外伝集 Hot Chocolate Time 第3集 第8話「初体験をなめるなよ」
01.幼なじみ四人組/02.菫の気持ち/03.アクシデント/04.幹太の決心/05.記憶をたどれば/06.告白/07.女のコの気持ち/08.次なる課題/09.イメージトレーニング/10.クリスマス・イブ/11.デートの夜/12.初めての体験/13.練習/14.父と娘/15.本命/16.フラッシュバック/17.二十五年目の初体験/18.お礼に代えて
《フラッシュバック》
健吾と菫が出て行った後、真雪は隣に座った龍を見た。
「龍ったら……」
龍は組んだ指を顎に当てたまま、じっと何かを考えているようだった。
「どうしたの? 急に黙り込んじゃって」
龍は黙って立ち上がり、壁の大きなキャビネットから飲みかけのワインのボトルと二客のワイングラスを手に取り、真雪の元に戻った。
「ねえ、どうしたの? 変だよ、龍」
龍は、夕方真雪と二人で飲んで中身が半分ほどに減ったボトルを手に持ち、テーブルに置いた二つのグラスに赤ワインを注いだ。
「飲み直そう、真雪」
「う、うん」
龍は黙って一つのグラスを手に取り、真雪に渡した。
「最近取材を始めた記事のタイトルはね、『急増する十代の妊娠中絶』なんだ」龍が低く唸るような声でいきなりそう言ったので、真雪は思わず身を固くした。
「……重い話題だね」
龍は真雪の目を見つめて言った。「その取材と、さっきの健吾の失敗のことを聞いた時、俺、君のあの出来事と、その時の自分の気持ちが甦ってきたんだ。あの時は気づかなかった気持ち……」
「気づかなかった気持ち?」
「君のあの『迷い』は、やっぱり、どう考えても俺の君への想いや気遣いの欠如が原因。君に寂しい想いをさせた、俺のせい」
「違うよ、龍は、」
「聞いて、真雪」龍は真雪の言葉を遮った。
「あの出来事を君から聞かされた時、俺、爆発しそうな胸の痛みを覚えた。生まれて初めて感じた身体全体を真っ赤に焼けた鉄のロープで締めあげられるような熱さと痛み。そして怒り、悲しみ、悔しさ、もういろんなものがごちゃ混ぜになって怒濤のように身体と頭の中を渦巻いてた」
「わかるよ……」
「正直に言うとね、俺、その時、君を責めるような気持ちにもなってたような気がする。なんで恋人である俺が君を抱く時にはいつも避妊に気を遣っていたのに、行きずりのそいつには簡単に中に出させるんだ。俺の君へのいたわりや思いやりは、いったい何だったんだ。って」龍は真雪の身体を抱きしめた。そして真雪が口を開く前に彼は言った。「ごめん、真雪、でも今は君を責める気持ちなんかないから、安心して」
「当然だよね。それって。当然だよ……」真雪は龍の腕の中で目を閉じて言った。
「でも、君も、俺が部活の先輩のことを電話で君に話したこと、いやだっただろ?」
「……うん。いやだった。あなたが他の女の人から親切にされてるってことに、あの時すっごく嫌悪感を覚えた。でも、それってよく考えたら変だよね。先輩が後輩に親切にするのは当たり前なんだし。あたし、その時どうしてそんな気持ちになったのかな……」
「いや、それも当然だよ」龍は申し訳なさそうに言った。
「だけど、それ、醜い女の嫉妬心だよね。かなり自己嫌悪」
「ただ、俺の場合、その真雪への怒りより、君を抱いた男の行為への怒りの方がもちろん強かった。その男のやったことって、どろどろした雄の征服欲そのものじゃないか、って思った。だってそいつは、君の排卵周期とか、生理日とかを何も訊くこともなしに、君の中に射精したんだろ?」龍はゆっくりと真雪の身体を放した。
「そう。あたしも酔っててそこまで頭が回らなかったけど、何も訊かれずに当たり前のように出された」
