誠也のパールレッドの軽自動車の後部座席に英明を押し込み、美穂は助手席に座った。
「ごめんね、誠也君」
「全然構いませんよ。叔父さん、そんなに飲んでたの?」
「まあ昼間の披露宴からずっとだからね。男の人はそんなもんでしょ」
誠也の車は今時珍しいマニュアルシフト車だった。
「すごい、この車、シフト車」
美穂が言うと、誠也は眉を上げて言った。「オートマの車は運転の楽しみが半分以下だと思う」
「あたしの免許もシフト車OKなんだよ」
「え? そうなの? なんで?」
「いずれ必要になるかなと思って……」
美穂はそう言いながらシフトレバーに乗せられた誠也の手を包み込むようにして握った。
「いい判断でした」
誠也は頬を染め、照れたように笑って車を公営駐車場から発進させた。
英明と美穂は式から半月後、月が変わってから同居を始めることにしていた。家賃や敷金の無駄を省くためだった。
英明が一人暮らしをしているマンションの合い鍵を使って美穂がドアを開けると、誠也に肩を支えられた英明が中に入った。寝室に運び込まれた英明をベッドに寝かせて部屋の空調を適温にセットし、美穂は寝室の入り口に立っていた誠也に顔を向けた。
英明はベッドに大の字になってすでに寝息を立て始めていた。
誠也は泣きそうな顔で美穂を見つめ返した。美穂は小さくうなずいた。
マンションの駐車場に駐めた車に戻った誠也は、遅れて助手席に座った美穂の右手を取った。美穂はついさっき誠也が見せたような切ない目をすぐ横にいる運転席の男性に向けた。
誠也はたまらず美穂の肩を両手で掴んでその唇を彼女のそれに押し当てた。美穂は口を大きく開いてそれに応え、いつしか二人は激しく舌を絡み合わせていた。
郊外のホテルの一室、艶めかしく真っ赤なベッドカバーをめくりもせず、その上で誠也と美穂は何も身につけず抱き合っていた。それまでの思いを全てぶつけ合うように、二人は何度も口を重ね直し、深く熱いキスを交わした。誠也の手は美穂の豊かな膨らみを乱暴にさすり、美穂は誠也の背中に回した腕に力を込め、爪を立てた。
「誠也君、あたし、もう!」
「美穂さん! 俺、我慢できない」
二人はそう叫んで再びきつく抱きしめ合い、お互いの唇と舌を貪り合った。そして仰向けになった美穂は自ら脚を大きく開いた。
「美穂さん、貴女が欲しい!」
「来て、来て誠也君!」
誠也は大きく屹立した自身を右手で握りしめ、美穂の谷間に押し当てた。そしてその目をじっと見つめた。美穂は目を閉じ大きくうなずいた。
誠也の身体の一部が美穂の体内に入っていく。美穂は生まれてから今まで経験したことのないうねるような快感と身体の中の熱さに翻弄され始めた。
誠也はすぐに腰を大きく動かし始めた。
その硬く大きく、熱を持ったものは何度も美穂の最も敏感な場所を貫き、その度に大きな熱い波が美穂の全身に襲いかかった。
「いやっ! も、もうだめ! イって、誠也君、イって!」
「美穂さん!」
誠也の腰の動きが激しさを増した。二人の全身にはびっしりと汗の粒が光っている。
「も、もうすぐっ!」
誠也が絞り出すような声を上げた。
「イくっ! イっちゃうっ!」
美穂が顎を上げて目を剥いた。
「出るっ! ぐううっ!」
びゅくっ! びゅくびゅくっ!
