話みたいです」
「どうぞ、ご遠慮なく」ミカは微笑んだ。
拓郎は立ち止まり、ミカに背を向けて、取り出したスマホを耳に当てた。
「あ、店長さんですか? すみません、すみません。え? あ、はい。知ってます。じ、実は、もう会ってるんで。はい。そうです。……わざわざありがとうございました。いろいろとお気遣い頂いて」
拓郎は振り向いて微笑んだ。「ごめんなさい、ミカさん」
「気にしないで」
ミカと拓郎はまたゆっくりと歩き始めた。
◆
ペールオレンジの壁の部屋だった。ダブルのベッドにはレモンがデザインされたカバーが掛けられていた。
「ミ、ミカさん、ほ、本当にいいんですか? こんなことして……」
ミカがネックレスを外しながら訊いた。「先輩はいやですか?」
「あまりにも急展開で……、ちょっと想定外……。あの、いやだったら、いつでも言ってくださいね。貴女に無理を強いるわけにはいきません」
ミカは、窓を背に立ちすくんでいる拓郎に身体を向けた。「そういうところ、先輩変わってないですね。気遣い上手というか、控えめというか」
「ケンジさん……ご主人って、」拓郎が冷蔵庫の前の椅子にちょこんと腰掛けた。「貴女のことを信用しきってらっしゃるんですね」
「あたしも彼の考えや気持ちを疑ったことはありません。今までいろいろありましたけど、それだけはずっと変わらない」
「素敵な関係ですね」
「にしても、ちょっと強引だったかな……、先輩をこんなところまで付き合わせちゃって……」
拓郎はミカを見上げて頬を赤らめた。「そ、そんなことはありません。僕は今、とっても嬉しくて、どきどきしています。いや、これは本当です」
「あたしを抱いてくださる?」
「もう身体はすっかりその気です」拓郎は笑った。「かなり後ろめたさはありますけど、実はもう引き返せない所まできています」
「嬉しい」
ミカはベッドの端に腰を下ろした。
「あたし、先輩に初めて抱かれた時、痛くて、苦しかったけど、貴男のことを思う気持ちが身体の中で爆発しちゃったんです」
「ご、ごめんなさい。初めての貴女にそんな苦しい思いをさせてしまって……」
「しかたないですよ。処女喪失って、そんなものでしょ?」ミカは微笑んだ。「でも、あたしは幸せだったと思います」
「どうして?」
「貴男がすごく優しく抱いてくれたから」
拓郎は申し訳なさそうにうつむき、上目遣いで言った。
「実を言うと、僕はあまりよく覚えていないんです。あの時のこと」
「そうなんですか?」
「はい。夢中で、何をやったのかは忘れてしまった。でも、貴女のことが愛しくて堪らなかった、という気持ちだけは今もはっきり覚えています」
「そう」ミカは顔を赤くしてうつむいた。
しばらくして顔を上げたミカは、拓郎の目を見つめた。
「先輩の目、あの時と同じです。貴男が今まで変わらずにそんな目をしていたこと、なんだかとっても嬉しくてほっとします」
拓郎は立ち上がり、ミカに近づいた。
「僕はあの時の気持ちを、もう一度思い出したい。もう一度だけでいい」
ミカも立ち上がった。
「あたしはもう、思い出してる。貴男への気持ち……」
拓郎はミカの頬を両手で包み込み、そっと唇を重ねた。ミカは目を閉じた。
シャワーを済ませた拓郎がベッドに戻った時、ミカは首までケットをかぶって赤くなっていた。
「ミカさん……」
バスローブを着た拓郎は、そんなミカを見下ろした。「はにかみ屋なんですね、ミカさんって。あの時と同じ」
「先輩も来て」
「うん」
拓郎はローブを脱ぎ、下着姿で一つのケットに潜り込み、ミカの隣に身体を横たえた。
「実はね、今のあたしは、こんなんじゃないんです」
「そうなんですか?」
「ケンジも友達もみんな口を揃えて言うんです。おまえは弾けすぎだって」
「意外!」
「だから、あたしがこんな顔をしてるの見たら、みんなきっと噴き出しちゃう」
「本当に?」
「本当に。でも、拓郎先輩の前じゃ、弾けられない。今はあの時のあたしに戻ってるから」
「あの頃は、貴女に何もしてあげられなかった。後悔しています」
「全然恋人同士、って感じじゃなかったですね」
「そうですね。手も繋いだこと、なかった」
ミカは、ケットの下で拓郎の手を探り当て、握りしめた。
拓郎は仰向けになったまま、ぎゅっと目を閉じた。
「ここだったら、誰にも見られないでしょ、先輩」
拓郎はゆっくりと身体をミカに向け直した。そして静かに腕を回して彼女の身体を抱きしめた。