「雌のカラダに自分の種をぶちこむ。子孫を残すための野性の本能むき出しの行為。そういうものを感じて、真雪をそんな対象に見ていたことへの怒り」龍はうつむいた。「俺がずっと大切にしてきた真雪を、ただの雌としか見ていなかったことへの……怒り」
「言い訳になっちゃうかもしれないけど、あたしね、あの人に中に出された後、シャワーで必死で洗浄したんだよ」
「そうなんだ。でも、妊娠の心配のない時期だったんでしょ?」
「そんなの関係ないよ。もう、イヤでイヤで堪らなかった。龍じゃない人の出したものが自分の中に入ってるって思うと。でも、そんなことしておきながら、次の晩も中に出されることを拒絶できなかった。あたし、抵抗したけど、だめだった……」
「俺、悔しい……悔しくて堪らない…………」龍は唇を噛みしめた。
「もちろんその時も終わった後には、あたし、なんでこんなことしてんだろう、って強く思って、一人で泣きながら洗った。できることならブラシか何かで中のものを全部掻き出したい、って思ってた」
「君がそんなに辛い思いをしていたことに気づかなかった俺が悔しい」龍は吐き捨てるように言った。
「龍……」
「そうまでしてその男に抱かれたってことは、温もりが、欲しかった……ってことなんだよね。やっぱり」龍はうつむいた。「俺が君の寂しさに気づいてあげられなかったばっかりに……」
「結局、温もりなんて手に入らなかった。手に入るわけないよね、龍とは違う人なんだから」
龍はさらに頭を垂れ、目を閉じた。「あの時、その人がちゃんとゴムを着けて、真雪の身体をいたわるような抱き方をしていたとしたら、俺はもしかしたら君のその過ちを責められなかったかもしれない」
「え? どういう意味? それ」
「悔しいけど、俺、その人には絶対にかなわないことが一つだけある。真雪にとって、その人は年上だってこと。俺はどうがんばっても真雪に年上の男としての包みこむような広さや頼れる大きさをあげられない。それがとっても悔しい……」
「な、何言ってるの? 龍、」
「もし、」龍は一度言葉を詰まらせ、思い切ったように続けた。「君があの時、その人から何らかの温もりをもらえて、それで君の心と身体が癒されていたら、そしてそのことを俺が永遠に知らなくて済んでいたら、今の俺と君との時間や関係はどうなっていたんだろうって……思う」
「な、何でそんなこと言うの? 龍っ!」真雪は顔を上げて叫んだ。「あたし、癒されてなんかいないよ。あんな人に! それとも龍は、あたしがあの人に抱かれたことを認めるっていうの? しかたないことだった、って諦めるっていうの?」
「結局、俺が君を責めるような気持ちになったのも、俺自身がどろどろした雄の征服欲を君に対して持ってたからなんだと思う。俺以外の男のものを君が受容したことが許せないって思うってことは、俺だってそういう野性の雄そのものだってことだろ? 君を雌としてしか見ていないんじゃないか、って思うんだ」
「何が言いたいのかわからない! 変だよ、龍……。どうかしてる」
「……」龍はまだうつむいていた。
「それでいいじゃない。あたし龍に征服されたい。あなたにだけ征服されたいよ。龍じゃなきゃだめだもの。そんなこともわからないの? こうしてわざわざ口に出して言わなきゃわからない?」
「真雪……」
「龍はあの人とは全然違うよ。あなたはあたしの身体も心も征服できる唯一の人。それをあたしも望んでるし、最高に幸せだって思ってる。それで十分じゃない」
「わかってる」龍は真雪の身体をぎゅっと抱きしめた。「わかってるんだ。ごめん。怒らせるつもりはなかったんだ」
真雪はそのまま静かに話し始めた。