誠也の動きが止まり、激しい放出が始まった。
美穂の身体の奥深くにマグマのように熱い液が迸り、その熟した空間を満たしていった。
シャワーを浴びながら、美穂はバスタブの中に膝を抱えて座った誠也に目を向けた。
「……あたし、後悔してないよ」
「うん」誠也は言葉少なにうなずいた。
「あなたは? 誠也君」
少し考えた込んだように鼻をこすった後、誠也は小さな声で言った。
「俺も……」
バスルームを出るまで二人はそれ以上言葉を交わさなかった。
ベッドに戻り、ベッドカバーをめくった美穂は、すぐ後にバスルームから出てきた誠也を促して一緒に横になった。
「二次会であたしと再会することに抵抗はなかったの? 誠也君」
「貴女だとは思ってなかったんだ」
「そうなの?」
「だって、貴女がこんなにすぐ結婚する女の人だなんてあの時は思ってなかったし。美穂っていう同じ名前の人と叔父さんは結婚するのか、ってちょっと運命的なものは感じたけどね」
美穂は独り言のように言った。
「運命的……なんだよ、きっと」
「そうなのかも……」
「こんなこと言い訳にしか聞こえないけど」
天井のシャンデリアを見上げながら美穂が言った。
「うん」
「あたし、英明さんとこれから一緒に暮らしていくのが少し不安だったの」
「マリッジブルーってやつ?」
「そうなのかな……。でも彼のことは間違いなく好き。尊敬もしてるし、大切にしたいって思ってる」
「幸せだね、叔父さんも」
「でも……」
美穂は誠也の手を握った。
「あなたのことも好き」
「俺も美穂さんが好きだよ。たぶん今までで一番好きになれる」
「でも、許されないんだよね……」
「……そうだね」
誠也は大きなため息をついた。
「嘘は言いたくないから、正直に言うね」
誠也は美穂に身体を向けた。
「あなたにしか反応しない部分があるの。あたしの身体の中に」
「反応?」
美穂はうなずいた。「あなたと会っている時にだけ、心臓全体が動き出して身体の一番奥が熱くなって疼くの」
「そうなんだ……」
「英明さんではそうはならない」
「結婚して一緒に暮らしていれば同じように反応するんじゃない?」
美穂は首を振った。「直感で解る。申し訳ないけどあの人に抱かれてもそんなことにはならない。ずっと」
そう言いながら美穂は、夜を共にする度にぎこちない動きで自分を抱き、最後は苦痛だとしか思えないような表情で果てる英明の様子を思い出していた。
誠也は再び仰向けになり、天井を見つめ、おもしろくなさそうに言った。「それじゃどうして結婚なんてするんだよ。おかしいよ」
「どうしてだろうね……」今度は美穂が誠也に身体を向けた。
誠也は後頭部に両手を敷いてじっと上を向いていた。
「一緒に生活する相手に選んだのが英明さん。だから結婚するの」
「愛情はなくても?」
「愛情……って言っていいのかわからないけど、家族になりたいって思う気持ちは大きい」
誠也は顔だけ美穂に向けた。「そういうのって愛情っていうの?」
「結婚した相手にだけ心も身体も全部独占させるって、考えてみれば無理があるって思わない?」
「言ってる意味がわからないんですけど」誠也はいらいらしたように言った。
「あたしも自分で何を言ってるかわからない」
美穂は自嘲気味に笑った。
「あなたは?」
「えっ?」
意表を突かれて誠也は口を半開きにしたまま固まった。
「あなただって結婚してるのに、あたしのこと好きだって言ったじゃない。さっき」
「俺は元々あの人に心も身体も独占させる気なんかないから」
「じゃあ、どうして夫婦でいるの?」
誠也は口をつぐんだ。
「単にあたしを抱きたいって思ったからとりあえずそう言ってみた?」
「ち、違う! 絶対に違うよ!」
誠也は自分でもびっくりするような大声で叫び、すぐにしまったという顔でまた黙り込んだ。
「ごめんなさい、意地悪な言い方だった」美穂は誠也の手を取って天井を見上げた。「正直こんなこと訊きたくないし、訊いた所でどうなるわけでもないんだけど」
誠也は美穂の顔を見てうなずいた。
「誠也君は奥さんとうまくいってないってほんとなの?」
はあ、とため息をついて誠也は答えた。「いってません」
「英明さんも言ってた。扱いにくい嫁だって」美穂は誠也に顔を向けた。「どういう夫婦なの? あなたたちって」
「俺は大学に一浪して入ったんだ。そして水泳のサークルであの人と出会った。俺はそれほどでもなかったけど、彼女の押しが強くて、卒業してスポーツジムに就職してから俺に貢ぐって言い始めたんだ」