「先輩……」拓郎の肩に顎をのせ、ミカはうっとりしたようにつぶやいた。
横になったまま、拓郎はミカの唇を柔らかく吸った。そしてそのまま背中の手を滑らせて、ミカの腰のあたりを撫でた。
はあっ……。口を離した拓郎の瞼にミカの熱く甘い息がかかった。拓郎の鼓動が速くなっていった。
「先輩……、」ミカはもう一度そう言って、今度は自分から拓郎の唇を求めた。拓郎がそれに応えるのを確認して、ミカは何度も唇を重ね直しながら、激しく拓郎の唇と舌を吸い、味わった。
いつしか二人の身体にかかっていたケットが床にずり落ち、上になった拓郎はミカの身体に覆い被さったまま固く目を閉じてミカと熱く激しいキスをし続けていた。
「ミカさん……」拓郎は上気した顔でミカを見つめた。
「来て、先輩、拓郎先輩……」
「いいんですか?」
「初めての時のように……」
拓郎はミカの背中に回した手でブラのホックを外した。そしてゆっくり彼女の腕から抜き去った。現れた二つの乳房を、拓郎は優しく両手で撫でた。
「ああ……」ミカはため息をついた。「先輩の手の感触、あの時と同じ……」
「貴女を気持ちよくさせること、あの時の僕にはできなかったですね……」
拓郎はそう言った後、ミカの右の乳首を唇で挟み込み、吸い込んで舌で転がした。
「んっ……」ミカは身体を仰け反らせた。
ミカの身体が赤く染まり始めた。
拓郎はミカのショーツに手をかけ、ゆっくりと脱がせると、その秘部に躊躇いがちに口を近づけた。
ミカの身体が小さく震え始めた。
拓郎の舌が、ミカのクリトリスを捉えた。そしてそのまま谷間の中に侵入し、ヒダを上下に舐め始めた。
「ああ、ああっ! た、拓郎先輩!」
ミカの息が荒くなっていった。
やがてミカの身体がぶるぶると大きく痙攣し、大きく喘いでいた身体が弛緩した。胸元に汗を光らせながら、ミカは潤んだ目で拓郎の頭を抱え、自分に向けた。「先輩、もう十分。とっても気持ちよかったです」
拓郎は照れたように笑った。「そう? それはよかった」
「今度は、あたしの番」
ミカは拓郎を仰向けにして身体を重ねた。彼の首筋をスタートしたミカの唇が、下腹部に到達し、ミカの手が秘部を覆っていた下着にかけられて、ゆっくりと下ろされた。
「あの時はできなかったこと……」
大きくなって脈動している拓郎のペニスを、ミカは優しく両手で包み込み、そっと先端に滲んでいた透明な液を舐め取った。
「んっ……」
拓郎は小さく呻いた。
ミカはそのまま拓郎のペニスを深くくわえ込んで、口を上下に大きく動かした。
「あ、あああ、あっ、ミ、ミカさん!」
拓郎は激しく喘ぎ始めた。しかしすぐに身体を起こした。
その拍子に拓郎のものはミカの口から解放された。
ミカは拓郎を上目遣いで見た。「あたしの口でイっても良かったのに」
「もう僕は一晩に二度もイけるほど若くない」拓郎はふっと笑った。「それより、早くあなたと繋がりたい。早くあの時を思い出したい」
拓郎は焦ったように、枕元にあったプラスチックの包みを開け、中の薄いゴムを取り出して、ミカの唾液で濡れそぼっているペニスに被せた。そうしてミカを仰向けにして、その身体を押さえつけた。
「早く、思い出したい。いいですか? ミカさん」
ミカはだまってうなずいた。
拓郎のペニスがミカの谷間を探り当てて、少しずつ中に入り始めた。
ミカは大きなため息をついた。
「い、痛くないですか?」喘ぎながら拓郎が言った。
「大丈夫。気持ちいい。とっても……」
その言葉に安心したように、拓郎はそれでもゆっくりミカの中にペニスを埋め込んだ。
二人の腰が密着した。拓郎は切なそうにミカの目を見つめた。
「ミカさん……」
「先輩……」
拓郎は腰を前後に動かし始めた。ゆっくりと、静かに、まるで赤ん坊を扱うようにそっとミカの身体をその大きな手で撫でながら。
ミカの全身が熱くなり、胸の鼓動が急速に速くなっていった。
「あ、先輩! 拓郎先輩!」
次第に拓郎の腰の動きが大きくなっていった。
「んっ、んっ、んっ……」
拓郎は額に汗しながら苦しそうな顔でその行為を続けた。
ミカの身体の奥から沸騰したものが一気に湧き上がった。
ミカは堪らず大声で叫んだ。「ああっ! 拓郎さんっ! イってっ!」
「えっ?!」拓郎は目を大きく開き、大きく身体を震わせながら絶頂を迎えたミカの、快感にゆがんだ顔を見下ろした。そしてすぐにまたぎゅっと固く目をつぶって叫んだ。「よ、良美っ!」
びゅるるるっ!