「確かにあの人はあたしよりもずっと年上だった。今思えばあたしも、そういう広さや大きさをあの人に求めてたのかもしれない。龍にはないそういう要素を求めて危険な冒険をしたのかもしれない。でも、それは思い違いだった」真雪は一つため息をついて続けた。「ずっと前にあなたに話したこと、思い出して、龍。あの人に誘われたのは三晩だったけど、セックスしたのは二晩だけ。あの人はあたしのフロントホックのブラを外しながら、便利でいいね、ってさらっと言うような男だった。龍みたいに、後ろで外す方が、その時身体を抱けるからいい、なんて素敵な言葉を口にする人じゃなかった」
龍は黙って聞いていた。
「それに、電話すればいつでも会ってやる、そしてあたしをイかせて、自分もいっぱいイかせてもらう、なんて平気で言う人だった」真雪は少し涙ぐみながら続けた。「あたしね、あの人の指が乳首に触れた時、身体中に電気が走った感じがした。それまでで最高の嫌悪感っていうか。龍がいつも優しく、激しく愛してくれるこの部分を、おまえになんか触らせてたまるか、って強烈に思った。その瞬間あたし、やっと目が覚めた。三日目の晩。そして気づいた。あたしがあの人に求めていたものは、全部龍が持っていたってことに。包み込むような広さも、頼れる大きさも、癒される温かさも、全部。結局あの人はあたしを癒してくれるものを何一つ持っていなかったってこと」
龍は静かに真雪を抱いた腕を解いた。「真雪……」
「年上だとか、年下だとか、そんなもの何の意味もないってことも思い知ったんだ」真雪は目を伏せた。「でも、気づくのが遅いよね……。ユウナにも殴られて、あたし、本当に心から後悔した。今ならわかる、ユウナに言われたとおり、あれは『過ち』じゃなくて『裏切り』。あたしの龍に対する裏切り」
もう一度龍は真雪の身体を抱き、言った。「ほんとにごめん。君の心の傷をまたさらけ出させるようなこと、言っちゃって」
「ううん。あたしこそ、感情的になっちゃって、ごめんね、龍。でも、あなたはあたしに後ろめたさを感じる必要なんかないよ。あなたの温もりの代わりなんかないのに、あたしはその幻をあの時欲しがった。それだけ。そしてそれは大きな間違いだった。ってこと。あたしは龍に責められてもいい。罵られてもいい。それはあたしがあんなことをした報いだと思うから。でも、あなたがこのことで、そうやって自分を責めるのを見るのは、あたし、いや。……かえって辛いよ」
「真雪……」
真雪は指で涙を拭って、ボトルを持ち上げた。「飲んで、龍。まだ少し残ってる」
龍は半分ほどグラスに残っていたワインを飲み干し、テーブルに置いた。真雪はそれにボトルからワインを注いだ。
真雪は少しうつむいて言った。「あたし、今でもあの痛みが甦ることがある。ちょっとしたフラッシュバック」
「どんなきっかけでそう思うの?」
「赤ワインの一口目」
「初めて飲まされた時の一口目、だよね?」
「うん。あたし、あの夜赤ワインを勧められて、一口だけ飲んだ時には酸っぱくて渋い、としか思えなかった。その一口目」
「一口目で今でもそんなに辛いこと思い出すんだったら、赤ワインなんか、ほんとは飲みたくないんじゃないの? 真雪」
「ううん。あたし、今はワインがとっても好き。言ったでしょ、龍と一緒に飲むワインは別だって。でもこの一口目で、必ずあの痛みを思い出したいんだ。あたし」
「俺は、正直言って、その痛みを早く忘れてほしいな。真雪には」
「以前はね、あの夜に関わるチェリーのカクテルとか、ラブホテルとか、水族館とか、いろんなもので痛みを覚えてたけど、龍のお陰で今はほとんど消えちゃったんだよ。でもこのワインの一口目だけはなかなか消えない」