「強引だね」
「一年の時の冬におふくろが急死したから経済的にはかなり厳しかったこともあってさ」
「知ってる。お母さんを亡くして辛かったね」
誠也は静かに目を閉じた。「確かに辛かった。それでその時も彼女は俺を誰よりも心配してくれた。そのこともあってあの人に心を奪われたような気になったのかもしれない」
「あなたに尽くしてくれてるわけじゃないの?」
「気が強い人で、他人にあれこれ言われるのが大嫌いなんだ。自分のやりたいようにやらなきゃ気が済まないって言うか……だから俺に対しては尽くすと言うより命令に近い」
「そう……」
「俺のおふくろがそんな感じだったから、同じようなタイプで安心してたのかも」
美穂は誠也に身体を向けて、諭すような口調で言った。
「それっていわゆる『共依存』だよ。奥さんはあなたをいいように扱って、あなたはそれを受け入れる、それで安心するっていう関係」
「どこかで断ち切りたいとは思ってる。でも今俺は学生で、彼女に援助してもらってる。立場は圧倒的に弱い」
「卒業して就職するまで我慢してるってことなの?」
「就職したらどうするか、なんて今は具体的な考えが浮かばない。その時にならないとわからないな……」
「何の勉強してるの? 大学で」
「美穂さんには笑われるかもしれないけど、教育学部に在籍してる」
「将来は学校の先生?」
「できればね。だから英明叔父さんは俺の目標」
美穂は小さな声で躊躇いがちに言った。
「奥さんとは、その、夜は……」
誠也は肩をすくめた。
「求められるけどその気にならないんだ。途中で萎える」
「その歳で?」
「結婚前は何かと理由をつけて断ってた。だから彼女と初めてエッチしたのは結婚してからなんだ」
「奥さんはあなたをよく求めてくるの?」
「子供が欲しいらしいよ」誠也はこれまでで一番大きなため息をついた。「勘弁して欲しい……」
美穂の胸が締め付けられるように痛んだ。
「もし子供ができたら、ますますあなたは奥さんに虐げられるよ? ますますその人の言いなりになっちゃうよ?」
まるで今すぐにでも別れろと言わんばかりのその中身と突き放したような口調に、美穂は自分自身をひどく惨めに思った。たとえ誠也が離婚したところで、自分とのこの関係が正当化されるわけではないのに……。
「俺もそう思う。それで俺がまだ子供はいらないって逃げてるから、あの人の機嫌は悪くなる一方さ。どっちにしたって事態は好転しない」
しばらくの間、誠也は目を閉じたままじっとしていた。
美穂が握っていた誠也の手を離した時、彼はゆっくりと瞼を開いた。
「あなたがそんな境遇でも、あたしたちは秘密の関係。誰にも知られちゃいけない秘密の」
誠也は焦ったように言った。
「俺、美穂さんが好きだってことは本気。信じて」
美穂は切なそうに笑った。「うん、信じる。でもそれじゃ解決にならない。やっぱり秘密は秘密」
「美穂さん……」
美穂は目に浮かんだ涙を指で拭った。
「誠也君、何度も言ってごめんね、あたし、あなたが好きなの、大好きになっちゃったの」
「美穂さん……」
「お願い、あなたも言って、もう一度、あたしが好きだって……」
「美穂さん!」
誠也はそう叫ぶやいなや、美穂に覆い被さり、また激しくその口を吸った。美穂は瞳に涙をためてそれに応えた。そして彼女は誠也の背中を抱きしめ、誠也も同じように再び熱を帯び始めた美穂の身体を強く抱き返した。
誠也の口が美穂の首筋を這い、鎖骨を経て二つの膨らみに到達した。そして誠也は貪るように二つの乳房を代わる代わる咥え込み、その舌で乳首を転がし、唇を尖らせて吸った。
いつしか美穂は大きな喘ぎ声を上げていた。
誠也は美穂の脚を抱え上げてその秘部に口をつけ、秘毛の下の小さな粒を舐めた。美穂がいっそう高い声で喘ぐ。そしてそのまま誠也は熱く跳ね上がったものを勢いをつけて彼女の谷間に埋め込み始めた。
「俺も好きだ、美穂さん、美穂さんっ!」
きゃあっという悲鳴と共に、美穂は苦しそうに顔をゆがめ、涙をこぼしながら誠也の名を叫んだ。
誠也と美穂は再び深く一つに繋がり合った。
「来て、来てっ! もう一度」
美穂がぎゅっと目を閉じたままそう叫ぶと誠也はその脚を抱え込んだまま腰を大きく動かし、下になったその女性の名を呼び続けた。
そして二人の身体が重なり合ったまま同時に大きく跳ね上がった時、誠也の身体の奥からほとばしり出た熱い思いが強烈な勢いで美穂の身体の一番奥、疼きが最高潮に達していた最も神秘的で神聖な場所に注ぎ込まれ、満たされていった。