「うっ! ううっ!」
拓郎の身体の奥から、激しい勢いで熱い想いが噴き上がった。
びゅくっ! びゅくびゅくっ! びゅくっ!
ミカの身体にぐったりと覆い被さった拓郎の背中にはたくさんの汗の粒が光っていた。
ミカはその汗を手のひらで彼の肌に塗りつけた。
拓郎の息はなかなか収まらなかった。
やがてミカの中で力を使い果たした拓郎のペニスは、ぬるりと彼女の秘部から抜け落ちた。
「ミカさん、ごめんなさい……」腕をつっぱり、ミカを見つめる拓郎の瞳には涙がいっぱいになっていた。
ミカは両手で拓郎の頬を包み込んだ。溜まっていた涙はこれえきれずにミカの乳房にぽたぽたと落ちた。
「本当にごめんなさい、ミカさん」拓郎はミカの横に仰向けになって、顔をミカに向け、彼女の右手を両手で包み込んだまま、ひどく申し訳なさそうに瞬きをした。
「良美さん、って、奥様のお名前?」
「そ、そうです……」
「辛いことを思い出させてしまったんですね、あたし……」
拓郎は慌てて言った。「い、いえ、貴女のせいじゃありません」
「よかったら、話してください。奥様のこと」
しばらくの間ミカの目を見つめ返していた拓郎は、そっと目を閉じた後、ゆっくりと話し始めた。
「僕と同じ留学生としてシドニーに渡った良美は、昼間も言ったように貴女にとてもよく似た女性だったんです」
「はい……」ミカは拓郎を見た。
拓郎はそのまま続けた。
「貴女に辛い思いをさせた、という気持ちが、僕が良美に惹かれた大きな理由の一つだったような気がします。今思えば」
「先輩……」
「貴女の面影を強く持っていた良美を愛することで、貴女への罪滅ぼしをしていたような気がする」
「…………」ミカの目に涙が浮かんだ。
拓郎は目を開けてミカを見た。
ミカは慌てて目を拭った。
「でも、日本に残した貴女をその時、心から愛していたか、というと、それは違う気がする。愛していたのはやっぱり良美。良美本人だった」
「はい。わかります」
「今、貴女が僕のことを『拓郎さん』って呼んだ瞬間、僕は良美との最後の繋がり合いを思い出してしまった。貴女にはとっても失礼なことをしてしまいました」
「とんでもない。あたしこそ、そういう辛さを抱えている先輩をこんなところに誘ってしまって、ごめんなさい」
「でもね、」拓郎はミカに向き直り、枕に肘を突いて、頭を支えた。「貴女をまた抱かせていただくことができて、本当に良かったです」
「え?」
「実はね、僕は、貴女と現実にもう一度会うことができたら、こうして抱き合えたらいいな、って、下心を持っていたんです」
「ほんとに?」
「うん。だから、それをケンジさんに見透かされた気がして、喫茶店ではとっても動揺してしまいました」
ミカはくすっと笑った。「そうだったんですね」
「オトコって本当にいやらしい動物ですよね。でも、実際に貴女を抱かせてもらって、僕は、良美と本当の意味でのお別れができた気がします。それに貴女とも」
「拓郎さん……」
「もう、貴女にそんな風に呼ばれても、泣かない。なんだか、吹っ切れちゃいました」拓郎は今まで見せたことのなかったような明るい顔で笑った。
ミカは喫茶店でケンジが言った言葉を思い出していた。
『今度こそ、きっと本当の意味での最後の夜になるよ』
拓郎は身体を起こした。
「良かった、また貴女に会えて」
「あたしも、先輩にまた会えて、良かった。その上、こんな若くもない身体を癒していただいて、感謝しています」
「いやいや、貴女の身体はとっても魅力的でしたよ。あの時に比べたら、まるで別人のようだった」
「別人?」ミカは笑った。
「でも、思い出しました。貴女の吐息の熱さと甘い香り。それはあの夜と同じでした」
「えー? 本当ですか?」
「うん。間違いない。ずっと忘れていたけど、僕の身体がまだ覚えていた」拓郎は照れたように笑った。「下着、つけてください」
ミカはその言葉に従った。拓郎もコンドームを外し、脱いだ下着をはき直した。
「ケンジさんに電話します?」
拓郎が言った。
「しません。この夜のことに、あの人は口出ししない約束です」
「そうなんですね」
「ケンジも、あたし以外の女性とセックスしたことが何度かありますけど、それも公認だし、その時もあたしはノータッチです」