「どうすればそれを君から忘れさせることができるんだろう……」龍は真雪の身体に手を回して引き寄せた。
「でも、あたし、それでいいと思ってる。忘れちゃいけない気持ちを、時々こうして思い出せるから」
「忘れちゃいけない気持ち?」
「自分が龍に愛されているっていう気持ち。あ、もちろん龍はいつもあたしのことを愛してくれてるよ。でもそれを当たり前、って思いたくない、っていうか……」
「そうか……」
「ワイン飲むたび、あたしそんな顔してなかった?」真雪は龍の顔を見た。
「いや、君がそこまであのことにこだわっているなんて、知らなかった」
「こだわってる訳じゃ……ないよ」真雪はうつむいた。
「ごめん、真雪」
「龍は苦しまないで。あたしも忘れるように努力するよ。龍のために」
龍は小さくうなずいた。「俺、あの出来事のことなんか、とうの昔に忘れてしまってるつもりだった。でも、今日になって、君の迷いと苦しみは、やっぱり俺の想いや思いやりの足りなさが原因だったんだって、また思い始めた」龍は小さくぐっと喉を鳴らして唾を飲み込んだ。「そして、あの時、もしも君が、って急に思い始めた。それを思うと、俺、君を抱きしめずにはいられなくなる。離したくないって、強く思う。何度も抱きしめて、君が俺のものだって、確かめたくなるんだ」真雪を抱いた龍の腕に力がこもった。「これもいわゆるフラッシュバック……なのかな」
「もしも、って、あたしが妊娠させられていたら、ってこと……だよね?」
龍はまた小さくうなずいた。
「あたしね、実習から戻ってから、あの人がどんどん憎くなっていった。なんであんな人についていったんだろう、って自分を責めることもあった。あれからしばらくは、龍に優しく抱かれるたびに、その二つの思いが強まっていったんだ」
「苦しませて、ごめんね……真雪」
「だから、龍のせいじゃないって」真雪は手にグラスを持って、少しおかしそうに言った。「あたし、あの人に『妊娠しました。責任取って下さい』ってメール、送りつけてやろうかと思ったこともあったんだよ」
「おっと、過激だね」
「もう、とにかく何か仕返しがしたかった、っていうか……。でも、そんなことしてもきっとあの男は知らんぷりするに決まってる。そうなればますますこっちがむかむかするだけ。だからやめた」
「俺も、今残っている一番大きなものはそいつへの怒り」
「でもね、あの後、実はユウナとリサが敵をとってくれたんだよ」
「え? かたき?」
「うん。実はあの人、水族館の事務長の女性ともデキてて、おまけにあたしだけじゃなく、その一年前にも別の実習生と関係を持ったらしいの」
「むっかつくっ!」
「もう病気だよね、そうなると。でね、そのことを調べ上げたユウナとリサはね、事務長とおそろいのあいつのイニシャル付きカップの写真を撮って、その事務長本人の写真と合わせてあいつの奥さんに手紙と一緒に送りつけたんだって」
「よく写真なんか撮らせてくれたね、その事務長」
「ユウナが一緒に写真撮らせてください、って言って、リサが構えたカメラで事務長を一枚、並んで置かれてたペアのカップのアップを一枚、撮ったんだって」
「すごい、そこまでやってくれたんだ。探偵並み……」
「手紙には、あいつが事務長と不倫してることや、実習の度に実習生に手を出して、何度となく複数の女性と関係を持ったことを書いて知らせたって」
「ユウナさんとリサさんに感謝しなきゃね」
「ユウナはね、実習が終わってあたしたちが水族館から帰る時、『絶対に龍くんの手を放しちゃだめだよ』って言ってくれたんだ」
「そうなんだ。俺たちの恩人だね、ユウナさんもリサさんも」
「うん。そしてついこないだ、リサと電話してた時、あの男、その後奥さんに離婚されたらしい、って言ってた」