ベッドの上で誠也が目を覚ました時、美穂は下着を身につけているところだった。
「ああ、眠っちまってた……」
誠也は身体を起こし、足下に脱ぎ捨ててあった自分の下着を手に取った。
「今、何時?」
「もうすぐ明日」美穂が言った。
「帰るの?」
「あたし今両親と暮らしてるから、あんまり遅くなるわけにはいかないし。あなただってそうでしょ? 奥さんが待ってるわけだし」
誠也は肩を落として小さくうなずいた。「そうだね」
「この時間ならまだ二次会が遅くまで盛り上がってた、って言い訳もできるし」
美穂はベッドの端に腰掛けた。「誠也君、」
下着を身につけ終わった誠也は美穂の横に並んで座った。
「スマホ、出して」
「え?」
「いいから」
誠也は美穂に言われるままに自分のバッグから白いスマホを取り出した。美穂の手にも自身のスマホが握られていた。
「やっぱりあたしたち、もう会っちゃいけないと思う」
美穂はこのホテルに入ってすぐ登録した誠也の番号をディスプレイに表示させた。
誠也は小さなため息をついた。「そうだね」
そして彼も同じように美穂の連絡先を選んだ。
「一緒に消して」美穂が言った。
二人のスマホから、お互いの連絡先が削除された。
◆
――その明くる日。
閉店間際に電話が鳴った。マユミは小走りにレジに駆け寄り、受話器を持ち上げた。
『あ、マユミ? あたし、美穂だけど』
「美穂、昨日はいろいろありがとう。一日朝から大変だったね。あれからどうしたの?」
『そのことで話があるんだ。今日、会ってくれる?』
「いいよ」
『何時頃だったら手が空く?』
「あと一時間ぐらいで片付くよ」
『じゃあ、そのくらいに行くね』
閉店後の『シンチョコ』の喫茶スペース。テーブルを挟んで美穂とマユミは向き合っていた。
はあっと大きなため息を遠慮なくついて、美穂は冷めかけたコーヒーの一口目をようやくすすった。
「そうだったの……」
マユミがひどく切なそうな目をその友人に向けた。
「あたし、最低だよね」美穂が言った。「自分の結婚式当日に他人の男と寝るなんて……」
「打ち明けてくれてありがとう。辛かったね、美穂」
マユミはテーブルの上に置かれていた美穂の手を両手で包み込んだ。
「もう、その誠也君とは会わないの?」
「だって、そうでしょ? また変な気になったらどうするのよ。そんなの教科書通りの不倫じゃない。それに彼には奥さんがいるんだよ? 最低最悪のダブル不倫。これ以上罪作りなことできるわけないじゃない」
美穂は自分に言い聞かせるようにそう言って、コーヒーをごくごくと喉に流し込んだ。
「変な気になる、って、またその誠也君に会ったら我慢できなくなっちゃうってこと?」
「たぶん……」
「好きなんだ……」
「好きなんだよ。でも英明さんも好きなんだよ」
「それで苦しんでるってわけね」
「苦しんでるけど悩んではいないの」
「え? どういうこと?」
「英明さんとこれから一緒に暮らしていくことは決心してる。あたし、彼を心から愛してるもん」
「そんなに簡単に割り切れるものなの?」
「二人とも好きだけど、そんな都合のいいこと世間が許さないから一人にするってことよ」
「大丈夫? なんか、ほんとにそれでいいのか悩むなあ……」
「マユミが悩んだってしょうがないじゃん。大丈夫。そのうちあの人のことは忘れるよ」
「でも、」マユミが一度言葉を切って美穂を上目遣いで見た。「英明さんと結婚したってことは、誠也君とは親戚関係になったわけでしょ? お正月とかお盆とか顔を合わせる機会が何度かあるよ? どうするの?」
美穂は小さく何度もうなずいた。
「それも話した。昨日。だからもしそういう場で会ったとしても、あたし彼のことは義理の甥としてしか見ないし彼もあたしを叔父さんの妻として接する。それだけだよ」
「そう簡単にいくの?」
「他に方法がある?」
「現実的にはそうするしかないんだろうけど……」
マユミはじっと美穂の目を見つめた。
「英明さんと誠也君、二人とも好きなままじゃだめなのかなあ……」
親友のマユミが『誠也』という名を口にする度に、胸の真ん中あたりがきゅうっと小さな音を立てた。美穂は唇を噛みしめ、うつむいたまま言った。
「あたしがそうしたくても、英明さんが納得してくれるわけないじゃない……」
美穂の身体は小刻みに震えていた。「一夜限りの過ちだったんだよ……」