拓郎は呆れて言った。「本当に変わった夫婦ですね」
「そうですか?」
「だって、完璧に浮気でしょ? 嫉妬に狂ったりしないんですか?」
「全然妬かないわけではなくて、その直後は少し攻撃的な夜になりますね」
「へえ!」
「あたしたちにとっては、第三者とのセックスはスパイスみたいなものかな」
「スパイス?」
「はい。ケンジが違うオンナとセックスした次の晩は、あたし、ケンジをけっこういたぶります」
「いたぶる?」
「はい。なかなかイかせてやらなかったり、逆に何度も、尽きるまでイかせたり、そして言うんです。やっぱりあたしの方がいいでしょ? って」ミカは笑った。
「じゃ、じゃあ、明日の晩は、ミカさんがケンジさんにいたぶられる、ってこと?」
「もう、わくわくしますね」
「え? 何で?」
「だって、おそらくケンジ『俺の方が絶対に気持ちいいんだからな』って、すごんできて、きっといつもより激しく求めてくると思いますよ。燃えるじゃないですか」
「返す返す変な夫婦……。普通のカップルだったら、十中八九別れ話に発展しますよ」
「普通の夫婦にとっては毒物。でもあたしたちにとってはスパイス」ミカはウィンクをした。
「何か飲みますか?」拓郎が冷蔵庫を開けながらミカに顔を向けた。
「ビール飲みましょ、先輩」
「即答しましたね。好きなんですか? ミカさん」
「三度の飯より」
「あの頃の貴女からは想像できない言葉だ」拓郎は呆れかえって笑った。そして冷蔵庫の中から缶ビールを二本取りだし、一本をミカに手渡した。
「ありがとうございます」
二人は下着姿のままベッドの端に並んで腰掛けた。
「拓郎先輩、今気になっている女の人がいるでしょう?」
「えっ?」飲みかけたビールの缶から思わず口を離して拓郎はミカを見た。
「やっぱり。図星ですね?」
「ど、どうしてそんなことがわかるんです? ミカさん」
ミカは天井を仰いだ。「……勘です勘」
「参りました。まだ誰にも打ち明けてないのに……。しかもそれに勘づいてて僕に抱かれたミカさんには、重ね重ね失礼なことを……」
「お気になさらずに。もう、二人ともいい大人なんだし」
拓郎はビールを一口飲んだ後、観念したように口を開いた。
「今の会社の部下に、独り身の僕をかいがいしく世話してくれる子がいるんです」
「お部屋にまでいらっしゃるの? その人」
「まだそこまでは……」
「貴男は彼女に惹かれているってことなんですね」
「穏やかに、少しずつ、って感じでした。でも、明日、彼女を見たら、もしかしたら告白するかもしれません」
「え? どうして、そんな急に」
「さっき言ったでしょ。もう吹っ切れた、って。亡くなった良美が、貴女の身体を通して僕に、もうこれで最後にして、貴男の『これから』を探して、って言ってくれたんです」
「拓郎先輩……」
拓郎は手に持ったビールの缶を両手でそっと包み込んでうつむいた。
「思えば、ずっとうじうじしていた。もうそばに居るはずのない良美の思い出に酔い、嘆き、その上未練がましく貴女に会いたがっていたのも、僕のネガティブな気持ちからきたものだって、今思います」
拓郎はミカに身体を向けてじっとその目を見つめた。「本当にありがとう、ミカさん。貴女のおかげで、僕はまた歩き出せそうです」
「拓郎先輩のこれからの人生が素敵なものでありますように」ミカはにっこり笑って、ビールの缶を持ち上げた。拓郎も自分の手の缶を持ち上げ、ミカのそれに軽く触れさせ、中に残っていたビールを飲み干した。
◆
「でさ、結局先輩、あたしのことずっと『ミカさん』って呼んでたんだよ」
帰りの新幹線の中で、ミカは隣に座ったケンジに言った。
ケンジは『三色そぼろ弁当』を食べ終わって蓋を元通りに被せたところだった。
「大したもんだな。決して一線を踏み越えない、っていう意志の表れじゃないか」
「だよねー」
ミカも最後のご飯を口に入れ、弁当に蓋をした。
「熱くなっても冷静さを失わない、っていうところだな。今時珍しいよな」
「ま、高校時代もそんな感じだったけどね、先輩」
「そうなのか?」