「当然だよ。そんなだらしない性欲まみれのやつとはさっさと縁を切るべきだ。一緒にいたって奥さんや子どもは絶対に幸せにはなれない」
「噂レベルだけど、過去には実習生を本当に妊娠させて堕胎させたこともあったらしい」
真雪はふっとため息をついた。
龍は真雪の目を見つめて言った。「俺の心に今、唯一残っている怒りは、そいつの男としての矜恃の欠如。そいつが何食わぬ顔で君の中にそのまま出したこと。そのことへの怒り」
「矜恃って『誇り』って意味だよね?」
「そう。真雪という女性を対等の一人の人間として見ていなかった、人格を全く無視した言動。自分だけが快楽を得るためだけの行為。そこに誘い込むための甘い言葉やアルコールの勧め。のっけから君を、単に射精して気持ち良くなるためだけの器としか見ていなかった。今ならわかる。そいつの非人間的な、野生の雄の欲望丸出しの感情! 男として、いや人として決して許せないのはそういうそいつの考え方」龍はいつしか真っ赤な顔をして拳を握りしめていた。「だから、君以外の女性がそんな目に遭った、って聞いても、俺、同じように怒りを覚える」
「いろいろ取材して回ったみたいだね、記事書くのに」
「取材でたくさんの女性と会って話を聞かせてもらった。例外なく感じたのは、彼女たちは妊娠中絶で心も身体もぼろぼろに傷ついてるってこと。中には十年以上も前のその出来事のせいで、今でも抗うつ薬を飲まなきゃいけない状況の女性だっていたんだ。そして同時に見えてきたのは、その当事者の男が、これも例外なくそのことを軽く考えているってこと」
「軽く?」
「中絶費用を折半したり、手術のために病院に付き添ったりする男はまだまし。でも、そんな彼らでさえ、その手術を骨折や盲腸と同じように考えている。それがそもそも間違ってるんだ。骨折なんかと違って、手術をしても一生癒えることのない傷なんだ。女性にとっては」
「龍……」
「妊娠中絶は、『人殺し』なんだよ。それは医者の罪じゃない。セックスした二人による殺人の罪。俺、このことをどうしても健吾たちにわからせたい」
真雪はそっと龍の手を取った。「確かに中絶しなくても、望まない妊娠で親も子どもも幸せになれるとは思えないよね」
「特に、まだ妊娠のことを現実として考えられない彼らのような年頃の男女のセックスは、そういう不幸と隣り合わせなんだ。でも、そういうことになって傷つくのは、間違いなく女性だけ」
「だから、あなたは健吾に厳しい顔をしたんだね」
「俺も大人げなかったとは思う。でも教科書通りにいかない初体験でも、避妊については教科書じゃだめなんだ。『法律』じゃなきゃ。みすみす菫ちゃんや真唯を不幸にする訳にはいかない。そして豪毅や健吾にも罪を背負わせる訳にはいかないよ」
「法律……か」
「間違いがあってはならない。でもそれをわからせるのは俺たち大人の役目。そうだろ? 真雪」
「そうだね。龍の言うとおり」真雪は言った。そしてテーブルに戻されていた二つのグラスを手に取り、一つを龍の手に握らせた。
「でも、」龍はふっとため息をついて、ようやく顔の表情を和らげた。「健吾も豪毅も、頭ではちゃんとゴムをつけてセックスしなきゃ、って思ってるみたいだから、とりあえずは安心かな」
「そうだね。これで自分で買えるようになったら一人前だね」
「今使ってるやつは、夏輝さんに買ってきてもらったものなんだって?」
「そう。『シンチョコ』で二箱ずつ渡した時のあの二人の慌てようったらなかったよ。今、思い出しても笑える」
「菫ちゃんや真唯にもさ、妊娠中絶のこと、話しといてよ。いつか」
「うん。わかった。あなたの記事も使うね、その時は」
