Twin's Story 5 "Liquor Chocolate Time"
《4 決心》
「おまえいつ帰ってくるんだ? ケンジ」父親が珍しく息子に電話をしていた。「正月も帰って来なかったじゃないか」
「いろいろと忙しくてね。でも、月末には帰れそうだ」
「帰ってこい。母さんも寂しがってる」
「わかってるよ」
駅に降り立ったケンジを迎えたのはマユミとケネスだった。
「お帰り、ケン兄。会いたかったよ」マユミはケンジに抱きついた。
「俺もだ、マユ。元気そうだな」ケンジもマユミの身体を抱き返した。
「人目も憚らず、あいかわらず大胆なやっちゃな」ケネスが笑った。
「どうだ、マユ、バイト、まだやってんだろ? ケニーんちで」
「うん。夕方ちょっとの間だけだけどね」
「もう、大助かりやねん。マーユはもはや手放せん戦力や」
「へえ、すごいじゃないか、マユ」
「えへへ」
照れて頭を掻くマユミを見て、この妹を愛しいと強く思う気持ちがケンジの中に甦り始めた。
『Simpson's Chocolate House』の喫茶スペースで、マユミとケンジ、それにケネスは久々の再会を喜び合っていた。
「マユ、お前あと1年で短大出るわけだけど、その後のことは何か考えてるのか?」
「う、うん。あたしね、」マユミがケンジの目を見て言った。「ここで働かせてもらおうかな、って思ってる」
「え? ここで?」
「そう。ここで」マユミはココアのカップを手に取った。
「わいを始め、親父もおかんもマーユのことが気に入ってしもてな。今マーユが勉強してるマーケティングのことや経理の知識がこの店には必要なんや」
「そうか。マユも役に立ってるんだな」
「自分ではそうでもないって思うんだけどね」
「お前の好きなチョコレートに囲まれて過ごせるなんて、夢のようじゃないか」
マユミはにっこりと笑った。「うん」
「しっかり勉強しな。ケネスに迷惑かけないようにな」
「わかってる」
「ほんで、ケンジ、お前うまくやってんのか? 大学で」
「ああ。いい先輩もいて、親切にしてくれるし、大学に入ってタイムも伸びた。フォームも安定してきた、ってコーチにも言われた」
「そうか、やっぱ専門機関やと違うんやな」
「この前、新聞に出てたね、ケン兄」
「え? ああ、あれな。そ、そんなに大きな大会じゃなかったんだけど。どうにか結果が出せた」
「嬉しい。あたし、ケン兄があっちでがんばってる、ってことがわかるだけで嬉しい。応援してるからね」
「ありがとう、マユ」ケンジはコーヒーのカップを手にとって笑った。
「そうや、ケンジ、ちょっと二人だけで話がしたいんやけど」
「え?」ケンジはカップをソーサーに戻してちょっと意外な顔をした。「い、いいけど……」
「すまんな、マーユ、ここでチョコでも食べて待っててな」
「う、うん」
ケネスとケンジはテーブルを離れ、店の奥に消えた。マユミは少し不安な表情をして二人の背中を見送り、テーブルにほおづえをついた。
店舗の裏にある別宅の前で、ケネスとケンジは向かい合った。
「ケンジ、」
「どうした、ケニー」
「わい、マーユと付き合いたい」
「なに?」
「お前からマーユを譲り受けたいんや」
ケンジは唇を噛みしめた。そして絞り出すような声で言った。「お前にマユは渡さない」
「このまま関係を続けるつもりか? ケンジ。不毛な関係を」
「どこが不毛だ! 俺たちは純粋に愛し合ってるんだ! お前に何がわかる!」
「わかってるから言うてんのや。このままお前ら二人、付き合い続けられる思てるんか? いずれ結婚しようやなんて思てるんか? そないな夢みたいなこと、まさか本気で考えとるんとちゃうやろな? 無理やろ? そないなこと、できるわけあれへんやろ? ええかげん目え覚ましたらどうやねん!」
しばらく黙っていたケンジは、決心したように顔を上げ、まっすぐにケネスの目を見た。
「俺と勝負しろ! ケニー」
「しょ、勝負やて?」
「お前、俺のライバルだろ? お前が俺に勝ったら、俺はマユを諦める」
「何あほなこと言うてんねん、そないなことして何になる。遊んでる場合とちゃうやろ!」
ケンジはケネスを睨み付けて大声で言った。「マユが欲しかったら、勝負を受けろ! ケネス!」
◆
ケンジの母校のプールには三人の他誰もいなかった。
「どうしたの? いきなり勝負だなんて」マユミが言った。
「昔を思い出したんだ。ケニーと競い合ったことが懐かしくなってね」ケンジがゴーグルを目に当てながら言った。ケネスもキャップを押さえ直し、ゴーグルを装着した。
「マユ、スタートの合図を」
「わかった」
「100mバタフライ」スタート台のケンジが叫んだ。
「よーい、」マユミの声が響く。ケンジとケネスの身体が静止した。
ピッ。笛の音とともに、二人は身体を翻らせてプールに飛び込んだ。