「うん」食べ終わった弁当をケンジの持っていたものと一緒に袋に戻して、ミカは窓際に置いていたビールの缶を手に取った。「控えめ、っていうか、もどかしいぐらいに慎重な人だったよ」
「へえ」
「そうそう、」ミカが飲みかけたビールの缶から急に口を離した。「やっぱり先輩って、あのアパート借りてるんだって」
「やっぱりそうだったか。大当たりだな」ケンジは笑った。
「でね、先輩、夏ぐらいに、ショップの店長に、あたしの情報が入ったら教えてくれるように頼んでたんだって」
「へえ。でも君が昨日店長に会った時、そのこと聞いたんじゃないのか? 拓郎先輩のことも」
「店長はその時、あたしの連絡先を聞きたがっている学校の先輩っていう人がいる、としか言ってくれなくてさ。あたし、その時は大学の先輩のことかって思ったんだ。同窓会の連絡か何かがあるんじゃないかって」
「なるほどな」
「でも先輩が言ってたんだけど、店長はね、拓郎先輩には、もしそういう情報をもらったとしても、そんな個人的なことを教えることはできない、って最初は断ってたらしい。それでも先輩、名刺を渡して、勤めてる会社も明らかにして、住んでるアパートも知らせて頼み込んだんだってよ」
「すごい執念だな」
「だよね。で、店長はしぶしぶそれを了承したわけだけど、それより先に、彼本人があたしたちを昨日見つけたってわけなんだよ」
「それって偶然なんだろ?」
「言ってみればね。ケンジが言った通り、アパートの窓からも通りの様子を窺ってたし、店にもよく足を運んでたらしいよ」
「やっぱりな。思った通り」ケンジはビールを一口飲んだ。
「だから先輩、あの店のお得意様になってたって」ミカは笑った。
「拓郎先輩、これからどうするって言ってた?」
「吹っ切れた、って言ってた。奥さんのことも、あたしのことも、思い出にしてしまえるって」
「そうか。よかったな」ケンジはまたビールの缶を口に持って行った。「彼の亡くなった奥さんって、そんなに君に似てたのかな……」
「もうびっくり。高校ん時のあたしと、姉妹以上に瓜二つ」
「君には姉妹はいないだろ。って、写真でも見せてもらったのか?」
「うん。あたしもさ、先輩から聞かされた時は、嘘だよー、って思ってたけど、写真見た時、もうびっくり仰天して絶句したもん」
「君への未練が、その良美さんとのつき合いに結びついてたってか?」
「たぶんそうだと思うよ。だからあたし、とっても申し訳なくってさ」
「先輩の好みの顔だった、ってことにしとけよ」ケンジは飲み干したビールの缶をぐしゃっと手で握りつぶした。
「妬いてる? ケンジ」ミカはいたずらっぽくケンジを見た。
ケンジはミカに向き直り、鋭く睨み付けた。「妬いてる!」
「もう、ケンジったら……。幼い息子にもヤキモチやくし、もう会わないってわかってる先輩だよ? 嫉妬することなんか、」ケンジはいきなりミカの身体を抱きしめ、唇を自らの口で塞いだ。
「んんんんっ、んっ!」ミカは目を白黒させて呻いた。
ようやく口を離したケンジの頬を両手でつねりながら、ミカは真っ赤な顔をして小声で抗議した。「やめてよっ! こんな人目のあるところでっ!」
「構うもんか! 俺の方が絶対に気持ちいいんだからなっ!」
幸い、今日の新幹線は空席が目立ち、ケンジたちの周囲に客は座っていなかった。
ケンジはもう一度ミカに猛烈な勢いでキスをしながら、手をミカの股間に潜り込ませた。
ケンジの手は肌に張り付いたミカのジーンズの前のボタンを外し、ファスナーを引き下ろし、ショーツの中に侵入した。
「や、やめっ! ケ、ケンジっ! あ、あああ……」
彼の指がミカの谷間の奥深くまで挿入され、細かく震えながら動いた。
ミカは自分の口を押さえて必死で声を殺し、それでも息を荒くしていった。
ケンジのもう片方の手が、背中に回され、シャツの下からミカのバストに伸びた。
ミカはさらに顔を赤くして喘ぎだした。
ブラの隙間から入り込んだケンジの指が乳首を摘み上げてぐりぐりと刺激した。
「んはっ! あ、ああああっ!」
ミカは口から手を離した。そして思わず声を上げた。
ケンジは素早くミカの口に思い切り吸い付いた。そして激しく舌を拘束しながら吸引した。
秘部に挿入された指の動きが激しくなった。
びくびくびくっ!
