外伝集 Hot Chocolate Time 第3集 第8話「初体験をなめるなよ」
01.幼なじみ四人組/02.菫の気持ち/03.アクシデント/04.幹太の決心/05.記憶をたどれば/06.告白/07.女のコの気持ち/08.次なる課題/09.イメージトレーニング/10.クリスマス・イブ/11.デートの夜/12.初めての体験/13.練習/14.父と娘/15.本命/16.フラッシュバック/17.二十五年目の初体験/18.お礼に代えて
《クリスマス・イブ》
――12月24日。巷では『クリスマス・イブ』と呼ばれている。
朝から豪毅はむやみにそわそわしていた。
「ちょっとは落ち着いたらどうなんだい?」ユウナが朝食の席でいらいらして言った。
「ま、落ち着かねえだろうな」親父は落ち着き払って茶をすすった。「まずはどこでマユお嬢と待ち合わせなんだ? 豪毅」
「え? ああ、11時に『シンチョコ』で。なあなあ、母ちゃん、やっぱネクタイしていくべきかな」
「知るかっ! 自分で考えな」
「で、晩飯はどこで食う?」親父がまた訊いた。
「え? ま、まだそこまでは……」
「もはや豪毅の頭ン中はお嬢とのエッチのことで一杯ってとこか」がははは、と親父は笑った。
「そのエッチ、どこで決行するんだい?」ユウナが訊ねた。
「えっ? ど、どこって……」
「まあ、高校生でラブホテルってわけにはいかねえだろうしな。てめえの部屋に連れ込むか。豪毅」
「そ、そうだな、それしかねえだろうな。真唯ん家でってわけにもいかねえだろうしな……」
「それより夕飯はどうすんだい? 今夜はイブだから、お洒落なディナーの店なんて、もう予約でいっぱいだよ、たぶん」ユウナが少し呆れたような表情で言った。
「そ、そうだよな……」豪毅はしょんぼりした様子で呟いた。
「だったらよ、俺たちがディナーを世話してやっから、あとはおめえらで好きにしろ」
豪毅は顔を上げた。「そ、そうか、親父、すまねえな」
「お嬢も和食は好きだからねえ。よし、あたしたちがあんたらの為に特別豪華クリスマス和風ディナーをこしらえてやるか」ユウナが言った。
「わ、わりいな、母ちゃん」
「出かける前に、部屋、掃除して、ゴムとかティッシュとか、然るべき準備をしとけよ」
「わ、わかった」豪毅は箸を置いて手を合わせた。「ごっそさん」そして食器を持って立ち上がった。
親父の言った通り、『シンチョコ』で真唯と待ち合わせをして、ハンバーガーショップで昼食を済ませた後、街のアクセサリー屋やペットショップを覗いたり、写真シールを一緒に撮ったりしていても、豪毅はずっとそわそわしっぱなしだった。
「豪ちゃん、この靴、かわいいよね」
「え? あ、ああ。そうだな。おまえに似合いそうだ」
「わあ、こっちにもかわいいの、いっぱいあるっ」真唯はその靴屋の中をうろうろしながらはしゃいでいた。
豪毅は腕時計に目をやった。「ま、まだ3時か……」
菫と健吾は並んでカラーリングされた歩道を歩いていた。
「私たち、お付き合いし始めて二ヶ月以上も経つのに、こうやって本格的なデートするの、初めてだよね」
「そうだな。いつも、たいていうちでピアノ聴かせるか、シンチョコでお茶するか、ぐらいだったからね」
「健吾くんってさ、」
「え?」
「街、歩く時は、どんなお店に入るの?」
「例えば豪と出かける時は、服見たり、靴見たり、ぶらぶらしたり、ってとこかな。あんまり目的があって街に出ることはないなあ、そう言えば」
「そうなんだ」
「ま、男だけで街に出る事って、そんなにないよ。俺、部活にも入ってないし、学校帰りに遊ぶこともほとんどない。おまえは? 菫」
「あたしもそんなに頻繁に街に出ることはない。真唯とは時々『シンチョコ』でお茶したり、真雪さんのペットショップを覗いたりするぐらいかな」
菫は無意識に手を自分の腹に当てていた。それに気づいた健吾は言った。「どうかしたのか?」
「え?」
「いや、お腹押さえてるから……。痛いのか?」
「う、ううん。ちょっと張った感じがするだけ。大丈夫。こういうこと、よくあるんだ」
「どっかで休もうか?」
「平気。心配してくれてありがとうね、健吾くん」菫は笑った。
二人は映画館の前を通りかかった。
「映画見に行くことなんか、ないのか? 菫」
「好きな映画だったら、一人で見に行くんだよ」
「一人で?」
「そう。見たい映画が友だちと合わないことが多いからね」
「どんな映画、見るんだ?」
「アドベンチャー系が好き。SFモノとかも」
「へえ」
「でも、女のコって、そんな映画より、甘甘の恋愛モノがいいみたい。私はちょっと苦手」
「なんで?」
「現実にはあり得ない、って思っちゃうんだ。ひねくれてるってよく言われる。健吾くんは映画とか見るの?」
「俺は実際に見に行くのはめんどくさいから、レンタルで済ますことが多いかな。でも俺も冒険モノとかは好きだよ」
「そうなんだ」菫は嬉しそうに笑った。「今度、一緒に観に行こうよ」
「そうだな」
健吾は菫の手を取った。二人はそのまま手を繋いで賑やかなアーケード街に入っていった。
菫はまた、空いた手で思わず自分の腹を軽く押さえた。
「やっぱりどこかで休もうか。お茶でも飲もうよ」健吾が言った。