バサロでみるみるうちにケネスを引き離したケンジは、最初のプルで頭を水面に出した。ケネスはケンジと身体半分の差を縮められないまま、50mを泳ぎ、ケンジに一瞬遅れてターンした。
「がんばってーっ! 二人とも!」マユミが手をメガホンにして叫んだ。
ケンジとケネスの差が次第になくなってきた。そして折り返しの半分のラインを過ぎたあたりで、二人は完全に横に並んだ。マユミは固唾を呑んで二人のゴールの瞬間を見守った。残り5m。コースロープの色が変わったところで、突然ケンジが泳ぐのを止めた。
「えっ?!」マユミが小さく叫んだ。ケネスはそのままゴールした。
「何のつもりや! ケンジ!」先にプールから上がったケネスがケンジに掴みかかった。「なんで勝負せえへんかってん!」
「俺の負けだ。あのままいっても、たぶん……」
「なめたこと言うんやない! あほっ!」バシッ! ケネスの平手がケンジの左頬を直撃した。
「なに? 何なの? どうしたの? 二人とも!」マユミが駆け寄った。
「マユは口を出すな!」
そのケンジのあまりの剣幕に、マユミは途中で凍り付き、その場に佇んだ。
「お前、マーユのこと、真剣に愛してるんやなかったんか?! そんな簡単に諦められるんか?!」
「諦められない! 諦められるわけがないだろ!」
「ほたら、なんで、」
「これしか方法がないじゃないか! 俺の代わりにマユを幸せにできるやつが、お前以外にいるか?」
ケンジの目から涙が溢れ始めた。その様子を見ていたマユミも口を押さえ、涙を溢れさせた。
「ケ、ケンジ……」
「お前以外に、妹は渡さない。渡せないよ……」ケンジは乱暴に涙を拭った。
マユミがケンジに駆け寄った。「ケン兄っ!」そしてケンジを抱きしめ、彼の濡れた胸に顔をこすりつけ、泣きながら叫んだ。「ケン兄、ケン兄!」ケンジはマユミの身体を抱き返すことなくただうなだれて涙をこぼし続けた。
◆
マユミは膝を抱えて長いこと暖炉の前に座っていた。彼女は燃える暖炉の火を、泣きはらした目で見つめ続けていた。
「ケニー、」やっと口を開いたマユミに、ケネスは顔を向けた。「マーユ……」
「あたしが好き?」
「……好きや」
「本当に? 心から?」
「好きや。もちろん心から。一年ぐらい前から、マーユのことしか考えられへんようになってた」
「あたし、変なのかな……」マユミはケネスの目を見て言った。「あたしも、ずっと前からケニーのこと、気にしてたのかもしれない。でも、ずっとケン兄のこと一番好き、この人しかいない、って思ってた」
「知ってる」
「絶対どっちか選ばなきゃいけないのかな……。もう一人を好きなままでいること、許されないのかな……」
「わいは平気やで、マーユ。マーユがケンジのこと好きなままで、わいはマーユを好きになれる」
「そうなの?」
「ケンジへの想いごと、わいはマーユを好きになったんやから。無理してケンジを遠ざける必要なんかあれへん。そう思うけどな」
「ケニー……」
「マーユ、自分に嘘ついて苦しまんでもええ。今の気持ちに正直になり」
「ありがとう、ケニー」マユミの目に再び涙が宿った。「あたし、ケン兄とお別れするのに、あなたがいなければ本当に壊れてた。受け止めてくれる人があなたで本当に良かった」
「マーユ……」
マユミは涙を拭って顔を上げた。「びっくりしないでね、」
「え? 何やの?」
「あたし、あなたと結婚したい」
「ええっ!」
「驚かせてごめんね。でも、もう決めたんだ。短大出たらすぐ、結婚して」
「け、結婚やなんて! わいら、まだ19やんか」
「ケニーがあたしのこと、これからもずっと大切にしてくれるなら、約束してほしいんだ」
「マ、マーユ……」
「ふふ。驚くのも当然だよね。あたしも今初めて口にしたことだから。今から両親やケン兄と相談しなきゃいけないことだし」
「わ、わいはもちろん、マーユと結婚できれば、こんなに嬉しいことはあれへん。き、きっとわいの両親も賛成してくれる。そやけど、答を出すのん、も、もうちょっと待ってくれへんか」
「いいよ。待ってる。でも、」
「でも?」
「あたし、今夜ここに泊まっていい?」
「な、何でそうなるねん」
「ケン兄と顔合わせるの、つらいから……」
「そやけど、マーユ……」
「お願い」
ケネスは少し考えてから言った。「……ほな、おかんに頼んで、うまいことマーユのご両親には説明さしたるわ」
「ごめんね、わがまま言って」
「気持ちが落ち着くまでここにいたらええ」
「ケンジ、」母親が部屋のドアをノックした。
「何だい? 母さん」
母親はドアを開け、顔だけ出して言った。「マユミ、今夜はケニーくんちに泊まるんだって。ケニーくんのお母さんとバイトのことで話が長くなるからって」
「ふうん」ケンジはベッドにごろんと横になった。
母親の足音が階下に消えると、ケンジはベッドの隙間からマユミのショーツを取り出した。そしてその匂いをちょっとだけ嗅いだ後、呟いた。「マユ……。ごめんな。俺のせいで遠回りさせちゃったな……」