ミカの身体が大きく痙攣した。
「んんんんーっ!」
乱れた着衣のまま、ミカはケンジの背中に腕を回していた。そして荒くなっていた息を落ち着かせようと、顎をケンジの肩に載せたまま大きく胸を上下させた。
「ば、ばかっ! 何てことするんだ、こんなところでっ!」
ミカはまだ赤いままの顔でケンジに抗議した。
ケンジはふっと笑ってミカの耳元に口を寄せた。「どうだ? イき方は俺の時の方が激しいだろ?」
「ああもう! ショーツが気持ち悪いったらありゃしない。びしょびしょじゃないか」
「昨日言っておいただろ? 覚悟しとけって」
ミカは腰をもぞもぞさせた。
「脱いじまったらどうだ?」
「軽く言うなっ!」
ケンジは晴れ晴れとした顔でため息混じりに言った。「あーすっきりした」
ミカは服を整えながらケンジを睨み付けた。「覚悟してろよ、今夜。仕返ししてやるから」
「楽しみだね」ケンジは爽やかに笑った。
最終脱稿 2013,9,15
※本作品の著作権はS.Simpsonにあります。無断での転載、転用、複製を固く禁止します。
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《追憶タイム あとがき》
ミカの男性との初体験は高二の時。それでもその加賀拓郎先輩と抱き合ったのはそれっきりです。その後すぐに彼は、シドニーに留学生として派遣されることになり日本を出国してしまったからです。
ケンジとミカが結婚したのはミカが24の時。二人がつき合い始めたのは彼女が22の時でしたから、このエピソードの時点では、二人はつき合い始めて8年が経過していることになります。
ケンジはミカよりも2歳年下ですから、その時28歳。家庭生活も、仕事も、それにミカとの夜の営みも、最も精力的でアクティブな年齢とも言えるかも知れません。それだけにケンジは自分から勧めておいて、ミカと実際に夜を過ごした拓郎に、あからさまな嫉妬心を抱いたわけです。まあ、それでもミカがそれをきっかけに拓郎について行ってしまうことなどあり得ませんから、ミカにとっては、そのケンジ言動が、ひどく子どもっぽい言動に思えてしまって、苦笑してしまうのです。オトコと言う生き物は、そんな風に理屈を完全に飲み込むことができない習性を持っているのです。
ケンジは、高校生の頃に双子の妹と深い関係にあり、その二人の熱い気持ちの繋がりを理解した上で結婚したミカでした。そんなわけで、ケンジはミカとの結婚後もその妹マユミと年に一度、二人が初体験を迎えた8月3日に二人だけで食事をし、お泊まりデートをすることを許されていました(本編エピソード5『Lequor Chocolate Time』エピローグ)。当然、その夜はケンジとマユミの兄妹は熱く抱き合い、繋がり合うわけで、拓郎に嫉妬したケンジと同じように、まだ若かったミカは、頭では解っていてもやっぱり愛する夫が別の女を抱くことに多少なりともジェラシーを感じていました。しかし年々、その気持ちも薄らいでいって、作中でミカが言っていたように『普通の夫婦にとっては毒物。でもあたしたちにとってはスパイス』という感覚に収まっていきます。
それから時が経ち、ミカが38歳の時、ケンジとマユミの初体験から20年が経つのを記念して、ケンジ、ミカ夫婦とその息子龍、ケネス、マユミ夫婦とその双子の子どもたち健太郎、真雪合計7人でハワイへ家族旅行した時に、ミカとケネスも身体を重ね合い、結果この二組の夫婦は無事に公認スワッピングを実現させ、平和裡に夫婦関係を落ち着かせることができたのでした(→『Chocolate Time』基礎知識「ケンジとマユミ、ケネスとミカ」)。
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