「光栄だね」龍は少し照れたように笑った。「俺は健吾と豪毅にしっかり言って聞かせるよ。明日にでも」
「明日?」
「そう。パーティの前に。そこに正座させて」
「何それ。厳しすぎじゃない?」
「いいや、それが大人の男としての義務だ」龍は笑いながら力強く言って、真雪の身体に腕を回し、ワインを口にした。
「もう、空っぽになっちゃった」真雪がボトルを持ち上げて言った。
「ごめんね、真雪。思い出したくもないこと、思い出させちゃって」
「ううん。逆によかった。あたし、龍があたしのあの出来事についていろいろ悩んでいたり、怒っていたり、あたしを責める気持ちでいたりしたことがわかったら、なんだか溜飲が下がった」
「今になって君を責めたりして、本当にごめん」龍は真雪の頬にキスをした。
「龍はさ、どうしてあの晩、あたしがあの出来事を告白した時、責めてくれなかったの?」
「そんなことできるわけないだろ。君にあんなに泣かれて、謝られたら、そんな気にならないよ」
「あたし、龍に力一杯責められて、罵られたかったな」
龍は少し困った顔をして言った。「実際あの時はそんな気になってなかった、っていうのもあるけどさ、」
「うん」
「今目の前にいて、抱きしめているこの人が、俺から離れていくことが一番怖かった。それが真相」
「そうなんだ……」
「君は絶対に手放したくなかったんだ。だから、一刻も早く結婚したかった」
「あたしもそう思ってた」
「君が先を越しちゃったけどね。プロポーズ」
「そうだったね」
龍は大きく、気持ちよさそうに伸びをした。「何だかすっきりしたよ、俺」
「あたしも」
龍は真雪に顔を向けた。「もう封印しよう、あの出来事のこと」
「約束して、龍」
「え?」
「あなたはあのことで自分を責めたりしない、ってこと」
「わかった。じゃあ、真雪も、約束。あのことで俺に対して何の負い目も持たない、ってこと」龍は真雪の手を握った。
「うん。わかった」真雪はにっこりと笑って龍の手を握り返した。「今日は、お互いに心の底に残っていた想いを伝え合えて、もやもやしたものを全部吐き出せて、良かった」
「もう空っぽだよ、真雪」
「うん。あたしも。もう忘れる。ワインの一口目のことも。龍に手伝ってもらって」
「え? 俺に?」
「今度、ワインのボトルを開けたら、一口目を龍、口移しで飲ませてよ」
「くっ! 口移しっ!」龍はひどく嬉しそうな顔をした。「やるやる! 口移し!」
「あははは。そんなに嬉しい?」真雪は吹き出した。「まるで子どもみたい」
「やったー。真雪に口移しなんて、夢みたいだ」
「そう言えば、今まで一度もしてもらったことないよね」
「そうだね」龍は頬を上気させて言った。「なんだかわくわくしてきた。ねえ、もう一本ワイン開けようよ」
「だめ。飲み過ぎだよ」真雪は笑いながら言った。
「じゃあ明日。明日ね。約束っ」
「もう、ほんとに子どもみたい、龍ったら」
真雪は龍の肩に頬を乗せてそっと目を閉じた。「素敵なクリスマス・イブ……」
「酔った?」
「少し」
「他には?」
「え? 他にはって?」
「俺、身体がむずむずしてるんだけど」龍は真雪の肩を抱いた。
「そう言えば、あたしも少し……」
「どうしてかわかる?」
「ポリフェノールのせいでしょ?」
「よく知ってるね」
「赤ワインは媚薬効果があるって、昔、本で読んだことがあるよ」
「さすが真雪。赤ワインに含まれるポリフェノールに強心作用があり、ホルモン調節作用があるからだ、って言われてるけどね」
「こうなることがわかっててあたしに飲ませたでしょ、龍」
「買ってきたのは君だろ?」
龍はそう言っておもむろに真雪を抱き寄せ、深く咥え込むキスをし始めた。