「真唯、おまえ、靴そんなにたくさん持ってたっけか?」靴屋を出たところで豪毅が訊いた。
「え? なんで?」
「だって、ずいぶん時間かけて熱心に見てたじゃねえか」
「見るだけだよ。かわいいな、って思う靴は高くて手が出せない」
「確かに高いよな」
女のコってのは、見るだけであんなに時間をかけられるのか、と豪毅は思った。
「ねえねえ、豪ちゃん」
「何だ?」
「休憩しようよ。何だか喉渇いちゃった」
「いいけど……。どこに入る?」
「そこの紅茶の店」真唯はアーケード街の中程にある明るい紅茶の店を指さした。店頭に大きなクリスマス・ツリーが置いてあり、色とりどりのオーナメントが吊り下げられていた。「豪ちゃんの好きな緑茶もあるんだよ」
「へえ。そんな風には見えねえけど」
「世界中のお茶の葉を扱ってるんだよ。二階はティールーム。前から入ってみたかったんだ、アタシ」
「よし。入るか」
真唯と豪毅は階段を登った。ドアを開けると落ち着いた雰囲気の女性が姿勢良くお辞儀をした。「いらっしゃいませ」そして柔らかな笑みを浮かべた。
「あれ?」
店の中に目をやった真唯は小さく叫んだ。「ケン兄だ!」
「え?」豪毅も真唯の視線をトレースした。「ほんとだ。やつらも来てたんだ」
アーケードを見下ろす窓際の席に健吾と菫が向かい合って座っていた。真唯はそのテーブルに駆け寄った。
「偶然だね」
「お! マユ、おまえらもお茶しにきたのか?」
「座りなよ、ここ」菫が言った。
「邪魔じゃないか?」
「お互い様だよ」
四人は一つのテーブルに座った。健吾は立ち上がり、菫の横に、豪毅と真唯はその二人の向かいに並んで座った。
「スミ、どう? ケン兄との初めての街デート」真唯が言った。
「充実してるよ。とっても楽しい」
「ケン兄は?」
「俺も。今までずっと横にいたのに、今日は菫がなんだか違う女のコに思える」
「恋だね」真唯は笑った。
「そう言うおまえはどうなんだよ、マユ」
「豪ちゃんね、ずっとそわそわしてんだよ」
「え?」豪毅が思わず真唯を見た。
「わかってるって、豪ちゃん。早くアタシとエッチしたいんでしょ?」そしてにっこりと笑った。
「そ、そんなこと……」豪毅は赤くなってうつむいた。
「デートは三度目だけど、今日は何をやってても上の空なんだよ、豪ちゃん」
二つのケーキセットが運ばれてきた。「どちらに?」店員が訊ねたので、健吾と菫は小さく手を上げた。
「おいしそう。豪ちゃんどれにする?」真唯がメニューを広げながら言った。
「え? お、俺、な、なんでもいい……」
「それだめ」真唯が豪毅の鼻に人差し指を突きつけて睨んだ。「デートの時には、相手を気遣うつもりの『何でもいい』『どれでもいい』ってのはかえって困らせるんだよ。自分の意見をちゃんと言わなきゃ」
「そ、そうなのか?」豪毅は前に座った健吾に訊いた。
「そうらしいぞ。俺もついさっき、菫に言われた」健吾はカップを口に運びながら言った。
「何がいい? ほら、ここに緑茶のセットもいくつかあるよ」
「じゃ、じゃあ、俺、緑茶と羊羹のセットにしようかな」
「相変わらず渋いね、豪くん」チーズケーキを一切れ口に入れながら菫が言った。
「ねえねえ、ケン兄たちは夕食はどこで?」
健吾はちらりと菫を見て言った。「『カンポ・デル・オリヴァ』でディナー」
「わあ! リッチ。イタリアンだね」
「菫がパスタ好きなの、知ってるだろ?」
「評判だもんね、あそこのパスタ。あの店のマスターの田中さんって修平先生の友だちなんだってよ」
「そうなのか?」
「うん。こないだ修平先生がうちに遊びに来た時に聞いた。高校生の時に総体で戦ったんだって」
「戦った、って……。え? じゃあ剣道やってんだ、あのマスター」豪毅が驚いたように言った。「で、でもなんでイタリアン・レストランなんか……」
「高校出てから勤めてた会社が倒産して、ぷーたろーだった頃、修平先生と再会して、やめてた剣道をまたやるようになって、そこで今の奥さんと知り合ったんだって」
「奥さんって、イタリア人なんだろ? いつも店にいる小柄な赤毛の」
「そう。彼女も剣道やってて、その時は日本に留学してたんだって」
「そうか、それでイタリアン」
「田中さん、一念発起して奥さんの国で料理の修業して、日本で店を開いたってわけ」
「へえ!」豪毅が感心したように言った。
「出会い、って大切だよね」菫が言って、微笑みながら健吾を見た。
入り口で真唯たちを出迎えた品の良い店員がテーブルにやってきて、豪毅の目の前に緑茶と羊羹のセット、真唯の前にはダージリンとアップルパイのセットを置き、またにっこりと笑った。「ごゆっくり」
「でもよ、『カンポ・デル・オリヴァ』、ただでさえ人気なのに、今日はクリスマス・イブだろ? 客、いっぱいじゃねえのか?」豪毅が心配そうに言った。
「抜かりはない。一週間前に予約した」健吾が余裕の表情で言った。
「おお! すでにデートの達人っぽいね」真唯が言った。
「で、おまえらは? どこでディナーなんだ?」健吾が豪毅に訊いた。
豪毅が答える前に真唯が口を開いた。「『料亭 高円寺』で豪華な和風ディナーだよ」
「さすが!」健吾が言った。
「親父とお袋、めっちゃ張り切っててよ」豪毅が頭を掻いた。
「どっちも素敵なイブになりそうだね」菫が笑った。